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対談:オードリー・タン × 松本紹圭 〈1〉

対談 オードリー・タン × 松本紹圭
2025年1月 スイス ダボスにて



オードリー・タンと初めて会ったのは、2021年秋、『グッド・アンセスター』の出版を控え、翻訳も終盤を迎える頃だった。とあるオンライン意見交換会でご一緒する機会をいただいた。台湾の若きデジタル担当大臣として社会を創る彼女の視点や発想には目を見張るものがあったが、その日、画面越しにも伝わってくる彼女の人格の大きさと軽やかさは特別だった。

ミーティングの最後、私はこんな質問をした。「これからの人類にとって、私たちが今、本当にもつべき問いとは何でしょう?」。するとオードリーは「どうしたら私たちはよき祖先になれるか、という問いです」と答えた。「社会の誰もが、よりよき祖先になれるような社会的規範の形成とインフラ構築はどうすればできるだろう?」と続け、「より多くの選択肢を残そう」というメッセージをくれたのだった。以来、私たちは友人としてやり取りを重ねてきたが、2025年1月、スイス・ダボスを訪れていた彼女と初めて会合し、対面での対話の機会をいただいた。

本対談の音声は、後日、武蔵野大学100周年記念事業プロジェクト「カンファ・ツリー・ヴィレッジ」のpodcast番組「VOICE」にて公開される予定です。
〈voiceのゲスト紹介サイト〉
https://voicethepodcast.substack.com/




グッド・イナフに今日を生きる


紹圭

あらためまして、武蔵野大学100周年記念事業プロジェクトpodcast番組にいらしてくださりありがとうございます。
今日は、「いかにして私たちは "よき祖先" になれるか」という問いかけから、祖先(アンセスター)との思い出や関係性についてお聞きしたいと思います。ご自身のライフストーリーだけでなく、未来世代に向けた哲学やビジョンについても掘り下げていきたいと思います。

オードリー
ついにお会いできました。高解像度でお目にかかれて嬉しいです。私たちは文通友達のようですね。

紹圭
本当にそうですね。私が『グッド・アンセスター』という書籍を日本語に翻訳したとき、出版の直前にオンラインMTGでお会いするご縁をいただきました。「私たちは、いかにして未来世代にとってよき祖先になれるか」という本書の問いを投げかけるのに相応しい、素晴らしい機会でした。あなたの発言は私の心に深く響き、翻訳者としても驚きました。あなたは祖先をめぐるメッセージをお持ちですね?

オードリー
そうですね。私は「グッド・イナフ・アンセスター」になりたいと思っています。

紹圭
「グッド・イナフ・アンセスター(じゅうぶんな祖先)」と。
まずはそれについて、あなたのお考えやアイデアを聞かせていただけますか?

オードリー
もちろんです。2016年に私が初めてデジタル大臣になったとき、台湾にはそれまでデジタル大臣が存在していませんでした。行政院の方から職務内容を記すように言われて、ニュージーランドのWellingtonで私が書き記したのはこうしたことです。本当に短いものでした。

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- 「事物のインターネット」を、存在を繋ぐネットワークにしていこう。
- 「バーチャルリアリティ(仮想現実)」を、共有できる現実にしていこう。
- 「マシンラーニング(機械学習)」を、共同的な学びにしていこう。
- 「ユーザーエクスペリエンス(利用者体験)」を、人間の体験としてみていこう。
- 「シンギュラリティ(技術的特異点)が近い」と耳にしたなら、どんな時も思い出そう。Plurality *(多元性)が、いつもここにあることを。

- When we see “internet of things", let's make it an internet of beings.
- When we see “virtual reality", let's make it a shared reality.
- When we see “machine learning", let's make it collaborative learning.
- When we see “user experience", let's make it about human experience.
- When we hear “the singularity may be near", let us remember: the plurality is here.

