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【ショート小説】心に突き刺さった黒いつらら

「あんたは本当に優しい人だね」

おばあさんは、しわくちゃな手で横に座っている私の手を握る。私は笑顔で「そんなことないですよ、褒めすぎないでください」なんて返事をしながらも、心の中にズドンと大きなどす黒い、先の尖ったつららのようなものが突き刺さるのを感じる。

私はそんな優しい人じゃない。私は優しい人の仮面を付けているだけの化け物だ。怪物だ。本当は、、、、

そのおばあさんのことなんて、、、、

***

私は介護施設で介護員をしている。毎日、毎日、入所者のおじいちゃん、おばあちゃんたちの身の回りのお世話をしたり、掃除をしたり、ベッドメイキングをしたり、忙しく立ち働いている。

日中は、入所者のみなさんは食堂も兼ねている大きな部屋で過ごしてもらう。リハビリが必要な人は順番にリハビリに行ってもらい、入浴日に当たる人は順番にお風呂に行ってもらう。

面会時間に家族や友人の方がやってきたら、各自のお部屋に入ってもらって20分ほどの面会をしてもらう。それ以外の時間は、朝食から夕食まで、大きな食堂で一緒に過ごしてもらう。

大きなテレビはつけっぱなしになっており、1日中ワイドショーを流している。ドラマやバラエティは人によって好みがありすぎるので、それは各自のテレビで見てもらう。

施設に入っていると世の中の動きに疎くなってしまうので、最新の情報を理解してもらうのにワイドショーが良いのだろう。認知症が進んでいない人は、互いにニュースを見ながら、事件や政治についてあれやこれや議論する人もいる。

「あんたこの人の話、どう思う?」

傍らにいる介護員を捕まえて、そんな風に話しかけてくる人もいる。

介護員は、その日に割り当てられた仕事をする。掃除担当の人は部屋や廊下を隅々までキレイにする。ベッドメイキング担当の人は、朝からその曜日にシーツ交換をする予定のベッドを片っ端からシーツと掛け布団カバー、枕カバーを剥がして、洗濯済みの新しいものと交換していく。

入浴担当の人は、順番に入浴させる人を呼びに来てはお風呂まで連れていき、服を脱がせて、身体を洗う。裸にしたら、身体に異常がないかどうかもよく確認する。

以前の入浴の記録を参照しながら、記録にはない傷やアザがないかどうか、肌の色が変化していないか、身体の動きがおかしくないかを確認して、何か異常があれば医師や看護師に報告するのだ。

洗い場で身体を洗って浴槽に浸からせたら、次の人の身体を洗いながら安全確認もする。高齢者の事故は入浴中が多い。お風呂の中に沈んでしまって溺れてしまうことがないように注意しなければいけない。

かといって、浴槽だけを監視する人員を確保できるほどスタッフに余裕はない。洗い場のスタッフが、他の人の身体を観察して洗いながら、浴槽に入っている人にも注意するのだ。

正直なところ、眼と手がいくつあっても足りない。入浴介助は40℃の浴槽とシャワーのお湯で、高温多湿な体力が削られている環境で、頭も注意力もフル稼働させなければいけない過酷な仕事だ。

それでももちろん給料は変わらない。当然だ。

これらの仕事に割り当てられなかった人は、食堂でのお世話係となる。日中、利用者の人たちが過ごす食堂での様子を見ながら、必要に応じて、トイレに連れて行ったり、おむつを交換したり、食事の配膳や食事介助をしたりする。

他の仕事と比べるとちょっと楽ができる仕事だけど、やることはたくさんあって忙しい。体力的に少しマシなくらいだ。それでも、ちょっとした瞬間にポッと時間が空いて、利用者の方の話し相手になることもある。

***

その日、私は食堂でのお世話係の担当で、そんなおしゃべりができる時間にあるおばあさんの隣に座った。その利用者さんは入居して2週間ほどで、なんとか施設に慣れてきたところだった。

認知症はそれほど進んでいないものの、足腰が弱って、長い移動には車いすが必要になっていた。トイレも一人でなんとかできるけれども、調子が悪いときには、便座から立ち上がれなくなることがあり、見守りが必要な状況だ。

介助や見守りが必要な人のトイレは、食堂のお世話係でそのときに手の空いている同性のスタッフが行うことになっていた。

そのおばあちゃんのトイレの見守りは、タイミングの問題だろう。なぜかいつも私がやることが多かった。介護員はすべての介護に必要な動作や、介助や介護が必要な方への対応を学んで就職している。だから、介護スキルや会話のスキルに差はないはずだ。

それでも、なぜかそのおばあちゃんは私のことがお気に入りのようだった。

若い頃の仕事の話や家族の話を聞いていたら、突然私の手を取って握りしめて言ったのだ。

「あんたは本当に優しい人だね」

なんだろうか?そんなこと、何度も言われてきた。この仕事をはじめて2年ほど、その前に2年間、介護の専門学校に通って実習にも何度も行ったから、たくさんの老人と接してきた。

