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「あたりまえ」思考で人生を「大損」しないための護身術
「当たり前」とか「当然」という言葉が「出る杭」にならない時代だ。平均的な思考みたいなものは、なかなか評価されないので、多くの人が自分を特別に見せようとする。
実際、特別じゃなくても、当たり前でも良いのだが、Twitterを始めとして「変なやつ」の声がでかい時代なので、人生で、てっとりばやく結果を出すとか、楽したいとか、もっと意識が高いことを言うとオープンイノベーションとかイノベーションとかイノベーションとか、常識を疑った発想で事業が作られているからカオスや多様性が必要だとか、そうした個々の目的で、たくさんの人が「当たり前」から脱出しようとしている。
というより、今の時代では「あたりまえ」とか「当然」といった発想は評価されずらい。もちろん、仕事上の協調性とか仕事のしやすさといった面で「当たり前」にやっておくべきことは存在するが、そういう意味じゃない。細かいことは当たり前にやってくれたらいいが、今回話したいのはもっと上流での話だ。プロジェクトの企画やら、商品の開発やら、クリエイティブの制作やら、広告やらマーケティングやら、もっと言えばTwitterでの情報発信や、各種コンテンツ制作も含めた、根本の部分の話をしている。
特に今の社会は「当たり前」が出尽くしている。当たり前の思考や発想は、何億という群の一部にしか捉えられない。事業を作る時もそうだし、クリエイターが何か作る時もそうだ。特に自分の手で何かを生み出そうとする人間は、常に当たり前からの乖離を望むことが多い。当然とか常識からの距離が、1つの価値として評価されるからだ。圧倒的な結果を出し、自由に生きている人間こそ、そうした常識からの距離と発想、思考、視野を使いこなしているのがわかる。
自分の中の普通さは変えられない。特異性も作れない。
だが、残酷なことを言うようだが、人間なんて自分の「普通さ」なんてそう簡単に変えられない。根本的な特異性も作れない。自分の中にありもしない「特異性」を無理やり作ろうとして「自分はすごいやつだ」とか「面白いやつだ」と、まるで支えのない看板みたいなものを裏で支えているみたいになっている。だが、看板はわりと重いので、そう長時間支えてられるはずもない。そうして人は「特別な自分」みたいなステージからドロップアウトしていく。支え続けるのは疲れるものだ。
そして、普通の発想しかできない自分に失望さえする。企画にしろnoteにしろクリエイティブにしろ「なんで自分は面白い発想や考え方ができないんだ」「普通の思考しかできないのか」と、自分の才能のなさに嫌気が指したりする。そうやって人は、ますます普通になっていく。
あたりまえのヤツから脱出する準備
では、どうやって自分の中の「非常識」を引き出し「当たり前」を滅ぼし、「常識」に殺されず、自分の「特異性」を引き出せばいいのだろう。自分の中の普通を脱出できるのだろう。
これを成し遂げるために試行錯誤するわけだが、大半の人は大きな思い違いをしている。特異性を引き出すために、人は常識から外れた思考をする人間になろうとするが、まず、そこが違う。
なぜなら、
常識から外れるためには、誰よりも常識人にならなければならない
からだ。
普通を持って生まれた人間が常識からはずれようとしたって無理な話だ。自分の中にないものを作り出すのは、特に人間の心の場合、今までの人生をやりなおすくらいの時間が必要になるかもしれない。ごく一部の天才とか変態性を持つ人間以外は、自分の中に特異性なんて存在しない。ギフトもない。僕もそうだ。いさぎよく諦めたほうが良い。
じゃあどうやって特異性を引き出し、自分の中の普通を滅ぼすかと言えば、まず常識が何なんのかめちゃくちゃ深く理解するしかない。観察して、色々な人に聞いて、みんなの話す常識がどういうものかを理解する。大抵、自分の中の非常識を引き出そうとする人間は、自分がどれだけ「常識」を理解していないのか自覚がない。何が常識かも分からないのに、非常識を作り出すことができるだろうか。かなり無理ゲーだ。
