ニンゲンであり続けるってことは整え続けるってことか?

何年かに一度は、片付けたり掃除をしたりしているつもりなんだけど、普段使っていないところは、毎日掃除はできない。

普段使っている部屋も、掃除機くらいはかけるけれども、部屋の隅や天井の方までこまめに綺麗にできるわけでもない。

だから、1年に一度の大掃除って必要なんだろうけど、年を重ねるに連れて、なかなか思うようにできなくなってくる。

家事の主戦力だったおばあちゃんは要介護状態になり、私自身も年齢なりに、身体のアチラコチラが痛くなったり、しんどくなったりして、なかなか若い頃のようにセッセコと動くことが難しい。

ついつい、めんどくさくなってしまい、ここ数年、全く手を付けていなかった部屋の大掃除を思い切って始めてみたら、これがまた大変だ。

1年に1回、ちゃんとやっていれば、そんなに部屋の隅や電気の傘に溜まったホコリもそんなに気にならない。ハタキで天井から電灯の傘から壁から適当にホコリを落として、掃除機で吸い取って、フローリングは水拭きとワックスでもかければ大丈夫だ。

でも、1年に1回の大掃除をサボっていたところは、ホコリの量が半端ない。棚や本棚の本の上にも、今までに見たことがないようなホコリが積もっている。

1年に1回、ちゃんとやっていれば、軽くホコリを落とすだけで良かったのに、ホコリの層がくっきりと目に見える程度になっていると、もう目を背けたくなる。やりたくなくなる。

でも、今年もサボったら、来年はもっと酷いことになるだろう。決死の覚悟でホコリを落とす。もうもうとホコリが舞い散る。マスクと帽子をしておけばよかったと、喉がホコリでいがらっぽくなって反省する。

なんか、以前、テレビかラジオで、「人の生活っていうのは、毎日毎日、整理整頓や掃除をしてしっかりと整えておかないといけません。自然のままでいい、って放置しておくのは違います」なんて言っていた人がいたような気がする。

子どもの頃、親が良く言うと自然放任主義、一般的な見解ではサボってばかりのだらしない人間で、ちゃんとした日常的な整理整頓や掃除の大切さをしつけられてこなかった。

そのためか、部屋の中も自然放任的でいいじゃん!ってなってしまいがちなんだけど、やっぱりそれじゃすぐにとんでもない状況になってしまう。

ニンゲンとしてニンゲンらしくあり続けたければ、身の回りは整え続けるしかない、でもなぜか整えるべき場所が多すぎて、もうパンクする。さて、どうすれば、快適にもっと楽に生活を整え続けるか、ニンゲンらしくあるって、ちょっと面倒、って気もしなくもない今日このごろ。


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