お世話をすると、半分くらいの人は「ありがとう」とか「優しいね」とか言って感謝してくれる。もちろん、仕事として優しくしているだけだから、これはビジネス優しいだ。

それでいいし、本気で優しい人でいようとし続けると、潰れるから気をつけるようにとも習っている。とにかく長くこの仕事を続けたいのなら、ビジネス優しいを心がけることが大切だ。

その時も、私はビジネス優しいを心がけていた。自分の本音はさておいて、顔と思考と言葉の表面を、義務的な優しさで覆い尽くす。これでいい。これが仕事だ。

そう思っていたのに、なぜか、そのときはおばあさんの言葉と手のぬくもりが、私のビジネス優しいの皮を突き破って、心の奥にある本音に突き刺さってしまったのだ。

その理由は。。。

そのおばあちゃんが、私のおばあちゃんに似ているからだろう。そして、私のおばあちゃんの子であった、私の母から投げかけられた言葉が私の頭の中でぐるぐると回り始めてしまった。

「お前なんか、どうせ何やったって」
「お前みたいなやつ、努力しても無駄だよ!」
「はあ?カンニングでA高校行こうっての?やめてよ!」

なぜか、母は私のことを子どもの頃からひたすらに貶めようとしていた。別に勉強を頑張ったわけでもなかったけれども、私は簡単にものを覚えてしまい、いつでも学校のテストは80点以上を取れていた。

中学の時、地域の進学校のA高校へ行けると担任には言われたけど、母は絶対に認めてくれなかった。母が出たC高校のビジネス科へ行けと言われた。母の時代は商業科と言ったそうだ。

担任はC高校なら、せめて、国立大学への進学実績もある特進クラスへと言ってくれたが、母はそれすらも許さなかった。普通クラスを受験させられた。

高校へ入ってからも、C高校の普通クラスでは成績が良すぎるということで、2年生に上がるときに特進クラスへの編入を打診されたが、母は絶対に許さなかった。そして、勝手に介護の専門学校への受験手続きを取り、私に介護士になるように言ったのだ。

介護の専門学校なら学費を出してやる。ついでに、これから介護が必要になりそうな祖母の介護も任せてやるとか。

高校卒業とともに逃げようかと思ったけれども、逃げる気力もなかった。母の言う通り、介護の専門学校へ通い、介護福祉士の資格を取って、介護員となった。

母は家の近くに就職するように迫ってきた。しかし、私と母との異常な関係を心配してくれていた専門学校の担任が、全国展開している介護施設への就職を進めてくれた。

実家の近くにも施設があるからと母を説得してくれたので、母は了承して保証人にもなってくれたが、配属されたのは新幹線の距離のある施設だった。私は初めて母から離れて生活することができた。

母は私が実家近くに就職するのではないと知って発狂して担任に詰め寄っていた。しかし、担任は配属は会社側がすることだから、といって取り合わなかった。実は、担任が私の家庭事情を会社側へ伝えて、遠方へ配属するように取り計らってくれていたのを私は知っている。

母は会社にも何度もクレームを付けたようだが、大手企業の子会社だから、クレーマー対策も万全で、母は結局黙るしかなくなってしまったようだ。

私は就職して初めてのお給料が出たら、今まで使っていたのとは違うスマホを契約した。今までのは母からの電話やメッセージを受けて適度に相手をするためだけのものにした。着信音と通知音は切っておき、1週間に一度ほど確認して電話をする。

電話ではものすごい勢いで罵倒されるけれども、スピーカーにして他のことをしながら適度にあしらっている。

個室の寮生活だが、会社で用意してくれているシェアハウスの壁は薄い。私の母の異常性はすぐに知れ渡ったが、同情してくれる人もいた。

1時間も母の罵倒を聞いていると、母もしゃべり疲れてくるようで電話を切ってくれる。1週間に一度の儀式だと思って続けているけれども、やはり気分の良いものではない。

誰かがこの電話を録音して上司に聞かせてくれたらしい。上司も心配して、母に引っ越し先を知らせずに転勤しないかと打診してくれている。しかし、あの母のことだ。興信所を使っても私の居場所を突き止めてくるかもしれない。

おそらく意味がないことだから、このままでいいと伝えている。

私の日常はそんな日常だ。とにかく、母からの攻撃をしのぎながら、なんとか介護員としてビジネス優しいを保ちながら働いている。

***

それでいい、それでいい。そう思ってなんとか毎日過ごしていたのに、、、

「あんたは本当に優しいね」

なぜか、そのおばあさんの言葉と手のぬくもりが、私のビジネス優しいの皮を突き破ってしまった。

畜生!いつまでこんな生活を続けるんだ!

