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生きることは食べること 食べることは生きること

「食べたいと思うものが、今のあなたの体に必要(要素として足りないという意味)なもの。」という、なんだかそれっぽく聞こえる言い方がある。

その都合のいい言い回しに力を得て、好きなものを好きなだけ食べると、当然のことながら体のバランス(健康)は偏る。漢方の視点で言うと、気血水の状態が虚や実に向かいやすくなる。

自然を眺めたとき、例えば台風が続けばどうだろうか。降りたいだけ雨がひたすら降るとか、カンカン照りの日照りが100日続くとどうか。マクドナルドのハンバーガーだけを食べ続けるというドキュメンタリー映画があったはずだけど、果たしてそれでバランスは保たれただろうか。

漢方は生き方だ。葛根湯を飲むとかお灸を据えることだけが漢方ではない。寝起きの仕方、食事、気持ちの持ち方、物事に対する姿勢や態度、そうした日常のすべてに漢方がある。その中でも最も大切なことは、生きることは食べること。食べることは生きることを知るということだ。

わたしたちは心臓で生きているわけではない。脾胃(ひい)で生きている。脾胃の気が萎えて枯渇するとき、命もまた尽きるとされる。胃の気は命(イノキはイノチ)なのだ。だからわたしたちは脾胃を大切にし、食べたものでちゃんと体が栄養できなければならない。

健康を保ち命を続けるためには、食べ物に良くも悪くもレッテルを貼らないことだ。なんでも食べる。好き嫌いを作らず、偏りなく、過不足なく、食べる。理想は毎日違った食材を使って、できるだけ同じものは食べない。大袈裟に言えば、一年で世界中の料理を食べ尽くすくらいになるのがよい。

ぼくが毎日のように全国各地でひらいている漢方・薬草講座では、お昼を一品持ち寄りにしている。参加者が手作りした(または買った)一品を持ち寄って全員で食べるのだ。

講座に集まる10人から20人近くの人たちは、得意料理が違うことはもちろん、暮らす地域が違ってもいるし生き方がそもそも違う。味付けも違えば、食材の扱い方も違う。そうした料理が、10人講座に参加すれば10品。20人参加すれば20品となる。そんな豪華なランチはどこでだって食べられないだろう。

いつもと違う味、使う食材のバラエティさ、調味料も知らないものばかりだ。どんな風に料理するのか、それぞれが「へえ」と驚きながらメモをしあっている姿を見ることも多い。一品持ち寄りの良さがここにある。自分のいつもの食事で偏ったバランスをせめて講座の時だけでもリセットできればという想いがこめられている。

そうしたことをアドバイスしても「欲するものと欲す」という言葉の呪縛から離れられない人は多い。

漢方薬を飲めば病気が簡単にさらっと根治するわけではない。日々の食べ方、生き方、物事の考え方を変える努力が必要になる。例えばこれまでの生き方や考え方が体を冷凍庫のように寒くしているとすれば、まったく逆方向のむせっかえる程に熱く燃えるような生き方や考え方にならないと、体のバランスはちょうど良いところに向かって行けないのだ。

つまり食べたいと思って食べてきたものが、私の体を冷凍庫のように寒くしていたことに気づかなくてはならない。あなたが病気になった原因は、ウィルスや細菌や他人の態度にあるわけではなく、あなた自身の偏った生き方、偏った物事の考え方、偏った食事の取り方にあると気づかなくては、いつまでも遠回り、西洋医学的な対処療法をするばかりで、本当の健康を取り戻すことはできない。

生きることは食べること
食べることは生きること
偏らず、誰のせいにもせず、自分の口から入るもので体を栄養して健康な日々を生きる。そして笑いながら死ねれば、最高の人生となるはずだ。

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