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『「仕事ができる」とはどういうことか』の記録

2024/0608

山口周・楠木健の本

 過去に読んで、なんとなく昔メモした記録から考えたこと、印象に残ったことをもう一度見てみようと思ったのでそれを書く。


 記録にはこんなことが残っていた。

YahooやAmazonがNTT、IBMに勝った理由
→モチベーション。大手はミッションがあってもそこまでのモチベーション足り得ない。上からやれよって言われてる。小さいとこは世の中をひっくり返してやるって思ってる。


それに対して思ったこと

 きっと5年後くらいにまた今大して聞かない企業がそれなりに大きな事業を握っていることでしょう。願わくばそれが日本の企業で、例えば友人のEX-Fusion(レーザー核融合による発電のスタートアップ)であって欲しいところですが。ちなみにそこのCEOと去年つけ麺食いながら話したのは、「最近は研究じゃなくて資金調達・ピッチとかばっかりで研究じゃなくなったけどいいの?」って聞いたら、「まぁそれはそれで別にいい。けどほんまにちゃんとエネルギーが出るって言われてはいるけど出るならその瞬間は見たいよね」って言ってましたね。とにかくこれで儲かるとかそんなことを微塵も感じさせないし、世界をひっくり返してやるっていうのでもない。それが松尾の凄さであります。ただ純粋にその現象を見たいってだけで。多分あいつならなんとかやりますよ。投資家の皆さんよろしくお願いします。話が変わってきましたが(笑)、モチベーションにも段階があるよ、だから大手だからってなんでもかんでも勝てるって訳じゃないよって話。言われたからやるよりもこれで勝つ・儲けるの方が強いし、それよりもただ純粋にそれが楽しいの方がより強い。

今の日本の学校教育は子どもたちを「小さく固める」ことにはずいぶん熱心だけれども、子どもたちを「イノセント」な状態に保つことへの配慮は絶望的に足りない。だから、日本社会に今最も欠けているのは「イノセントな大人」なのだ。イノセンスを保ったまま成長した人は、金が欲しいとか、権力が欲しいとか、有名になりたいとかいう世俗的な欲望とは無縁である。社会的承認をうるさく求めない。いつも穏やかに微笑んで、周りの人々を気づかい、つねに「学ぶ」ことに開かれている。

内田樹『だからあれほど言ったのに」

次の記録、というか文章のコピー

楠木
だから、まあこれが僕の安直だと言われるところなんですけど、「視る力」も含めて、結局いちばん多くの人が使えるやり方というのは「それが好きであること」だと思っているんです。その人が好きだとか、一緒にいたいとか、面白いと思うことができれば、視ることはそんなに苦にならないですよね。対象のことが好きであれば、視るというプロセス自体で報われる。どこまでいけたかという結果じゃなくて、その道すがらの風景で報われるような状態であれば、思いっきり続けられるし、やっているうちにどんどんうまくなる。

山口周・楠木健『「仕事ができる」とはどういうことか』

 そこに対して自分は
→美を求める心 小林秀雄 と記録。自分で見て、やるやんけ、と思いました笑。美を求める心だけは本当に定期的に読まないといけない。今も読んだ。

次の記録 これもコピー

楠木
 「デザインの本質というのは、それを使うお客さんが無意識に使いこなせるところにある。その意味でのデザインは最高度の人間洞察を必要とする」とおっしゃるんですね。だいたいSuicaの改札機の形状なんて、普段、誰も意識して見ていないし誰も覚えていない。それがいちばんいいことなんだって言うんですよ。デザイナーというと創造性に満ちていて自分の個性爆発で……というイメージですが、実際は自分を限りなく小さくしていかないと、本当のデザインはできない。
 初めにSuicaの技術が出てきたとき、切符を中に入れる改札機はあったんだけれども、「かざす」という行為についての理解というか、そもそも概念が人々の中にない。しかもかざしてもらって一定時間そこでスローダウンしなければいけない。そうやって待ってもらわなきゃいけないというのが技術的な要請としてあった。そこをどうすればいいのかということが、Suicaの改札機のデザイン上の重要な問題だった。そこで山中先生は人間の本能に立ち戻って考える。で、「光るとそれに反応する」とか「ちょっと手前に傾いていると少し速度を落とす」というアイデアを得るんですね。そういう人間の本能の理解を形状化するということが、デザインの本質なんだという話です。これも要するに人間洞察ですね。

山口周・楠木健『「仕事ができる」とはどういうことか』

 さっきの話と繋がることで。どうやったらユーザーにとっていいものになるか。それはただの予想じゃなくてやっぱり自分がユーザーになったり、他のユーザーを見たり、そしてそれを使う「ヒト」について考える必要がある。そうしないと結局なんか使いづらい。で、じゃあそうやったらここまでいいものができるかというと、結局なんか考えっちゃたり、それ自体が面白かったり楽しいから。だから長いこと考えられるし、産みの苦しさを感じつつも続けられる。妥協せずに。まぁつまり愛ですよ。これをやれば知名度上がるとかそんなことじゃなくて(もちろん知名度いる時はいる)。

 なかなか良い記録残してたな。またやろう。書くのも楽。そのうち自分の手帳の記録からも書こう。こういった記録はやはり面白い。

成功したいか? したい。 ならば失敗も覚悟しろ。大成功したければ大失敗も覚悟しろ。
リアは居るか? 居る。 よし、明日はリアに身体を貸すのだ。
とにかく、稽古は終った。

山﨑努『俳優のノート』

 これはリア王を演じられていた時の日記。記録は面白い。

6月8日。

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