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響き合う回向の呼びかけ
願以此功徳(がんにしくどく)
平等施一切(びょうどうせいっさい)
同発菩提心(どうほつぼだいしん)
往生安楽国(おうじょうあんらっこく)
これは「正信偈」というお経の最後の一節で、浄土真宗のお寺でお経を聴く機会の多い人にとっては「あぁ、きたきた(お経もこれで終わるぞ)」と、打たれる磬子の響きと合わせて聴き慣れたお馴染みのパートかもしれません。
意味をほどけば、「ここによき振る舞いと行為をもって一切に施し、仏道に向かうすべてが安寧の世にあれますように」といった内容です。このように八方へまなざしを振り向けて、あまねく安寧を願うことを仏教では「回向(えこう)」と呼びます。
宗派によって唱える言葉は異なりますが、日本仏教はいずれもお経の最後にこうした回向文(回向する言葉)を添え、総じて時空を超えた万物の安穏を願っています。
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国連の査定* に基づくと、
- これまでの5万年に生まれた人の数は1,000億人
- 今、この地球上に生きている人の数は77億人
- これからの5万年に生まれる人の数は67,500億(6.75兆)人
という。(*21世紀の年間平均出生数を1億3500万人に安定させた場合)
これらの統計上の数字は、世界の人口がいかに増加傾向にあるかも見てとれますが、驚くべきは、この瞬間にも、どれだけの人々の存在が前後に連なっているかということです。
あえて場所と時間を区切って「人間の数」を並べているものの、本来時間に区切りはありません。対象を人間に限定せず、連なるいのちを思えば到底カウントし得ない圧倒的な世界があります。いつどこのどの瞬間を切り取ってみても、あらゆる「今」には縁起のはたらく広大なネットワークが広がっていることに気づきます。
そうした連続性に誰もが身をおいていて、誰もが「過去にとっての子孫」であり、同時に「未来にとっての祖先」でもあるわけです。過去や未来に回向する「私の今」は、過去や未来から回向されている「私たちの今」でもあります。
子孫でもあり祖先でもある私と私たちの「今」を、いかにあるかを問うているのが「グッド・アンセスター」の問いかけです。書籍『グッド・アンセスター』の副題「わたしたちはいかにして「よき祖先」になれるか」は、「私」を超える視座をもちながら、私たちの自ずからしからしむる道を願い、応えてゆくための回向文に代わる「呼びかけ(Calling)」となるだろうと私は受けとめています。
こうした視座は「メタ認知」とも言われますが、これは思考がつくるものではなく、妄想や空想に耽ることでもなく、身体を含めた全体性をもって感受する「日常」に支えられた意識です。安寧を願うことのできる私であるには、自らの心や身体、関わり合いがここちよく循環するようととのえることが必要で、日々の暮らしの習慣は、すべて支える大切な土壌となります。
「日常」には、家族や同僚、友人といった身近で特別な人との関わりから、衣食住を支える町や自然、社会など、人間関係に留まらない無数の縁が取り巻いています。歩みを止めて時間を覗いてみるとどうでしょう。
「過去」をたずねて振り向けば、今は亡きたくさんの先祖が名を連ね、その一人一人は無数の存在とつながっていて、膨大な祖先が広がっている。やってくる「未来」に思い馳せれば、未知なる縁の世界です。連ねる名こそありませんが、名もなきままに招き、迎える可能性は果てしない。
私たちは、どんなに孤独であっても決して孤立無縁ではなく、いかなる時も連なりにあることに気づく時、その有難みは深い安らぎと自由を「今」にもたらします。道を照らし、自由に歩む力になります。
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漢文学者として漢字研究に生涯を捧げた白川静先生が、最も愛した漢字は「遊」であったと言います。「辶」は道ゆく動きをあらわし、「斿」は「吹き流しをつけた旗ざおを持つ子(人)」の姿をあらわし、総じて「旗」もとに人が自由に道ゆくようすをあらわします。旗には祖先の力(氏神霊)が宿るとされ、「私」を超えたご加護と共にあってこそ、子(人)は地上にあって神のように自由にあそぶことができるさまが示されているそうです。
私も二人の子どもの父親ですが、子どもたちがまだ小さい頃には、よく一緒に公園に出かけました。信頼する誰かの見守りがあってはじめて、子どもは初めての場所にも徐々に慣れ、いずれ自由に駆け回れるようになるものです。動き出そうとするいのちの波や躍動を抑えて、正しさに従って生きることが、よき子孫・よき祖先とは限らないのかもしれません。
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