常識は常に移り変わるので研究が必要
非常識とは常識から外れたものだし、当たり前からズレたものだ。つまり、常識が何かを知り尽くし、常識的な行動を意識してできるなら、そこからどうすれば「外れるのか」も理解して仕組むことができる。
しかし、常識や当たり前なんてものは超高速で変化する。今、この瞬間では当たり前ではないとしても、1週間後には普通になってるかもしれない。
例えば、6年ほど前に副業についての意見を聞いたら、やっている人が少数派の非常識だったかもしれない。しかし、今は常識ということもそうだが、やっていても「当たり前」なごくありふれた考え方になってしまっている。ノーコードもそうだ。ほんの2年くらい前までは、ノーコードを使ってプロが制作することはあり得なかった。しかし、今はノーコードを使うことも選択肢になった。常識は常に移り変わるものなので、何が世間一般の価値観として常識なのかを、常に把握している必要があるだろう。そうでなければ、常識から外れ続けることはできない。
まず、非常識を演出したければ、常識を把握して、いつでも常識人を振る舞えるようにすることだ。そして、常識が何か理解した上で、外れたことをする。だから、非常識をコントロールできるのだ。ただ、大きくハズレすぎてもいけない。まったくその行動が理解できないなら、非常識なんてただの厄介者だ。常識との距離感がめちゃくちゃ大事だ。
常識からズラした発想をするには
とはいえ「常識からずらす」ことは、どうすればいいのだろう。どのようにずらせばいいのか、具体的な方法が思いつかない人も多いのではないだろうか。ここで活躍するのが「逆説」である。一旦、常識を把握してから、その逆に思考を巡らせる。そして、逆説の中に、より現実を面白くするための正当性や根拠が無いかを探してみる。すると、大抵の場合見つかるのだ。
例えば、今回の「当たり前」に殺されないための護身術も同じだ。「当たり前から外れるために何をするか」の逆説として「当たり前や常識を理解する」ということが存在している。これを真説として普通に考えたら「常識をどう無視するか」が軸になる可能性が高い。
とは言え、今回の内容は経験の中で得たものであり、上記のようなプロセスで考えたわけではない。僕が言いたいのは、どんな常識的で普通で退屈な発想でも、何が常識かを理解した上で逆説を考えれば、経験の果てに得られる発想にもたどり着ける、ということだ。プロセスが異なるだけでゴールは一緒だ。むしろ経験するより早い。
まとめ
では、今回の話をおさらいしていこう。まず僕を含む凡人が非常識な発想をするためには、徹底的に常識が何かを理解することだ。誰よりも普通の人の気持ちと行動がわかる「プロ一般人」になる必要がある。普通や常識の専門家だ。そして、常識を理解した上で、そこから「ズレた」ことを考える。大きくズレすぎると、ただの狂人になるので、理解できる範囲で真新しいズレが必要だ。そのズレを生み出すための方法が逆説を考えることになる。この思考フローで考えると、それなりに凡人らしかぬ凡人になれるはずだ。なお、自分が特別だとか才能があると思っている人は無視していい。
今の社会はかつてないほどに「あたりまえ」が出尽くしている。こうあるべきみたいな発想で輝くには、砂漠にある砂粒の中から、たまたま一箇所をすくい上げるようなもんだ。だからこそ、かつてないほど常識から外れていて、当たり前じゃない考え方が切望されているし、人々もそんな新しい局面を目撃したがっている。一種のエンターテイメントと言っていい。
砂漠の中では明らかに異質なオアシスこそ天国で、もし砂漠遭難者がオアシスに到達できなければ、のどが渇いて死んでしまうかもしれない。異質こそ現代社会のオアシスになれる可能性を秘めたコンテンツであり、1億の砂粒から自分を見つけてもらうためには、異質さが強烈な武器となる。
最後に、今イチオシの仕事を載せておく。
WEBデザイナーやエンジニアを目指す方、そして、現役の方でキャリアに悩んでいる方は、絶対読んで欲しい。
では、また次回。
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