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武装から生活へ。私を包む服の変容。

現在、18時13分。
時の流れに歯向かうような一日を過ごしていたが、時の流れという絶対性に逆らえるはずもなく、人はこれを怠惰と呼ぶのだろう。

ロンドンとパリを行き来する生活を終え、帰国してから早くも2ヶ月が経とうとしている。今年、東京は非常に暖冬だ。ひんやりとした朝目を覚ました際の自分の脳は外気に適応できず、厚着してしまったことを昼時ひたすら後悔するも、仕事終わりには納得し直す。そうは言ったものの、次第に気温も下がり始めようとするところで日本人は「衣替え」をするわけだが、1年半越の日本での衣替えの今、新たな感覚と気付きを得た。

5年から3年前ほどにかけて、自分は「武装」していたように思う。これはパーティに行くような「武装」ではなく、どう表現するのが正しいだろうか、日常の範囲に収まりきらない攻撃的な「武装」と呼ぼう。
この気づきを得たのはやはり、若干1年半ほどの欧米———特にイギリスとフランスでの生活が強い影響を与えている———を経たことによる。

人は「武装化」についてどのように捉えるだろうか。人はこれを「洒落ている」と呼び、またある人はこれを「垢抜け」と呼ぶ。少なくともこの「武装」は、幸いなことに、消極的な印象を与えることが少ない。ヨーロッパの友人たちにはきまって、日本人男性は総じてお洒落だよねと話す。

しかしながら、気づけば、この「武装化」に私は随分と疲弊しているように思う。或いは、感覚が広がったのであろうか。一つとして言えることは、私は今、より「生活に馴染んで」いる。
この一年、パリ、ロンドンのコレクション(略;PFW、LFW、FWはFashion Weekを指す。)を経て、自分のスタイルは大きく変わった。百聞は一見にしかずとはこのことであろうか。

ロンドンというのは、また非常に類い稀な都市だと感じる。ヨーロッパとい
うよりもアメリカに近いだろうか。彼らもまた、「夢追い人」である。LFWは非常に幻想的なデザインが多いと感じる。市中とのコントラストが非常に大きく、現実を逃れた先の夢空間を作り出している。

対照的にPFWに現れるデザインたちはより「日常に馴染んでいる。」パリコレというと聞こえは華やかだが、少なくともパリの人々は新しさを許容できている点がLFWと違う。これは単にパリが芸術の都市だからとは片づけられない。ロンドンもアートやデザインが溢れていて、例えば、どこでも美大生を見かけることが出来る。許容度が同じくらいだとすると、それはやはりデザインの問題だろう。

潜在的に、これらの感覚の違いは風土の違いに直結する。なぜイギリスは夢を追うのか、なぜフランスは新潮に順応するのか、なぜ日本は「武装」するのか。私はこの衝動が降ってきたばかりで、深める作業はまたこれからの話になる。いずれにせよ、かくして、私は自己の中に新しい何かが芽生えた。
非常に喜ばしいことである。


この気づきは、私に道の先を示す掲示になったわけであるが、そこでふと4年前に出会った山本耀司(yohji yamamoto)の言葉を同時に思い出させた。

一着の服を選ぶってことは1つの生活を選ぶってことだぞ。
山本耀司、2019年WWDインタビュより抜粋
https://www.wwdjapan.com/articles/680512

このインタビュー内容のコンテクストから若干の齟齬はあるものの、今感じている気づきに近いように今になって感じる。



Image: JIL SANDER X BIRKENSTOCK Campaign 2021


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