なんだかちょっと寂しくなった? 釜ヶ崎散歩③

※ なんだかちょっと寂しくなった? 釜ヶ崎散歩②からの続き

 西成警察署を離れて、歩いてた人に西成あいりん労働福祉センターのおよその方角を尋ね、ぶらぶらとしながら向かうことに。

13時を過ぎてしまいお腹が空いてきたが、食事するところについての下調べを全くしていなかったため、とりあえず我慢。

銭湯の隣にあたりで人の出入りが少しあるようので見てみたら、

 アパート日光荘、これは簡易宿泊所というよりも簡易アパートなのだろうか。おじさんたちが2~3人づつぐらいで楽しそうにしゃべりながら、出入りしてゆく。更にその隣にはローソンもあってなかなか便利そうだ。

 ローソンで飲み物を補給して、そのブロックをぐるりと回り込み、簡易アパートや福祉アパートを横目に、なんとなく気になった細い路地へ。

すると…

小さな土地に金網。金網には『釜日労 釜ヶ崎日雇い労働組合』の看板が。

 この日は8月12日。何日か後に沖縄基地問題ウォッチャーの間で釜日労に注目が集まるようなニュースが2つ立て続くとは、おしゃかさまでも気が付くまい。

 「戦争法廃止!」「止めよう NO BASE 辺野古埋め立て」「奪うな!原発事故 被害者の住まい」「U.S. BASES OUT NOW!!」と書かれたものが貼られており、ネトウヨ淑女の私からすれば「いぇーいめっちゃサヨク~」な文字が並んでいる。

(´・ω・`) ええ、ええ。こういう張り紙は大好物ですとも。

 よく見れば、電話番号の先頭につけられた電話マークが手書きだ。ちょっとかわいい。

 釜日労の風景を堪能し、路地を出て右へ。

 「三徳寮」は、今の場所から南下した西成区天下茶屋にて明治45年に「自彊館」としてスタートして以来の歴史を持つ救護施設である。名前の由来は、自彊館の生みの親である中村三徳。大阪府警察部保安課長や難波警察署長などを務めながら自彊館の運営に奔走し、警察を辞した後も社会事業に携わった人物である。

 花が並んだ壁面を眺めながら歩き、

 市営萩野茶屋第二住宅の前を通ると、金属製の塀に…

突如現れる西成の知性。何故が数式がいくつも書かれている。

 道沿いに干される布団。市営萩野茶屋第二住宅の敷地で野外生活を送っていると思われる人が数人、影で寝ていた。

 市営萩野茶屋第二住宅の向こうに見えてきた大きな建物が、第二の目的地である「西成あいりん労働福祉センター」だ。

※ 「なんだかちょっと寂しくなった? 釜ヶ崎散歩④」へ続きます。