2留した院生の「まだ学生」という葛藤
どうもこんにちは。今年で26歳になる大学院生をしている者です。
普通なら24歳で修士課程は修了ですが、わけあって2留した上に大学院まで進んだスロースターターです。
この年齢で大学院生をやっていると、よく親族から「●●くん、まだ学生やってるんかい」ということを良く言われたりします。
親族の中でも院まで進んだのは自分しかいない中で親には院進を許して貰い、今も勉学に励んでいられるのは本当に有難いことだと身に染みて感じています。
しかし、26歳にもなって社会にも出ず学生をやらせて頂いていることに負い目を感じていることもまた事実です。
同期の結婚や年収1000万を越えなどの報告がちらほらと耳に入ってくる中、まだ学生の自分は何者でもない訳ですから、自分が本当にちっぽけ存在に思えてきて「なにやってんだおれは」となるわけです。
また、僕と同じような状況下で負い目を感じている人も、少なからずいるような気がするのです。そんな負い目を感じている方に向けた自分の考えや割り切り方をこの記事では紹介できればと思っています。
※本記事は留年した時の開き直り方に関する内容が含まれています。
記事を見て「いや、自分の弱さを棚に上げて開き直ってるだけじゃん」と感じる方もいらっしゃるかと思います。ただ、留年した時ってうまく開き直れないとめちゃくちゃ心苦しい状態に陥ってしまうのです。僕自身がそうだったので、同じようになって欲しくないという願いから記事を書きました。
この記事は留年や社会人になるタイミングを逃して負い目を感じている人のうまい立ち上がり方を知るヒントになってくれたら存外の喜びです。
僕に似た悩みを持つ人に、この記事が届くよう願いを込めて。
「海外では普通」が「親族では特殊」
よく休学・留年をしてインターンなどで経験を積むことは「海外では普通」といわれていますね。
僕自身もこの価値観いいなと思いつつも、何か負い目を感じたときに「海外では普通」系の記事を見て、ヤバい草を吸うかのように気持ちを楽にしていました。
ただ、いくら僕が親族の集まりで「海外では普通」とは言えど、親族という限定されたコミュニティ内では特殊ケースでしかないのです。
余程のフリーダムな家柄じゃない限り「いやそんなん知らんわ」と一蹴され、将来設計の再考を提示されるのが関の山だと思います。
ちなみに、幼い頃から育ててもらった親族からの言葉は、言われた側にはとても重くのしかかります。
現実を直視したくても、あえて直視してこなかった部分を言語化して伝えてくれるので、なおさら突き刺さるのです。
ただ、決して忘れてはならないのは、皆さん悪意は全くなく、それどころか自分の将来を案じて「心配してくれている」というのが大前提にあるということです。
では、そのような指摘をどのように受け止め・割り切ればいいのでしょうか?
起こった事象は「しょうがない」
僕は、このようなご指摘に負い目を感じたところで「しょうがない」と思っています。
何を言われようと、選んだ人生の選択は戻らないので「しょうがない」。
この一言に尽きると思います。
ましてや僕は院進学した2留というとんでもないスローペース人間なので、「しょうがない」と思いながら年に数回しか会わない親族(や同期)のサンドバックになっている気がします。
何より親族は近くで自分の成長を見守って頂いた方々でもあるので、口出しする権利は大いにあると思っています。
だからこそ、起こった事象はしょうがないという立場を取った上で、相手の言った事を「そうですね」と全面的に聞き入れるしかないと思っています。
ただ、ここで大切なのはあくまで「全面的に聞き入れる」ことで、聞き入れはするけれども、あくまで一意見として参考にするということです。
よく伺うのが「ほんとうは●●したかったけど親族に言われたから××した」というケースですが、これは「全面的に受け止めてしまった」状態に相当します。
留年するしないに関わらず、このような状態に陥ってしまう方も多いと思うのですが、これでは自分で選べたはずの選択肢を選べなかったことへの後悔が経年と共に肥大化し、いずれ自分を苦しめてしまいます。
恐らく、留年を受けてから親族や知人から様々な意見やご指摘が沢山あるかと思います。
ただ、数ある意見や指摘を踏まえた上で、どういう行動をとるかは全て自分次第というのは忘れないで頂きたいのです。
なぜなら自分の人生を選択できるのは、この世で唯一自分自身しかいなのですから。
では、なぜ「しょうがない」と思うのでしょうか?そこには明確な意思があるからこそ、しょうがないという前提が踏めるのだと思っています。
モラトリアムをしてまで得たかったものは何か
僕は社会に出るタイミングを遅らせてまで、得たかった・学びたいものがあるからこそ、プライドを捨てサンドバックになれているんだと思います。
なぜ大学院に行くか、なぜ卒業時期を遅らせたのか。そこには「自分の理想とする都市やまちをつくるため」という明確な理由がありました。
僕は高専では土木工学を学び、大学では編入して建築デザインを学びました。大学の進路を考えた際に「政策・経済も学ばなければ都市を学んだと言いきれないな」という思いがあり、都市に関する学問のジェネラリストになるべく大学院に進学しました。
また、大学院修了間際に千葉県館山市というポテンシャルに満ち溢れたまちに出会い、館山でゲストハウスのスタッフをすべく卒業時期を遅らせました。
ご縁あって伝説のマイクロデベロッパーの方と、狩猟で地域を盛り上る猟師の方に弟子入りさせて頂き、まちづくりの実践を一から学ばせて頂きました。
今や同志の方も集まり、館山駅東口の活気を取り戻すべくまちづくり会社を今月末に設立予定です。
-合同会社すこっぷ(まちづくり会社) 経営理念資料-
このように、自分には院進学・留年をしてまでも成し遂げたいことがありました。だからこそ何を言われても簡単には折れない心を確立できたと思っています。
僕は26歳になっても学生をしている「甘ったれた人」だと思います。
ただ、院進学・留年をしたからこそ出会えたご縁があるからこそ、僕は成し遂げたい理想に少しづつ近づけているような気がするのです。
もし自分と同じような状況で葛藤を抱えている方がこの記事を観て、少しでも勇気を与えることができたとしてら心から嬉しいです。
僕に似た状況の人が、少しでも救われますように。