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対談:オードリー・タン × 松本紹圭 〈3〉

〈1〉 グッド・イナフに今日を生きる/今日の世界と未来の世界に共有を
〈2〉 重要なのは「space」キー/アニミズムの世界観へ変容する時を迎えて
〈3〉 よき祖先となるために、終えてゆくもの/AI時代に私たちが育む、キャンバスを描くリテラシー/何を望むかによって、掃除の仕方は変わる

よき祖先となるために、終えてゆくもの

紹圭
ここで、「よき祖先」になるための別の方法を考えてみたいと思います。よき祖先になるために何ができるかと問い掛けると、多くの人は、未来世代のために何を遺産として残せるかを考えます。それを考えるのは良いことですし、素晴らしいです。同時に、私たちは何を止め、何を終わらせ、次の世代に何を「残さないか」を考える必要があります。つまり...

オードリー
汚染のような公害とか。

紹圭
ええ、公害とか、GDPとか。

オードリー
GDPは公害のようなものですね。

紹圭
そこで、(終わりを弔う)葬儀を行う日本仏教の僧侶としてお尋ねします。「あなたは何のために葬儀をあげたいですか?公害でもGDPでも、どんなことでも構いません。

オードリー
そうだな、素晴らしい問いですね。
人間優位の発想ーーあらゆる次元における「人間の優位性」に終わりを告げて、葬儀をひらくのはどうでしょう。「人間の優位性」が安らかになる時が早いほど、私たちは早いタイミングで自然が織りなす Fabric へと還ります。

紹圭
つまり、必然的にということですね。

オードリー
はい、必然的にです。いずれにしてもそこへ行かなければならないのなら、今日でいいでいいね?

紹圭
その日を延ばすな、と。

オードリー
ええ。思うに、あなたがホスピスのようなものを提供できれば、思想家たちも楽になって、ケアを受ける間に何かいいことを見つけられるかもしれない。

紹圭
今日葬儀をひらくのは、あまりに痛みを伴います。

オードリー
そうですね。「人類の優位性」のほんの一部のための葬儀でしょうか。私たちは、コンピューターはとても上手なゴルフプレーヤーになれるということを理解したばかりです。これは、少し前にひらいた葬儀ですね。将棋やチェスもそう。なんだかもう一昔前のことのように感じますが 、“AlphaGo" や “AlphaGo Zero” * 、ゲームや文字起こし、音声合成翻訳など、多くの登場に合わせて私たちは葬儀をしました。 人間が優越感を感じる要所要所で、これからますます小さな葬儀がひらかれていきます。 一度に大きな葬儀をする必要はありません。

* AlphaGo / AlphaGo Zero
AlphaGo:Google社 DeepMind が開発したコンピュータ囲碁プログラム(2015)
AlphaGo Zero:同社開発の「AlphaGo」新バージョン。人間の熟練者から得られたデータを使わないことで、人間の知識の限界による制約を外した。(2017)

紹圭
確かに。人間の優位性の葬儀は必要そうです。しかし物事は互いに共鳴しますから、人間同士においても、多くの人がこの発想に固執しています。つまり、自分は他人よりも優れていなければならないという考えです。

オードリー
それは「Tic Tac Toe(三目並べ)」ゲームをしているようなものですね。3歳か4歳の子どもにとっては、自分がよくできるプレイヤーであることは何らかの意味があるかもしれませんが、6歳ぐらいになればそうした発想は卒業します。「僕は世界一のTic Tac Toeプレイヤーだ」とは言いませんよね。

紹圭
もうひとつ、私はよく人から成長や目的、夢、目標について尋ねられます。 今日一日を生きるあなたにとって、目標や目的、夢とはどういう意味を持つのでしょうか?

オードリー
そうですね、今夜の私の目標は8時間眠ることです。そうでないと、明日、私の子孫はとても混乱した状態で目を覚ますことになります。それは、より小さくて、感情的で、たくさんのもので混み合ったキャンバスで明日を迎えるということです。ですから、明日のために私が果たすべき基本的な責任は、十分に休息をとって眠ること。

そして、今日、私があなたから学びを得たならば、この記録をパブリックドメインに公開することです。そうしておけば、この記録を使いたいと思う人たちも、私たちの許可を取ることなく使いたい時に使えます。レポートを書くでも、マンガにするでも、映画にするでも、自由にしてもらって構わない。だって、「YES」と許可する私はその時いないかもしれないですから。「Permissionless Innovation(イノベーションに誰かの許可はなくていい)」。それが、子孫に向けた私の責任でもあると思います。一方で、知的財産権を主張する人の多くは、未来の子孫を自分のライバルとみなしているようです。「明日も私が使うから、明日あなたは使えない。私が使い終わるまで待て」という感じです。根本的に異なりますね。

紹圭
長期的な思考と短期的な思考、あなたはどちらであると思いますか?

