私が文章を書くという事。
子供の頃の夢はなんですか?
私は子供の頃、沢山夢があった。
昔からよく言えば素直で、悪く言えば単純な私は影響を受けやすい子供だった。
アニメをみれば将来の夢は美少女戦士や魔法少女だったり、漫画を読めばデザイナーだったり、小説を読めば社長や医者だった。
夢見る私は常にキラキラと輝いていて、自分でも自分の未来に目が眩んでいた。
でも、成長するにつれて現実が目の前に立ちはだかる。
私の前には人語を離す猫も現れないし、魔法を使える杖も現れない。
テストの成績は中。上には上がいる。頭が良くないとなれない職業もある。
少しづつ、キラキラした未来の自分が1人1人と消えていく。でも、半分以上消したのは自分。その未来に近づく努力をしようとしなかった。言い方を変えれば、私の情熱が長続きしなかった。
1回目の現実への直視は中学3年生の時。私は高校受験に失敗した。2回目は高校の時の進路相談。3回目は新社会人だった時。
3回目の時が1番きつかった。この時、私は心に決めた目標があった。これが、木っ端みじんに砕け散ってしまった。
目標がなくなるって怖い。もう、何を道しるべに毎日を過ごせばいいのか分からなくなってしまったから。目の前が真っ暗になるってこういう事を言うんだな。
ちなみに、仕事面で2回、恋愛面で1回、私はこの経験をしている。
・・・ちょっと神様、多すぎやしませんか?とクレームを入れたくなる。
でも、目標がなくなっても、毎日が過ごせることに気づく。そうなると、より豊かに過ごせることを目標にしてしまうのが人間ではないだろうか。
私は、とりあえずお金を稼ぐという事に執着しだした。そして、仕事がちゃんと出来るようになると、今度は安定を求めるようになった。
そんな私をあざ笑うかのように、安定はやってこなかったけれど。
でも、どれだけ波乱が巻き起こる日常の中に居ようとも、変わらないものが一つだけあった。それは、文章を書きたいという欲だ。この文章欲だけはどこまでいってもついて回って来た。
何度夢に破れようとも、何度壁にぶち当たろうとも、何度進路を変更しても。
まるで、全て文章を書く為のネタにしろとでも言うように。
私も、いつまでも夢を見続けられるような子供ではない。文章を書いて生活が出来る人なんて、どれだけの割合だと思っている。そんな時間があるのなら、少しでも資格の勉強をしたり、お金の勉強をした方がいいに決まっている。
頭では分かっているのに、私が強く心を惹かれるのは、文章を書くという行為だった。
この文章を書きたい欲ほど厄介な物はない。
何をしていても、頭の中では文章を組み立ててしまう。だからと言って、パソコンに向かえば名文が書けるわけでもない。
「やりたい事があるなら、やればいいじゃない」
と言う人もいるけれど、文章を書きたくても、文章を書くことは億劫で、しんどくて、
「この文章は面白いのか?」「伝わるのか?」「というか、書いて何になる?」という、自分と向き合い続けなければならない。
それでも、書きたくなってしまう。
書く時間を他の事にあてれば、私はきっと医者にだってなれたかもしれない。
それでも、私の人生において、書くという行為以外に時間を使えなかった。
誰かを救いたいなんて大それた理由なんかない。
しいて言えば、自分を救いたい。
それでも、少しでも私の文章で何か感じてくれたら、伝わってくれたらこれ以上の喜びはない。
もうしょうがないと思う。だって、文章を書きたいとむずむずしてしまう。
どんなに稚拙な文章だと自分で分かっていても、書かずにはいられない。
34歳、私は腹をくくった。文章を書いて生きる事を。
だから私は今日も文章を紡ぐ。