Ubud Writers and Readers Festival 2024
本好きの方、「Ubud Writers and Readers Festival(UWRF)」を知っていますか。
https://www.ubudwritersfestival.com/
もし知らなかったら、ぜひこれを機に、興味を持ってもらえると嬉しい。
「本というメディアの可能性を、再発見できるフェスティバル」というのが、私の印象だ。
UWRFは、インドネシア・バリ島の古都Ubudで開かれている、世界三大著者フェスティバルの一つなのだそう。が、私自身もこれまで何冊かの本の著者であるにもかかわらず、不肖、全くその存在を知らなかった。2024年の今回、初めてその招待を受けて著者・スピーカーとして参加してきたので、報告したい。事務局から聞くところによれば、アジア圏に特に力を入れているフェスティバルなので、日本の著者ももっと招待したいと思っているのだけれど、英語が話せる著者が少なく、いつも日本人スピーカー探しに難航しているのだとか。なるほど、他にいくらでも日本人の優れた著者がいるはずだけれど、私に声がかかったのは、「英語が話せて、わかりやすく日本的なコンテンツを持っている」という理由だったのだろう。とにかく、こうして呼んでもらえたのは、ラッキーなことだ。
UWRFは企業スポンサーも募っているものの、商業性はそれほど高くない印象で、基本的に、バリ島(特にUbud)の市民主導で盛り上げてきた手作り感のあるイベントだと思う。とはいえ、すでに20年以上の歴史を持ち、イベントとしてもそれなりに運営が洗練されている。各スピーカーにはそれぞれ、リエゾン・サポーター(滞在中に必要なあらゆることをサポートしてくれる担当者)がつき、移動の手配から食事の相談まで、Whatsappですぐにレスポンスしてくれる。到着時の空港の送迎から、すべてとてもスムーズに事が運んだ。
こうしたフェスティバルにおいては、登壇者にもフィーが支払われることは少なく、交通費と宿泊費などの旅費だけカバーされて、あとは自分でやりくりしてね、というパターンが多い。UWRFは、国毎にいろいろな国際機関とコネクションを作って、たとえば日本人であれば国際交流基金(Japan Foundation)がスポンサーとなってスピーカーの旅費をカバーするような形で、運営経費を賄っているようだ。私の旅費も、国際交流基金さんによる支援のおかげで賄われた。感謝。現地では、国際交流基金のジャカルタ支部から担当の関さんが来られて、私のセッションを聴講してくださった。ちなみに!スピーカーなので待遇が良さそうに思われるかもしれないけれど、こうした時の飛行機は(私の場合は)基本、エコノミークラスだ。というか、私の人生において、ビジネスクラスはほとんど乗ったことない。
一方、ホテルはこうした場合、いわゆる高級ホテルではなくでも、何かしら、面白いローカル要素を入れてくれる事が多いかもしれない。私は今回、バンブー・インダーというホテルを割り当ててもらった。バタバタしていて事前のリサーチなども一切しておらず、現地に到着してから理解するという体たらくだが、イベント会場から遠いのは少しネックであるものの、鬱蒼とした森と川に囲まれたバリ島らしい竹のコテージで、トイレやシャワーが屋外だったり、朝食会場に行くまでが竹のエレベーターも含めてちょっとした手間だったりと、ここでしかできない体験、自分では出会えない体験をさせてもらえたのは、ありがたいことだった。
空港に到着。蒸し暑い。入国審査まで、歩き出す。見慣れない文字。バリ・ヒンドゥーの飾り物とか、獅子舞みたいな像とかを、通り過ぎる。いきなり「入国ビザ」申請を求められて、焦る。ビザが必要とは知らなかった。複数あるカウンターにはそこそこ行列ができていたけれど、捌き方が適当なので、なぜかラッキーな感じで、誰も並んでいないカウンターにスッと案内されて、すぐにビザが降りた。「空港の出口でドライバーが待っている」とWhatsappで連絡が入っていたので、出口に向かうと、混沌とした中、たくさんのドライバーがたむろしており、手書きでアルファベットの名前を書いた紙を掲げて、声をかけてくる。近頃では、インドでもこういう光景が少なくなっているので、ちょっと懐かしさも覚えた。
私の名前を掲げた札は見つけられず、少しばかり右往左往していたのだけれど、Whatsappでドライバーに電話をかけて、無事に出会えた。ちなみに、私は携帯はRakutenユーザーだ。国内で使っているだけでもオススメだけれど、私のように、年に数回、最大一週間程度の海外出張があるような人には、Rakutenは特におすすめだ。よほどマイナーな国でなければおおよそどこの国でもつながる海外ローミングが、毎月2ギガまで、無料なのだ。実際、ホテルやレストランではたいていWifiがあるので、スマホ回線が必要になる場面は、国内であれ海外であれ、そう多くはない。2ギガあれば、ほぼ不自由や心配をすることなく、スマホでの用事が足りてしまう。そんなわけで、私はこれまでの人生で、成田や関空で借りるようなWifiを使ったことは、一度もない。それでも心配な人は、行き先の国で使えるプリペイドSIMカードを事前に日本で買って持っていくと良いと思う(Amazonなどで買えます)。
