やっぱり溶ける
先日、トイレの洗浄スタンプがあまりの暑さにすぐに溶けてしまって使い物にならない、という話を書いた。
なんか、最近、トイレスタンプ以上に溶けているモノがある気がする。
それは時間だ。
時間がどんどんと溶けていく。
仕事と自分のメンテナンス、家の中を一応維持するための家事をこなしながら、来月に帰ってくるおばあちゃんを迎え入れるための家の大片付けを進めている。
徐々に目処がつき始めてきたけれども、気がつくとほとんど進まないまま、1日が終わっている。
進んでいるんだよな?と疑問に思いつつ、片付けたはずの場所を振り返ってみると、全然モノが散乱したままで、全く片付いていない。
捨てるものを捨てただけで、残すものをどうやって整理したらいいのか、そこがまだまだ見えてこないのだ。
お片付けのプロにお願いするにしても、まだ依頼できる段階まで来ていない。
とにかく、自分でできるところまで進めて、自分ではどうにもならないどん詰まりまでたどり着いたところで依頼したいのだが、そのどん詰まりも見えない。
そうこうしているうちに、時間はどんどんと過ぎていく、時間が溶けていく。あれ?もうすぐおばあちゃん帰ってくるんだよね?介護用ベッドとか、手すりとか介護保険でレンタルする話が始まるんだよね?それまでに設置場所を作っておかないといけないはずなのに、設置できる段階に至っていないこの家の有様。
あ~あ、なんかこのまま無為に過ぎていきそうな私の時間。どうなるのか、どうにでもなるさ、そう開き直るしかないかもしれない。
けれども時間は止まってくれない、いっそのこと、スマホゲームによくある時間を凍結するアイテムが、現実時間にもあればいいのに、という儚い願いも叶うわけもなく、とにかくやることをやるしかないのだ。
まあ、いざとなったら、今まで通り、どうにもできないものは家の隅に押しやって、無理矢理にでもスペース作ればいいんだけどさ。っていう、結局1周回ってもとに戻るような開き直りなのであった。
そして、それでもなんとかなっちゃうさ、っていうのが50年間その場しのぎだけでなんとかやり過ごしてきた私の処世術で、結局それでなんとかなってしまうっていうものなのさ。