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残された時間

先日、還暦間近な方と話をしていたら、これからの人生の残り時間、なんて話にちょっとなった。

子どもが小さい頃から知っている方だけれども、お互いに子どもも手を離れたら、親の介護問題がやってきた。

そして、その方はつい先ごろ、とうとうおばあちゃんを施設へ入れたそうだ。最近、そのおばあちゃんのことを見なくなったと思っていたら、しばらく前から頻繁に入院するようになっていて、病院の先生や看護師、ケアマネージャーさんからは施設入所も考えた方がいい、と言われていたそうだ。

認知症も進んでいて、家庭での介護も限界に来ていたが、なかなか家族が決断できなかったという。

でも、介護していた家族の方が体調を崩してしまい、これからの自分の残り時間を考えたら、おばあちゃんに振り回され続けるわけにもいかないと、やっと決断できたという。

自分で積極的に動けるのはせいぜい70代までだろう。認知症にならずに身体が元気なら70代までなんとか車の運転もできるだろうが、80歳を過ぎたら、自分はどんなに元気なつもりでも免許は返納しなければいけない。

足腰も弱ってきて、車を運転できない生活ではできることも限られてしまうだろう。

また、年齢を重ねるに連れて、時間が過ぎるスピードも早くなってきている。先日、お正月を迎えたと思っていたのに、もう1月も終わりだ。昔はもっと1ヶ月を長く過ごせていたような気がするが、やはり時間が経つスピードは早くなっていき、1分の価値は自分の中ではどんどんと低下していくのを感じる。

人生の残り時間、私はいつまで、どんなふうにして生活できるのだろうか。健康や経済的な不安を抱えながら、無駄に長生きしたくはないと思いつつ、せっかくこの世に生まれてきたのだから、少しは人生の味わいも感じたほうがいいのかとも思う。

でも、大して年金ももらえないことがわかっているから、とにかく働けるだけ働き続けて、バタンキューとこの世を去っていきたいという気持ちもある。

果たしていつまで働けるのかもわからないけれども、だんだんと自分の人生に残された時間というものが現実味を帯びて感じられるようになってきた。

今まで、若い頃から時間を無為に過ごし続けてきたツケが、今になって襲ってきているような気もするけれども、それはそれで仕方がない。無限に可能性があるように感じていた若い頃は、それはそれで楽しかった。

それでも、まだまだ自分に可能性があると信じたい自分と、体力と健康の限界も感じる自分、その矛盾を楽しみながら、やはり1日1日を過ごしていくしかない。

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