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根拠のある自信、根拠のない自信

「根拠のある自信」とか「根拠のない自信」って言葉がある。このことで疑問に思った。そもそも「自信って根拠のあるものなのか?」って。
例えば目玉焼きを作るとする。「では、次もまた同じく目玉焼きを作ることができますか?」と問われると、厳密に言えば「いや、それはわからない」って話になる。べつに何回目でも同じことで、100回目に「次も同じく作れますか?」と聞かれたところで、「それはわかりません」となる。
だって「目玉焼きを100回作った」と言葉では言えるものの(頭では思っているものの)、100回同じことを繰り返したわけではないから。
100回とも寸分違わずまったく同じことを繰り返したのならわかるけど、本来は、100回まったく違うものをまったく違うやり方で作ってるはず。
毎回の工程が全く違うし、まったく同じ味でも見た目でもないんだから、同じものを作ったと言えるのはおかしい。
だから何かをするときに「根拠がある」と思っているのは、そう思っているだけであって、根拠にはならないでしょと。だから根拠のある自信っていうものはない。
ただ、そうして「何度も作ってきた」と無意識にでも思っているから自信を持つことができている。当たり前のように目玉焼きを作ることができている。なので、その過程は自分を信じる上で重要なこと。逆にいえば、当たり前にできることだと気づくために目玉焼きを作ってる。


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