空は晴れているのに心は雨、既読付かず……
待てど暮せど、LINEに既読がつかない。
GWのはじめに、「子どもがGW帰省しないってさ!」で、4月に大学院進学のために実家を出て下宿を始めた息子が、帰省しないって書いた。
そのあと、何度かLINE送ったけど、返信の必要がないと思ったら返事を返してくれない。
たぶん、スマホの通知画面に表示された文面で、くだらない近況報告だとか泣き言だってわかったら、LINEを開きもしないようだ。既読もつかない。
そんなときは、写真を送ると、写真は通知画面じゃ確認できないから、LINEを開いて確認するみたいで、既読は付くけど、返事の必要なければ返信はない。
母ちゃんは、空は晴れ渡っていても、心の中は涙の雨で土砂降りだよ……
それなのに、確認することや、お金のことや、自分に必要あるときだけメッセージを寄越す。
でも、自分も大学で実家を出たとき、似たりよったりだったから、文句も言えない。身に覚えがありすぎる態度だから、私も諦めている。
それに、私がコミュニケーション苦手で会話下手だから、家の中でもあんまり会話なかったしね。
まあ、「便りがないのは良い便り」なんて言葉も明治時代くらいからあるみたいだから、やっぱり昔から実家を出た子どもからの連絡がないことにヤキモキする親はたくさんいたんだろう。
子どもの人生は親のものではなく、子どもが自分で作っていくものだから、独立しようとしている今は、「便りがないのは良い便り」ってことで、遠くから見守るしかないんだろうと思う。
うちは、子どもが生まれたときの百日参りを、檀家になっているお寺に行ってお経を挙げてもらったんだけど、そのときに親向けの冊子をもらった。
その中に「子どもはお父さん、お母さんの持ち物ではなくて、仏様からの預かり物です。大切に育ててください。」なんてことが書いてあった。
親に授けられたものだったら、親が自分の持ち物で好き勝手していいと勘違いしちゃう。親と子どもの絶望的なバトルとか、親からの重圧に苦しむ子どもの問題とかって、結局は親が子どもを自分の持ち物と勘違いするところから始まっているような気もする。
仏様からのお預かりものだとしたら、好き勝手することはできない。
その感覚をずっと持てたことは、良好ではないかもしれないけれど、破滅的にはなっていない親子関係を作れた要因かもしれない。
(仏様じゃなければ、神様や社会でもいいかもしれない。でも、国家からの授かりものだってなったら、国家イデオロギーにつながってしまうから怖いな。)
いずれ、子供の寿命が尽きて仏様のもとにお返しするときが来るわけだから、そのときに、ちゃんと現世で立派に生きてきました、って言えるような人間に育てなきゃいけないわけよ。
しかも、親の持ち物じゃないから、私のやりたいように育てるわけにもいかない。
子どもが覚えていないほどの幼い時期に旦那が亡くなっちゃってシングルマザーになっちゃったから、ちゃんと育てられた自信は全くない。全く親としてやるべきことが全くできていなかったような気がする。
でも、できる限りのことだけはしてきたから、あとは自分でなんとか人生切り開いていってもらうしかないね。