だから生きることって尊いのかもな
若い頃、どうしても治らない体調不良で悩んでいた時に出会った整体師がいた。
理学療法士とか柔道整復師なんかの国家資格を持っている人ではなくて、民間療法でやっている人だったけれども、なぜか当時の私の体調にはヒットしたようだ。
あちらこちらの病院に行っても全く良くならなかった体調不良が、10回ほど通っただけでスッキリと良くなってしまった。
まあ、ガンなどの重篤な病気はなくて、身体全体のバランスが崩れたことでの体調不良だったことが幸いしたようだ。本当に重篤な病気だったら、整体くらいで治るわけがないだろう。
その整体師のところに通っている時に言われたことがある。すべての病気は使いすぎが原因だと。
歩きすぎや走りすぎが膝や腰の不調に繋がり、野球の投手の投げすぎが肘や肩の故障につながるように、ほとんどの病気は使いすぎ、頑張り過ぎが原因で起きるのだそうだ。
全く生活の動きと関連がないような内臓疾患でも、運動をしすぎると、筋肉が酸素を大量に使うから息が切れて、呼吸をたくさんして、酸素を身体に取り込む。そうすると、使い切れない酸素が活性酸素となって身体のあちらこちらに溜まっていろいろと悪さをするようになる。
過剰に身体に溜まった活性酸素は、身体にとってのサビとなって細胞を傷害するようになり、がんや循環器系疾患、生活習慣病などの要因となるとのこと。(参考:e-ヘルスネット「活性酸素と酸化ストレス」)
身体に良いと思って運動していても、活性酸素を作りすぎてしまうと、巡り巡って身体に悪い病気のもとになってしまうのだ。
ここ最近、更年期障害で体調が左右上下に大きく揺さぶられるような日々を過ごす中で、ふと、そんな若い頃に整体師に言われた「すべての病気は使いすぎが原因」という言葉を思い出してしまった。
別に、運動選手になるつもりはなくても、普通に生きるだけでも体を動かして、時には息が切れるほど頑張らなければいけないこともある。そうしているうちに、身体には意図せずして活性酸素が溜め込まれていくだろう。
循環器系の病気の原因となるコレステロールや中性脂肪も、生きるためには食べなくてはいけなくて、生きるために一生懸命に食べた結果に身体の中に溜まってしまうものだ。もちろん、食材の選び方や味付け方で、長い目で見たら結果は大きく変わってくるけれども。
でも、どんな人でもその人なりの人生を頑張って行きていて、その中で生きるために食事をして、嫌なことを忘れるためにお酒やタバコをやることもあって、その結果が何らかの体調不良や病気であり、その先に死がやってくる。
生きていれば、どうしたって骨は削れて関節痛を起こすようになり、血管は固くなって動脈硬化気味になっていく。
なんだかふっと、生きるってこんなことなんだよな、人間って完璧ないんだよな、って思ったら、今日の1日の輝きの愛おしさがましてくるような気がした。
どう頑張ったっていずれは終わる命。だからこそ、今日が尊い、そんな風に1日1日を生きていければ、人から見てどんなにつまらない人生に見えても、その人にとっての命の意味は無限大に広がるのではないだろうかと思う。