【ショート小説】ただ歩き続けるだけの日々で
「お疲れ様でした」
「お疲れ様」
「今日もありがとう、また来週も頼むね」
今日の仕事が終わった。終業15分前のチャイムが鳴ったあと、一度食堂に集まって、上役からの簡単な今日の総括が述べられてから、それぞれが帰途につく。
食堂を出るときに、顔見知りの同僚と声を掛け合う。リーダーからは今日のねぎらいと今後への言葉が掛けられる。
今日も1日が終わった。
最寄りの駅に向かう社員バスに乗る。バスで15分ほどの道のりだ。自家用車で通うこともできる。ガソリン代も支給されるけれども、片道30分の道のり、往復で1時間の道のりだ。
バスで15分、5分ほどすると電車がやってくる。電車で2駅、そこから歩いて10分。こちらだと片道35分ほどだ。
社員バスと電車の接続が悪いと自家用車のほうが便利だけど、朝も夕方も、何もなければ5分と10分で接続できる。
仕事も歩き回るから、自宅の最寄駅からの10分の歩きは最初の頃は少し辛かった。でも、8時間の勤務時間中、ほとんどの時間を動き回って疲れ果てた身体で、往復1時間の運転のほうが辛いと気がついた。
電車は定期代が支給される。社員バスは無料だ。電車は座れないことも多いけれども、バスの中は必ず座れる。夕方の15分間、座って体を休めることができるのはありがたい。それがわかったから、自家用車ではなく電車とバスの通勤に切り替えた。
今日も、、、、
やっぱり、、、
1人ぼっちの家に帰る。
40代後半、男性、契約社員、結婚歴なしの独身。
大学を出て、一度は結構いい会社に就職することができた。当時はとてつもない就職難が続いていた時代だけど、前年までの異様な採用抑制の弊害が出始めていた頃がちょうど就職の時期で、自分の大学のステータスと成績としては、ちょっと良すぎるところに就職してしまった。
就職が決まったときには、親も卒論を指導してくれた教授も喜んでくれたけれども、自分の能力以上のところに就職してしまったことが、自分の運の尽きの始まりだったようだ。
前年までの異様な採用抑制の結果、5年くらい前から前年までの先輩たちは旧帝大や早慶といった人たちばかりしかいない。
自分としてはステータスが高い会社だったけれども、そのレベルの人たちが好んでやってくるような会社ではない。そのレベルの人たちが普通に入るような会社でも採用抑制されていたために、そこからこぼれた上のレベルの人たちがここで採用されていたのだ。
旧帝大や早慶の人たちは、やっぱり地頭がいいらしい。説明がよくわからない。次から次へと早口で説明されるけれども、いまいち何を言われているのかが理解できない。
でも、それで先輩たちの間では話が通じている。仕事が回っている。自分と同じようなレベルの大学から採用された同期に相談してみても、話がよくわからないと言っている。
仕事の流れややり方がよくわからないまま、研修や指導期間が進んでいく。
なぜか、最終試験の準備だけは丁寧にわかるように説明してくれたので、最終試験だけは通って無事に研修期間が終了した。
でも、本来はその期間に理解しているべき仕事の流れを理解できていないので、本格的に配置されても仕事ができない。ミスばかりする。
「それ、教えられているはずだよな、最終試験でも出ているはずだぞ、試験でできているじゃないか」
と怒られる。怒られるけれども、試験の解き方と実際の仕事が自分の頭の中でうまく結びついていない。だから仕事にならない。
なんとか食らいついていればそのうち慣れるかと思った。同期はどんどんと仕事ができるようになっていき、大切な仕事を任されるようになっていく。
それなのに、自分だけはいくら頑張ろうと思っても理解が進まない。仕事の流れに乗っていけない。
なんとかそれで3年頑張ってみたけれども、3年目の夏に心が折れた。ある日、朝起きようとしたら、布団から起きられない。
枕元で充電している携帯電話が何度も鳴る。出たくない、最後は携帯がならないように電源を落として、頭まで布団をかぶって小さく丸くなった。
結局、田舎の実家に連絡が行ったようで、その日の夕方に親がやってきた。新幹線で3時間ほどの距離だ。アパートの大家さんにお願いをして合鍵を貸してもらい部屋に入ってきたらしい。
布団の中で丸くなっている自分を見てホッとしたと言っていた。熱もなく、風邪を引いているわけでもなさそうな自分を見て、とりあえず次の日に心療内科へと運んでくれた。
上司は最近の自分の様子から最悪のことも想定していたらしく、親から布団から起きられなくなっていたようだと聞かされたホッとしたという。
軽度のうつ病の診断がおりて会社は休職することになった。
その後は、アパートを引き払い、親に連れられて実家へ帰った。復職できるのなら、またその時にアパートを借り直せばいいと親は言ったけれども、あとから聞いたら、上司や人事の人からは、仕事が合わないようだから、休職期間が空けたら退職させたほうがいいと言われたようだ。
