私が大切にしている3つのこと
私は30歳の時、突然の脳梗塞で左半身が不自由な身体になった。
2014年3月、突然ひどい吐気に襲われ、救急病院に搬送された。
しかし、吐気止めの薬を投与されたのみで、半身を動かせないにも関わらず無理やり帰宅させられ、その後も吐気は止まらず最後は血を吐いた。
救急車を呼び、別の病院へ搬送され、そこで「脳梗塞」と診断された。
血栓を溶かす薬でなんとか救われたが、私の左半身は運動失調症という筋肉のコントロールができない身体になった。
左手左足を動かそうとすると「震え」があり、思うように動かせない。
突然身体が不自由になり、私はいろいろなものを諦めた。
いろいろなものが「出来ない」身体になったからだ。だから、「これだけは…」と思うもの以外は諦めた。そうしないと、そう考えるようにしないと、やっていけないのだ。
そして、「出来ない身体」になって、「出来る身体」の時にしなかったことを悔やんだ。
いつでも出来たはずなのに、どうして何もしなかったのか、そんなことを思っては自分を責めた。
そしてその年の年末、私の身体にまた厄介ごとが起きた。
12月のある日、下腹部に起き上がれないほどの痛みが生じた。
近所の婦人科で診てもらうと卵巣が腫れていて、結局大きな病院に紹介状を書いてもらわなければならない状態だった。
卵巣に血が溜まっていた。
チョコレート嚢胞というらしく、その腫れはそれからどんどん大きくなり翌年手術をすることとなった。
私は、「脳梗塞で半身不自由になるなんてことがあったのだから、当分大きな辛いことはないだろう」と思っていた。
でも手術をすることになった。
このことで、「自分の身体はいつどうなるかわからない」と真剣に思うようになった。
当たり前のことではあるのだけれど、「明日生きている保証」なんて、誰にもないし、どこにもないのだ。
「今」は奇跡なのだ。
私は、「今」を大切にしたいと思うようになった。
いつ「今」を失うかわからないのに、「今」を大切にしないでどうするのか。
過去はもうどうにもできない、未来はどうなるかわからない、でも「今を大切にする」ことはできる。
そして、そもそも奇跡の「今」という時間は何によって支えられているのかを思った時、これまで関わってきた「人」のおかげであることに気が付いた。
例えば両親のおかげで存在していて、友人のおかげで救われることがあったりして、仕事を与えてくれる人のおかげで生活できたり、辛い経験も糧になっていて、何気ない言葉にほっとしたりすることもある。
そんな「人」のおかげで「今」があるのだとハッとした。
「今」ここにいる「自分」は、たくさんの「人」のおかげで生かされている。
「人」のおかげで生かされていて、それは「人の想い」のなかで生かされているということ。
これまで関わった全てのどれか一つでも欠けていたらきっと「今の自分」は存在しないのだ。
「人」はどれほどありがたいことだろう。
だからこそ「人」を大切にしたい。自分のことを大切に思ってくれる人はとてもありがたい。
そして、そんなたくさんの「人」のおかげで「今」を与えられている「自分」は誰よりも自分が大切にしなくてはいけないと思った。
たくさんの「人」のおかげで生かされている「自分」のことは自分自身が誰よりも大切にしなければと思う。
自分の身体も、自分の心も、自分自身が誰よりも大切にできる存在なのだから。
私が大切にしている3つのこと。
それは、「今」と「人」と「自分」だ。
「今」は今しかなくて、「自分」も「人」もずっといるわけではない。今いる自分も、今そこにいる人も、当たり前にいるわけじゃないのだ。感謝以外ない。感謝しかない。
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