大吉原展(東京藝術大学大学美術館)
プチ炎上したお陰でむしろかなり宣伝になったんじゃなかろうか。土曜の昼過ぎということもあり大盛況だったよ。どちらかというと女性客の方が目立っていたような。「春画展」なんかもそうだったよな。
展示会ポスターはあの福田美蘭さんの描きおろし。これは一癖ありそう…(んなこたなかった)。
まずは歌麿作品がたっぷり見れた。
ずらりと並ぶのは遊郭の遊女の一日を時系列で描いた浮世絵連作。なんでこんなにつぶさに観察できるんだ、住んでたのかよ?と思ったらほんとにそれに近かったみたい。ロートレックとかドガみたいなものだな。そういやそんな話聞いた気もするな。
千葉で見てきた元旗本の絵師鳥文斎栄之さんの作品もたくさんあったね。
中でも強烈に印象に残るのが重要文化財
高橋由一 《花魁》
高橋由一
《花魁》明治5年(1872)
ここ東京藝術大学の持ち物なのね。妙に色とかきれいだなと思ったら最近洗浄されたのか。
高橋由一さんてあの「鮭」描いた人だよね。モデルになった花魁さんは完成した自分の肖像を見て「わたしはこんな顔してませんでありんす」といったとか言わないとか。こういうの肖像画あるあるなんだけどね。モナリザだってご本人はなんと仰ったか(モデルが誰か問題はさておき)。
やっぱり写実的な肖像画ってこの時代にはほとんどなかったはずだから、恐らくかなりご本人に似ていたはずだがあまりにリアルでショックを受けたんじゃないか。
この絵の(重厚な)雰囲気は岸田劉生(1891~1929)「麗子像」あたりに似ている。「麗子像」も見る人の第一印象は「なんかブキミ〜」だろうから、西洋画を見慣れていない当時の人の感想はさもありなん。
ちなみに高橋由一さんは1828〜1894年に生きた方。1891年生れの岸田劉生さんのおじいちゃん世代だが絵の雰囲気ほとんどが一緒だね。日本人として洋画を学んですぐだったろうにこれだけ完成度の高い作品を描けたのだからこの作品や「鮭」とかが需要文化財になるのもなるほどなんだ。
いずれにしろこの花魁さんはとてもいい絵だ。正面を見据えていない斜めの目線で、高級娼婦の憂いとプライドのないまぜになった表情。
身に着けているのは一部毛皮っぽい感じだけど部分的に毛皮を付けた着物ってあるのだろうか。狐のマフラーとかではないと思うのだが。
そしてもうひとつの見どころがかの
喜多川歌麿 《吉原の花》
喜多川歌麿
《吉原の花》寛政5年(1793)頃
ワズワース・アテネウム美術館所蔵
箱根で見て以来だな。あそこよりガラスケースがない分近くで見れたのが嬉しい。
そういや、歌麿はこの作品を含めて吉原・品川・深川の三部作を制作していた。気が付けばちょっと前に虎ノ門で見た広重さんの三美人も吉原・品川・深川だった。三大遊郭?をセットで描くのが流行りだったんだろうか。
この企画展を見た時も気になったことに、なんできれいなお姉さんのそばには常にハゲ(禿)がいるんだ? 違う、そうじゃないw
でも 禿=ハゲ と 禿=かむろ は同じ字だよね。なんでだろ。禿=おかっぱ って意味が最初で、遊女のお付きの子供がしていた髪型から「禿」と呼ばれた? んじゃなんでハゲの意味もあるんだ? おかっぱ頭ってヅラっぽいから? なかなか深いな深くない?
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辻村寿三郎 江戸風俗人形
吉原を模したジオラマ模型がありここは撮影可。
これらのお人形の制作者はなんとあの辻村寿三郎さんということで、そうだよねあのNHK人形劇の「新八犬伝」の人だよね。これはこれはなつかしい…。仁義礼智忠信孝悌〜〜♪
人形劇はさすがにもうおぼろげにしか覚えてない。ほとんど指摘する人はいないが「ドラゴンボール」が玉を集めるのは「八犬伝」から来ているところもある。
原作の『南総里見八犬伝』は北斎が挿絵を描いたんだよね。
もう15年近く前の記事だな
北斎
歌麿とかはたっぷり見れたが北斎はないのかなと思ってたら、展示の最後に一枚ポツンとあった。
後で作品リスト(PDFで落とせる)見たら北斎の浮世絵は4枚あったみたい。混んでたし浮世絵の数多くて見逃してた。
《百人一首 うばが絵説 藤原道信朝臣》天保6年(1835)頃
商売人がその日の店じまいとともに吉原に繰り出し、夜明けと共に籠飛ばしてまた帰っていくの図らしい。タクシーでギロッポンから帰る朝帰りみたいなものだな。いつ寝るんだよ。オトコって昔からバカね。
いろいろ懐かしい出会いがたくさんだった。まったく予期していなかったよ。