オードリー
「明日」という要素から「自分自身」をRemove(解除する)なら、私にとって「明日」も「次世代」も「7世代先」も同じです。ですから、短期と長期の間にあって自由でいられます。私にとっては、そうした幅の異なる時間軸の価値はだいたい等しいですが、次の四半期を生き抜くつもりでいる人にとっては、7世代先よりも次の四半期の方が重要です。ですから、私は特に、短期思考でも長期思考でもないと言いたいですね。1日の長さを超えるものは、どれも同じです。

紹圭
それは、とても興味深いまなざしです。


AI時代に私たちが育む、キャンバスを描くリテラシー

紹圭
それではもう一つ、質問してもいいですか?

オードリー
もちろん。

紹圭
これは私の感覚ですが、私自身、AI、特に大規模言語モデルのAIに触れてから「リテラシー」の概念が大きく変わったと感じています。私の理解では、ベクトルからテキストを認識するように設計されていて...

オードリー
潜在空間 * からね。

* 潜在空間
ChatGPTによる解説 |
潜在空間(latent space)とは、データの本質的な特徴を抽出して、次元を圧縮した「隠れた」空間のことです。データの表面的な情報ではなく、その背後にあるパターンや意味を捉えた空間と考えるとわかりやすいかもしれません。

紹圭
そう。以前は、私はテキストの細部にこだわっていました。でも最近は日本語から英語、あるいは英語から日本語に翻訳する時、何らかの素材を大規模言語モデルに入力すると、意味は同じでも毎回少しずつ異なる反応が返って来るようになりました。

オードリー
その通りです。

紹圭
テキストは変わっても、意味は同じ。

オードリー
ベクトルは同じです。異なる思想家たちは「同じ月」を見ています。

紹圭
私が言いたいのはまさにそのことです。
「指と月」の喩えにも通じます。「指」は一般的にいうロゴス(テキスト)です。聖書や経典のようなもの。

オードリー
『老子』のような経典ですね。

紹圭
そうです。しかしながら、指(=テキスト)そのものは「月」には届きません。月は言語を超えた存在だからです。

オードリー
もちろん。

紹圭
月は「真理」や「深淵なるもの」など、いかようにも表現することができますが、それらはあくまで言語に過ぎません。ですからどれをとっても、そのもの自体を正しく表しているわけではありませんよね。

オードリー
そうだね。

紹圭
いずれにしても、「指と月」というメタファーがあって、宗教に関わる人は、指に固執しがちな傾向があります。なぜなら…

オードリー
仏教徒は、その点で優れていると思いますよ。「仲間」というより大切な要素がありますから。

紹圭
そうですね。でもまぁ少なくともーー今、私たちはスイスのダボスで録音していますが、さまざまな伝統やバックグラウンドから集まる宗教家たちとダボス会議に参加していて思うのはーー、ここに集まる人々は、困難なことについてオープンに話をします。でも、こういったオープンな場に身を寄せようとしない一部の宗教家は「指」に固執しがちです。「この経典こそ最高なのだ」「このテキストが唯一のテキストだ」と。

オードリー
優位性ですね。

紹圭
そう。よくあることです。しかしながら、大規模言語モデルは言うなれば「指」のようなものですが、この存在、つまり大規模言語モデルのAIは知っています。テキスト自体はそれほど重要ではなく、ベクトルのようなものだと。

オードリー
流動的な

紹圭
ええ、おっしゃる通り流動的です。そういう意味でも、私たちの生きるAI時代は、新しいリテラシーを育む時代でもあると思っています。

オードリー
そうですね。

紹圭
こうした文脈における「新しいリテラシー」について、どのようにお考えですか。

オードリー
表現形式に固執し過ぎると、「キャンバスを、テキストが書かれた世界と同じ大きさ、同じ観点、同じ色に保とう」と言っているようなものです。そのテキスト(例えば経典)が真実を表現する最善の方法であったとしてもなお、書かれた当時の社会的、文化的、言語的環境に縛られています。今、私たちがそれを読む環境はすっかり変わっています。経典に固執する人にとって、今あるキャンバスがより大きいという事実は好ましいことではないのかもしれません。昔のように制限を設けることで、この経典が再び最高の一つとなると考えているのかもしれない。

そうした場合、経典が完璧(パーフェクト)であるならば、完璧なテキストを子孫に継承できるよう世界をこのままの状態に保つことが「パーフェクト・アンセスター」ということになります。キャンバスの完璧な複製です。それに対して、先ほどお話した「観点」というのは、新たに人と出会う度、あるいは8時間眠って目覚めた時に、キャンバスが広がるということーーつまり、その都度解釈をし直さなければならず、新しい「指」が必要になるということですね。ですから、世界を拡大して流動的なものとみるか、あるいは、同じ状態に保たれなければならないものとみるかはまったく異なる世界観だと思います。

紹圭
確かに、おっしゃる通りです。


何を望むかによって、掃除の仕方は変わる

紹圭
私は掃除を瞑想と捉えた本を書きましたが、エントロピーについてお聞きしたいと思います。人間はこれまで長い間、掃除をしないままに実に多くの新しい概念を生み出してきました。

