演劇ガチオワコン説
noteを上げた後、スキの数とビュー数を逐一チェックしてしまう。
なんだかインスタグラマーの気持ちめっちゃ分かるようになった。
やっぱりどれくらいの量見られてて、どの程度良かったのかって気になるじゃーん! と独り言ちながらいそいそとダッシュボードを見ています。
こんにちわ関野です。
で、一度数字が気になり始めるとどんな記事がウケてて、どんな記事がそこまでかというのでも探ってやろうじゃないと燃えてしまって結構見た。っていうかだいぶ見た。この1週間でだいたい200記事くらい読んだ。
そして、なんとなく見えてきたので今日はそんなことから派生した色々を整理するために書いてみようと思います。
記事ってざっくりいうとエピソードかハウトゥーの二種類しかなくて、圧倒的にウケているのがハウトゥーでした。
〇〇の〇〇仕方!とか〇〇はこうやる!的なやつ。
まあ冷静に考えれば当たり前なんだけど、ハウトゥーがタイトルとか冒頭に必ずテーマが見えてる一方で、エピソードは最後まで読まないとテーマがわからない。だからエピソード系記事は単純に記事に入るまでの障壁がめちゃめちゃ高い。だって興味があるかわからないんだもの。
(雑記なんてタイトルであげてたやつがなに言ってんだってのは内緒です。)
ちなみに有料化しているものも大抵がハウトゥーだった。エピソード系で有料化してるのは一回バズったことのある人だけ。
確かに映画とかもシリーズ物でもない限りド頭からバズるのって広告バシバシ流してたりとかしない限りそうそうないし、他人が「これいいねー」って言ってるものしか見たくねえもん。他に楽しいこと沢山あるんだし。お前の駄文読むならソシャゲします!ってなる。
で、そう考えるとラノベが全部話しちゃう系のタイトルとかつけるのめちゃめちゃ意味が分かる。障壁めちゃめちゃ低くなるもん。
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で、表現について思いを馳せた。
いわゆる時間芸術(音楽とか映画とか時間を必ず拘束されるもの)ってここから入り口の障壁が高くてめちゃめちゃ大変になるんだろうなということは割と早々にリンクした。そして実際に音楽や映画はすでに尺が徐々に短くなっている。
そこでふと気がついてしまった。
時間芸術でも空間芸術(その空間に居ることを強制されるもの)でもある演劇なんて超オワコンなんじゃね? タバコが一箱無くなった。
だって、タイトルで何やってるのかわからなくて、時間と場所を拘束されて、面白いかもしれないしつまらないかもしれませんってそれ詐欺だぜ。
そんなのにくる人たちってよっぽどの物好きだ。
演劇マジおもしれーってなったことがある僕でもそう感じるのだ。普通の人絶対こない。
もうコンテンツは死に体だ。
ウケるタイトルつけて、刹那的な強度に依存した作品作りは絶対に疲弊する。もう限界は近いと思う。
ただ、勝ち筋が全然無いわけじゃなくて演劇の他の表現に勝る唯一の強みは非言語情報が圧倒的に多いことだから、そこで一点突破できれば全然違うジャンルで勝負にいけるんじゃないのかなあと、前々から思っていたことを補強する形になったので、何かしらの形にして提示できればいいなあと思っています。
おわり。