見出し画像

弘前市のたか丸くん

みなさんこんにちは。
今回はたか丸くんと言う自分の人生にとって無くてはならないキャラクターについて、お話したいと思います。

僕は28歳までフリーのデザイナーでした。

23歳までバンド活動を続け、解散してからは家業を手伝いながら、なんとなく個人でWEBサイト制作やロゴやDTPを作成する仕事で生計を立てていました。

そんな生活で23歳で音楽の道を諦めてから28歳まで僕は何をすれば良いのか、何がしたいのかが見つけられない、そんな生活をしていました。

前回あれだけ偉そうな事を書きましたが、自分がまぁまぁなダメ野郎ですね。きっと両親はとても心配していただろうなぁ。。と…。

そんな僕に転機が訪れました。ある日、僕はadobeのソフトに出会い創作活動に夢中になったのです。元々作詞作曲などもしていたりしたので何かを作ると言うことが好きだったんです。

それから僕は大好きな空想のキャラクターを、生み出しまくり、あちこちの自治体のキャラクター募集に応募しまくりました。
それこそ応募しただけでも100体は軽く超えていただろうと思います。

その中で何度かは優秀賞まではいくものの最優秀までいくものはなかなかなかったのですが…。


どれもその地域のことを考え、住人の方々の思いを自分なりに考えに考え生み出したキャラクターでした、今見るとまだまだ下手なりに情熱だけは感じます。そして僕はこっちの道の方が自分がいきいきと楽しくやっていることに気がつきました。

全国で3体、企業の募集なんかも合わせると7体ほどが採用されました。

その中でも、僕のキャラを一番最初に「ご当地キャラクター」として採用していただいたのは青森県の弘前市でした。

その名は「たか丸くん」僕の人生を180度変えてくれたキャラクターになりました。

いや、正確には僕を180度変えてくれたのはたか丸くんや僕を温かく迎えてくれた、青森県弘前市の方々でした。

おかげで、たか丸くんを通して素敵な方々を紹介してくれた僕の大親友「A.H君」そこからどんどんアイデアや人脈を広げてくださった、今は亡き「M.Kさん」。仕事のサポートをしてくださった「O.Mさん」そして弘前の方では無いのですが僕を育ててくれた「師匠」お名前を挙げていけばきりがないのですが…。に出会う事が出来ました。

弊社が取り組んでいる弘前クリエイターズバンクとは、亡くなったM.Kさんとの約束でもあった、弘前市に産業を生み出すを実行するためのプロジェクトで、次回で6回目の説明会を行います。

この弘前クリエイターズバンクについては、後日記事にしようと思います。

僕はたか丸くんや彼らそして弘前市の皆様には一生感謝しかありません。


そしてこれからも僕の人生のスタートラインとなってくれた、弘前のために自分ができることをやっていこうと思います。

これからもたか丸くんは、弘前の皆さんの息子として可愛がってもらえるよう願っています。そしてたか丸くんは弘前の皆さんのためにこれからも尽力し、皆さんにもっともっと愛されることを親として遠くから見守っています。

皆様どうぞこれからも末永くよろしくお願い致します。

それでは!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?