父親も地元のそこそこの会社のサラリーマンだから、会社に合わずに去っていく人も見てきた。息子が能力を超えた企業へ就職して適応できないのなら、それも仕方がないと諦めたようだ。
休職期間空けと同時に退職して、わずかばかりの退職金をもらった。その後は、地元で再就職を何度かしたけれども、仕事をうまく続けることができずに、何度も辞めてしまった。
結局、自分には、オフィスでの微調整が必要なホワイトカラーが合っていなかったのだとわかったのは、40歳も近くなってきた頃だった。
それまではデスクワークばかり探しては就いてきたが、デスクワークでは細かい人間関係や仕事の流れの調整が不可欠だ。それはちょっとした気遣いであったり、書類などの書式を合わせるといった程度のことだけれども、自分はそれが苦手だった。
苦手で土台無理なことがわかるのに、だいぶ時間がかかってしまったのだ。
その後は、実家の隣の市にできた大手通販サイトの流通センターで、仕分けスタッフとして働き始めた。
注文伝票に書かれた商品を広い倉庫を動き回って集めてカゴに入れて次の箱詰めの工程に流す。もしくは、販売業者から納品された商品を所定の場所へ並べる。ただ並べるんじゃない。古いものから先に出荷されるようにしなければいけない。
こういったことが自分の仕事だ。
一部、ピッキングがロボット化されているところもあるけれども、毎日のように新商品が入ってきたり、細かい商品も多い倉庫作業の全てがロボット化できるわけでもない。
仕事中は必要最低限のことしか他の人と話さない。休憩も食事も順番に取る。休憩室も兼ねている広い食堂は、食事時でも一杯になることはない。広い食堂の、それぞれのお気に入りの場所でポツンポツンと座るから、人と関わらなければ関わる必要はない。
深い人間関係が苦手な自分にはちょうどいい仕事だ。
身体はきつい。毎日2万歩くらい歩くだろうか。最初の頃はとにかく足腰が痛くなって辛かった。でも、毎日のように歩き回っていたら、身体が慣れてきたのか、それほど気にならなくなってきた。
極端に重いものを持つことはない。たまに水やジュースのケースを運ぶことはあっても、そういったものばかりを運ぶわけでもない。
高い場所からものを取るときには、階段型のはしごが用意されている。一般的なはしごや三脚ではないのでそれほど危なくもない。
とにかく歩き続けること以外には、身体への負担はそれほど大きくない。
身体だけ動かしていれば仕事が終わる、というこの仕事が自分には合っていたようだ。それならば、結局、大学まで行った意味は何だったのだろう?とちょっと考えるときもある。この仕事は大学まで行かなくても全然できた仕事で、自分に合っているのがこの仕事なら、自分の学歴の意味ってなんだろう?ってちょっと情けなくもなる。
でも、、、、、
自分が大学を卒業する時には、こんな人生になるなんて想像もしていなかった。就職した企業でヒイヒイ言いながら定年まで働くと思っていた。
その間に結婚もして、子どもも持って、一軒家かそこそこの立地のマンションをローンで買って、たまには居酒屋で同僚と愚痴を言いながらも、必死で働くサラリーマンで有り続けていると思っていた。
でも、結局、自分の人生はこんなものだった。そして、おそらく結婚もできずにこのまま終わっていくだろう。
両親は自分が倉庫で働き始めてから数年後に交通事故で他界した。実家と、まだ父が定年後も働いていたことで支給された死亡退職金と貯金を合わせたそこそこのお金が残った。
実家は父親が10年前に終の棲家としてローンを組んで購入したもので、まだローンが残っていたが、団信で返済義務がなくなった。
姉がいるが、すでに結婚して家庭を築いている。実家の相続税評価額を算定して、そこに退職金と貯金を合計した金額を半分に分けて相続することにした。住む家が他にない自分が実家をもらい、姉には金銭で相続分を全額渡した。
それでも、自分にもそこそこのお金が残った。ヒキニートならあっという間に使い切ってしまう金額だろうが、倉庫で働き続けていれば、手をつける必要はない。
契約社員だが社会保険も入っているので、動けなくなっても年金がわずかながらに入ってくる。自分が死んだあとに少しでも残るものがあれば、それは姉の子どもに引き継いでもらえばいいと思っている。
今日は金曜日だ。自分は土日休みだから明日と明後日は休みだ。
夕飯に冷蔵庫にあるものを考える。ちょっと物足りないような気がするので、電車を降りてから途中のコンビニに寄る。ご飯は炊飯器のタイマーを掛けてきた。味噌汁は作り置きしたものがある。レトルトのハンバーグと、サラダにするレタスとトマトもある。
もう1品か2品、惣菜でも買っていこうかと思う。冷凍たこ焼きと、ポテトサラダ、デザートのプリンを買う。
若い頃ならともかく、さすがにこんなにお腹に入らないよな、と思いつつ、なんだか今日は少し贅沢をしたい気分だ。アルコールも飲めない自分のささやかな楽しみを今日も見つける。
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