オードリー
その通りですね。

紹圭
ロゴスの世界で、言語のエントロピーは常に…

オードリー
より多くの言語、より多くの言葉にまみれているということですね。

紹圭
...どんどんごちゃごちゃしてくる。このロゴス界の散らかりようについてはどう思いますか? もう、人々にとって消化しきれないほどごちゃごちゃしていると思います。新しいリテラシーの時代が到来すると予想して、この散らばったごちゃごちゃのロゴス界を掃除する必要性についてはどう思いますか。

オードリー
そうですね、私にとって「掃除」とは「ごちゃごちゃを減らす」という意味です。ご存知のように、「Reduce(減らす)」だけが唯一の方法ではありません。「Reuse(再利用)」することも、「Recycle(再循環)」させることもできます。

- 「Reuse(再利用)」する場合、ある概念を別の形で使うということです。「指」も言語や言語モデルを意味するものではなかったように、その概念を再利用するのです。

-「Recycle(再循環)」は、手法ではなく素材として使用します。つまり、言語モデルの助けを借りて、古い概念を素材に新しい概念を生成することです。

あなたが何をしたいかによりますね。もし、自分のマインドを流儀に沿った秩序あるものに保ちたい、頭の中を整理したいというのであれば、「Reduce(減らす)」が明らかに最適です。新たな解釈を望むなら「Reuse(再利用)」がいい。比喩として使って欲しいですが、もし、あなたがまったく新しいものを創りたければ、そこらじゅうがごちゃごちゃしていてもそのままでいい。絵筆を取って、新しいキャンバスにそれらを素材にして描くのです。 珈琲のように見えても、茶色の絵の具として手に取って使えばいい。 それが「Recycle(再循環)」です。つまり、自分がどんな創造をしたいかによって、購入するか、自らが掛け橋になるか、それとも新しいキャンバスを描く画家になるか、相応しい道を選べるのです。

紹圭
不要と見なされているものも再利用できますね。

オードリー
はい。

紹圭
なんて創造的な世界でしょうか。
ありがとうございます。この辺りで終わりにしたいと思います。対話の場に来てくださって本当にありがとうございました。とても楽しかったです。

オードリー
ありがとうございます。心から感謝しています。

紹圭
ありがとうございます。



<VRをめぐるオードリーこぼれ話>

  • VRグラスを装着すると、VR内の自分が恐竜か何かの尻尾を持つような感覚になり、その尻尾が首の後ろの筋肉や皮膚の一部とつながります。1時間もすれば、自分に尻尾があって、振るような感覚が生まれます。自分の体の一部のように感じられる。これは「ホムンクルスの柔軟性(homuncular flexibility)」と呼ばれています。つまり、VRでは、人はまったく異なる身体に憑依することができ、私たちのマインドはその新しい身体に適応するのです。これは非常に興味深いです。現在、進められている言語モデルの開発は、人間のみならず、鳥たちやイルカたちの言語にも及んでいます。彼らの言語を英語に翻訳するに留まらず、彼らの言語に翻訳し返すことも。この分野は非常に興味深いです。

  • 謙虚な気持ちを持つことは出発点であって、それが終わりではありません。2016年に、自分の高忠実度VRスキンを制作した際、最初に開いたのは高校生や小学生を含む若者たちとの会合でした。VRの中で、私は彼らの身長まで身を低くして、お互いに目線を交わし、彼らの身長で校庭を眺めました。 もちろん、人間と人間の関係には変わりありませんが、謙虚な気持ちになります。彼らが私を見上げるのではなく、私が彼らの世界、彼らの視点に入り込むような感覚です。今しばらくは、地球という惑星や木に対して同じ体験をすることはできないかもしれませんが、そうしたいという情熱は重要ですね。

  • 2016年に内閣入りする直前、私は初めてVRを体験しました。宇宙の星図アプリケーションを使って地球の外から地球を眺め、宇宙ステーションの人々が体験するのと同じような強烈な「オーバービュー効果(宇宙飛行士が宇宙から地球を眺める体験が、あらゆる境界を超えて世界が繋がり合う相互依存関係を啓示のように体験すること)」を体験しました。その時、思ったんです。衛星技術がなければ、私たちは地球を本当に大切にすることはできなかっただろうと。地球を大切にするということは、かつては意味のないことだった。なぜなら、私たちは直感的に地球を感じることができずに、自国から汚染物を追い遣ればいいと思っていた。どこか別の場所に移しているだけですが、私たちはその全体を見渡すことができませんでした。衛星やインターネットなどのデータ通信網のおかげで、ようやくその影響を見ることができるようになったのです。ですから、私の飛行機の移動と地球温暖化は結びついているということも、いったんそのつながりが明らかになれば、私たちはよりケアしやすくなる。だから、ケアする能力は同じでも、テクノロジーは、ケアするためのより大きな車が与えてくれるということです。仏教の起源に遡れば、車は一人しか乗れない自転車のようなものだった。今、車は大きくなりました。


本対談の音声は、後日、武蔵野大学100周年記念事業プロジェクト「カンファ・ツリー・ヴィレッジ」のpodcast番組「VOICE」にて公開される予定です。

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