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* Plurality
"Plurality" には文脈によって異なる意味がある。
・多数・複数であること
・(哲学・言語学での)多元性や多様性
・最多数(選挙において過半数未満の最多票)
ここでは「多元性」「多様性」を意味し、異なる多様な視点や考え方を糧にしてもの ごとを展開させる発想の上に、テクノロジーと民主主義の共存を目指す。

これが私の職務内容です。ここにある仕事とは、次世代のためにすべてを解決することでも、「パーフェクト・アンセスター(完璧な祖先)」になることでもありません。「パーフェク」や「最適」が何を意味するにせよ、シンギュラリティに収束するだけでは、未来の世代から可能性を奪うことにもなります。私たちは未来世代のために彼らの人生を設計しようとしますが、Pluralityとは「謙虚であること」を意味します。キャンバスを壊すこともせず、キャンバスが窮屈になるほど描くこともしない。そうすれば、未来世代により広いキャンバスと世界を遺すことができます。世界を締め出せば、世界から締め出されるーー私たちが閉じ込められた世界より、より広いキャンバスを遺すということ。パーフェクト(完璧)でもなく、悪くもなく、「グッド・イナフな(じゅうぶんな)先祖」となるのです。

紹圭
素晴らしい職務内容ですね。

オードリー
ありがとう。

紹圭
おっしゃっていることは、親鸞の哲学と深く共鳴しています。彼は浄土真宗の祖師で、比叡山で悟りを得るため懸命に努力しました。当時、比叡山は仏教僧のための大学のような場で、多くの学生が僧侶になるために学んでいました。親鸞は比叡山で 20年の歳月をかけて修行をしても「自分には執着やエゴを手放せない、悟りを開くことはできない」と明らめて山を降ります。比叡山を降りて町へ出た時、修行を後悔もしましたが、師となる法然に出会い、すべての人に開かれた仏教の道を教わりました。僧侶のためのみならず、「人々のための仏教」と呼べるでしょうか。法然の説く仏教は、煩悩を克服できず悟りを開くことはできないという自らの事実を受け入れます。それでもなお、自力で克服できずとも、仏になる道はあるというのです。ですからこの系譜においては「謙虚さ」が非常に重要です。

ソクラテスの「知るとは、知覚の限界を示す」(I know that I know nothing=何も知らないということを知っている)という哲学に通じます。完璧な人間であろうとする考え方自体、捉えどころがありません。

オードリー
そしてとても限定的です。

紹圭
その通りです。こうした意味で、私はあなたのメッセージに親鸞に近しい哲学を感じていました。

オードリー
そうでしたか。たとえば、みなさんご存知のように、私は1日8時間の睡眠を取ります。これは私にとって必要なルーティンですが、連続した8時間睡眠を徹底しているわけではありません。時には移動の時差ボケもありますし、途中で目が覚めることもあります。私が時差で苦しむことがあまりないのは柔軟に応じているからで、4時間+4時間、あるいは3時間+3時間+2時間など、どのようであっても構いません。ですから私が行っているのは、完璧主義というよりむしろ、弱点や難点を招待状として迎えていくことです。ロナルド・コーエンが言う* ように、すべてには裂け目があり、そこに光が射し込むということです。ですから、不完全さは新たなアイデアやイノベーションの招待状です。

* 『Anthem』by Leonard Cohen
https://youtu.be/1jzl0NlTmzY?si=4jsAOmXj8bqMOM0Z

歌詞
いま鳴る鐘を鳴らせよ
完璧さは問われていない
裂け目がある すべてにある
そうして光は射してくる

Ring the bells that still can ring
Forget your perfect offering
There is a crack, a crack in everything
That’s how the light gets in

松本紹圭の方丈庵 訳

紹圭
可能性

オードリー
そう、可能性だ。もし私がまったく同じルーティンを完璧にこなすだけなら、柔軟性を探究するチャンスはないだろうね。

紹圭
まったく同感です。


今日の世界と、未来の世界に共有を

紹圭
あなた自身のアンセスターについても、感じていることや考えを聞かせていただけますか。 私が「アンセスター(祖先)」という言葉を使うとき、それは血縁のご先祖様だけでなく、例えば亡くなられた恩師や友人、あるいは歴史上の人物も含まれます。

オードリー
〈ルーシー〉* もだね(笑)

* ルーシー
人類の直系の先祖と考えられる猿人の化石。「Lucy(ルーシー)」というニックネームで知られる。
https://en.wikipedia.org/wiki/Lucy_(Australopithecus)

紹圭
そうだね、〈ルーシー〉も(笑)
今日のあなたがあるのも、アンセスターの影響や恩恵があってのことと思います。

オードリー
そうですね、私の姓は「唐(トン)」、母方の姓は「李(リー)」です。「李」は、道教思想の始祖であり『老子』を書いた高名な哲学者、老子の姓と言われています。