ピックアップしてくれた車は、ダイハツだったかスズキだったか、日本のメーカーであることは確かだけど、日本では見ない車種だった。後部座席に乗ると、座席がツルツル滑って、乗り心地はあまり良いとはいえない。でも、それで十分。目的地まで無事に運んでくれれば、他に望むことはない。運転の仕方は、インドに近い。車線を気にせず、空いているスペースにどんどん突っ込んでいくスタイル。車の揺れに身体の角度を合わせながら、乗りこなす。
バリ島の国際空港から1時間ほど車に揺られて、ホテルに着いたのは午前1時頃。暗闇の中、受付の人の後について、草が鬱蒼と生い茂る中に敷かれた石畳を歩いていくと、木や竹で作られたコテージに着いた。蚊帳つきのベッドに、屋外シャワー&トイレ。カエルの鳴き声がうるさいので、アメニティには耳栓までついている。自分は期間中、忙しくてプールも川遊びもしなかったけれど(忙しくなくてもあまりしないけど)、これは自然の中でのんびりしたい人にはとてもいい場所なのではないだろうか。
Ubudという土地は、ヒンドゥー教が強いバリ島の中でも、宗教的要素が文化や風土に色こく反映された土地。縦に流れる川とそれに沿ってアップダウンする丘陵がダイナミックな景観を作り出していて、その分、大規模な開発は進まずに道も狭くて中心部は渋滞も多い。なので、東南アジア版のUberのような”Grab”というアプリを使ってバイクタクシーを呼び、ヘルメットをかぶって二人乗りさせてもらうのが、一番スムーズに移動できる。3〜4キロなら150円くらいで乗せてもらえるので、便利。
UWRFの会場は、Taman Bacaと呼ばれる歴史的な場所で開かれる。ここを拠点に、フェスらしく、複数のサイトが設定され、参加者はあっちに行ったりこっちに行ったり歩き回りながら、目当てに作家との交流を楽しむ。街全体でスペシャルイベントも行われており、日本だと、Kyoto Graphieという京都の町中で開かれている国際写真祭のイメージにも近い。著者は何かしらのセッションに出て、スピーチとか、パネリストとかをやるのが一般的なのだけれど、私はメイン会場にて、アートパフォーマンスのようなものとして、ゲリラ的に掃除をするということをしていたため、今回はほとんどUbudの街を見ずに帰ってしまったのは、ちょっと残念だ。
と、ここまで、可能な限り、旅日記っぽく書いてみたのだが、力尽きたので、今回は旅要素はここまでとする。
著者としても、いろいろな本の著者と直接出会えたのは、素晴らしい体験だった。
・ 旅ライターのAgustinus
・ ベストセラー作家のAmitabh Gosh
・ ノーベル平和賞受賞のMaria Ressa
・ 日本人と英国人のルーツを持つ経験から初の小説を書いた、Hanako Footman
・ UCSBで道教を研究する、Jin Young Lim
・ 出版社の起業家でありイスラム研究者のHaidar Bagir
・ ナーランダーに住む多才なインド人作家、Abhay K
パレスチナのジェノサイドの記録を本にしたAtef Abu Saif
このフェスティバルを始めたJanet DeNeefe
フェスの立役者のHannah Curtis
印象に残っているのは、スーフィズムの話だ。このフェスに来る前、Young Global Leadersのサミットでもムスリムの友人と仏教とスーフィズムの関係性について話したばかりだった。そうして、Ubudに来てみると、やはりイスラム研究者のHaidarから、仏教がスーフィズムに与えた影響についての話題が出て、トシヒコイズツ(井筒俊彦)やサチコムラタ(村田幸子)という具体的な名前も出て、偉大な日本人研究者がイスラーム研究に世界的な貢献をしていることを、改めて知ることとなった。
スーフィズムでは自我から離れ、神との合一を究極の目標とする。神との合一の境地は「ファナー」(消滅)と呼ばれる。これは自我が完全に消滅し、神の存在の中に溶け込む神秘体験を指す。神との合一を達成するために、スーフィーは様々な修行を行う。例えば、ズィクル(神の名を唱える祈祷)、瞑想、禁欲的生活、回旋舞踊(セマー)などの身体的実践、などだ。ここには、いわゆる教団宗教・組織宗教とは違った、イスラームの流れがある。
このところ、アニミズムや神秘主義を求める世界の潮流を強く感じる場面が多い。何かを対象化してそれに対して決めつけのラベルを貼り、内と外を分けて敵味方で対立するような、固定的なモノの捉え方の限界が、さまざまな場面で現れているのではないかと思う。私は登壇したパネルで「指月のたとえ」の話をした。月が真理だとしたら、その月は決して言葉で表すことはできず、あくまで聖典などの「指」が示す輪郭を通じて浮かび上がるものであるということ。
「指」の示す輪郭は、文化、歴史、風土等、文脈や環境に応じて多種多様に現れる。それらを数学的に表現されたベクトルで集める LLM(大規模言語モデル)の生成AIが、広い意味で言語を破壊しつつあることは、人間にとって吉と出るか凶と出るかわからないが、いずれにしても、それがアニミズムや神秘主義の台頭と連動していることは、確かだと思う。
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