いや、介護の仕事が嫌なわけじゃない。母との関係をどうにかしたい。私は優しくはない。あの母からの突き刺さるような言葉で切り裂かれてきたんだ。ビジネス優しいを保てなくなり、いつ自分も言葉で相手を突き刺すようになるのかわからない。

なんとかその時間は、ビジネス優しいを保ち続けて、休憩時間に入った。他の仕事で席を立つふりをして、「関係者以外立ち入り禁止」のドアを開けて、休憩室へ入る。

サーバーからコーヒーをついで、椅子に座って飲み始めると、上司がやってきた。

「大丈夫?なんか、優しいね、って言われたときに顔色おかしくなったよ」

さすがは、海千山千の利用者とスタッフを長年束ねてきている人だ。私の家庭環境も理解してくれている。

「なんか、あのおばあさんが私の祖母に似ていて、母からの言葉が急に心に突き刺さってきて」

私は正直に言う。隠し立てをしても、この人の何でも見通すような鋭い視線には意味がない。

「そうか、仕事は続けられそう?」

「ちょっと爆発しそうかもしれません。」

「カウンセリング受けてみない?」

以前から、上司にはカウンセリングを勧められている。大手企業の子会社だから、そういった体制も整っているのだ。

「いえ、大丈夫です」

なんだかカウンセリングや心療内科を受診するのは抵抗感があるから断った。

「そうか、でも、別にカウンセリングや精神医学なんかに頼るのは負けることじゃないから、個人情報だから誰とはいえないけど、今のスタッフにも結構、かかっている人いるんだよ」

そう言われても、自分はまだそこまで行っていないと思う。だから断った。

「わかった。でも、ちょっと業務をこのまま続けるのは不安だから、2、3日休んで気分転換してみたら?去年から有給繰り越しているのがあるでしょう?去年の分は今年中に消化しないといけないから、明日から少し休みなよ」

戦力外通告だ。「休みなよ」ってのは、「今のあんたにはこの仕事は無理だ」って意味ってのはわかっている。

期限が迫っている有給消化にかこつけてはいるけれども、今の私には大切な利用者の方を任せられない、ってことなんだ。

「わかりました」

「じゃあ、事務の方で去年の分の有給が何日残っているか調べてもらうから、明日からとりあえずその日数はお休みね。去年は1年目だから大して日数ないと思うけど、プチ旅行でもして気分転換してきたら?」

この後は、配置転換だろうか?介護は底辺職とも言われているし、人手不足も深刻だが、メンタル的にお世話が無理な人間が続けていい仕事ではない。

この会社では、社員は全員、グループを統括する会社の社員で、入社するときの契約書で、社員はグループ全体での適所適材の配置を受け入れなければならないと明記されている。

介護職に向いていないと判断された人は、容赦なく適所適材という名の配置転換をしていくのだ。

介護施設以外のグループ会社へ配属される可能性もあるかもしれない。

休憩時間が終わった。今日の勤務時間は残り2時間ほど。残り時間は、食堂でのお世話係ではなく、ベッドメイキングに代わるように命じられた。シフトの途中で役割交代があるということは、そういうことだ。

その日に入っていたスタッフ全員がその意味を悟っていることだろう。

明日から私がこの施設で働くことはないということが。

仕事が終わり寮へ帰る。身体は疲れ切っていたけれども、明日からとりあえず3日間の有給だ。急いで寝る必要もない。

私はラフな格好に着替えて街へ繰り出す。カラオケボックスに入って1人カラオケで歌うことに決めた。

とにかく叫びたかった。シャウト系やとにかく大声で発散できる曲を何曲も入れた。

1曲目のイントロが始まる。マイクを手に取る。画面に流れる歌詞を目で追いながら、ひたすら歌いまくる。歌っていると胸の奥から、感情の塊が突き上げてくる。

悲しい、悔しい、嫌だ、逃げたい、死にたい、どうして?どうして?どうして?

涙が溢れてくる。声が涙声になる。歌い続けることができない。私はその場に突っ伏して号泣し始めた。

涙は止まらない。大声を上げて泣く。とにかく泣く。大音量のカラオケの伴奏が私の泣き声をかき消してくれる。私はずっと泣き続けた。

入れた曲が全部終わったら、また曲を入れて大音量を流し続ける。

3時間コースで入ったカラオケボックスで、歌ったのは最初の1曲めの途中までだった。

泣いても泣いても涙は尽きない。でも、だんだんと気持ちが楽になってきた。そうだ、負けてたまるか。異動でもいい。この会社にしがみついて、あの母親とは完全に断絶してやる。何が何でも逃げ切ってやる。

私はカラオケを一度止めて、スマホで上司へ電話を掛けて、母親には場所を知らせずに遠方へ異動する話を進めて欲しいとお願いした。

上司は「わかった、それでいいんだね」といい、私は「大丈夫です」と答えた。

私は私の人生を生きてやる。介護職もやりたくてなった仕事じゃない。多分、自分には事務職の方が向いているはずだ。どこに飛ばされるかわからないけど、今度こそ、自分の人生を作り上げていくんだ。

上司との電話が終わり少しボーッとしていたら、部屋の電話が鳴った。

「あと10分です」
「1時間延長でお願いします」

私はフロントにそう答えると、今度は前向きな気分になれる曲を10曲くらい入れた。これを歌ったら、私は生まれ変わろう。そして、母親に居場所が見つかったとしても、負けない自分に成長しよう、そう心に決めた。

マイクを手に取り立ち上がってイントロを聴く。私は満員御礼のライブ会場のステージに立つスター歌手になった気分で歌い始める。

そうだ、ここからが私の人生の本当のステージの始まりなんだ。

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