私は幼少期に心臓疾患を抱えていて、心拍数が一定以上になると気絶して、ICUで目が覚めるような状態でしたから、怒ったり、過度に喜んだりするわけにはいきませんでした。12歳で手術を受けるまでこうした状態が続きました。

紹圭
感情がとても安定している必要があった。

オードリー
極めて安定した状態です。
ですから、道教の修行は私にとって単なる哲学ではなく生き抜くための技です。道教の気功や精神修養、呼吸法、瞑想、想像力などは、「坐禅」とは呼ばないもののまさに坐禅のようなものです。そして太極拳、鍼灸、伝統医学などはすべてその実践の一部であって、思想の話に収まりません。ですから、『老子』を書物で読む以前から、私は実践を積んでいて、そこにはさまざまな思想や祖先の系統がありました。私は天心派の道教を歩んでいますから、こういった宗教的系譜は私にとって何よりのアンセスターだろうと思います。

父方の祖父母はカトリック教徒で、彼らには彼らの伝統的な祈りがあります。私にとって、特定の宗教が他の宗教よりも優れているということは決してありませんでした。父は最終的にチベット仏教や他の多くの仏教宗派に傾倒するようになって、私も多くの経典を読みました。経典は常に、操作マニュアルのようなものです。 熟考よりも実践するもの、自分の人生と自分の体で体験しながら歩むものです。そうして先祖代々受け継がれてきたものが、自分を通して再び息を吹き返してくるような感覚もあります。ある意味、祖先の魂の一部がここに体現されているんだろうと思います。

紹圭
なるほど。あなたは沢山の異なるアンセスターの系譜の産物なんですね。

オードリー
そうですね。4歳の時、私と両親は「この子が手術を受けるまで生き延びられる可能性は50%」と医師から告げられました。ですから毎晩眠りにつく時は、コインを投げるような心持ちでした。コインが裏返ったら、目覚めることはないのかもしれない。私が睡眠不足を「週末の寝溜め」で取り戻すということをしないのは、そういうわけです。次の週末はないかもしれません。明日、目覚めないかもしれないでしょう?

そうして、自分が消えて無くなる前に、世に出すようになったんです。その日の学びをテープに録音する、書く、タイプする。そしてパブリックドメインのインターネットに公開する。そうしておけば、たとえ翌朝、私の目が覚めなくても大丈夫です。私は子孫への「グッド・イナフ」な祖先になれる。著作権が解ける75年の歳月を待つ必要などありません。アンセスターから授かったアイデアは、願わくばより豊かになって、子孫に受け継がれていきます。

紹圭
幼少期に置かれていた状況を思うに、常に死のリスクに晒されていたということですよね? それで「自我」や「自己」について、少し複雑な考えをお持ちなわけですね。

オードリー
そうですね。私の人生にとって、自我の寿命は一日です。継続性があるのは一日のみです。

紹圭
なるほど、8時間の眠りで生まれ変わり、一日を生き、そしてまた8時間の死を迎えるということ...

オードリー
そういうことです。毎晩8時間、死の練習をしているようなものですね。

紹圭
そうは言っても、ほとんどの人はーーもちろん、あなたの言うことは理解はできます。理解はできますが、人はやっぱり、もっともっとと求めます。もっと、お金や財産や、何らかの物が必要なんだ。わかるだろう?こういう感覚…

オードリー
私は必要ない。

紹圭
必要ないんだね。

オードリー
そう。ちょうど「White Crypto」というYouTube番組の取材を受けたところで、インタビュアーの女性は困惑していました。というのは、私は2012年から2013年にかけてビットコインウォレットを持っていて、1時間/1BTCでコンサルティングを行っていました。でも、ビットコインを保有したことは一度もなかったんです。

紹圭
なるほど。

オードリー
どうしていたかというと、クライアントはビットコインが100ドルとか200ドルとか、(時価に応じて)フィアット通貨で支払ってくれるわけですが、私はそれを寄付に回したり、経験を共有するため、あるいは友人にシェアするための航空券に使っていたんです。決して貯めることはなかった。ウォレットは常に空でした。自我を手放すと、そうなるみたいだ。

紹圭
まるで江戸時代の人々のようですね。彼らは「一日一日」を生きていた。

オードリー
そうか。

紹圭
お金を手にしたら、一晩で使い切る。

オードリー
うん。私はほとんど貯金をしたことがありません。

つづく

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