街の急病人を簡単に搬送できる世の中に「救護器具兼用看板 サポートサイン」
はじめまして。常磐精工株式会社の喜井翔太郎と申します。当社は今年で創業58年目になる大阪府堺市の会社です。飲食店や商業施設で使用される看板やディスプレイ什器の製造を行っており、自立型のスタンド看板においては、国内最多の生産台数を誇っています。私はそんな会社のアトツギとして7年前に家業に戻ってきました。
今回は、私と代表取締役である父(喜井 充)とで開発した「救護器具兼用看板 サポートサイン」の開発から今までの軌跡をお話したいと思います。
サポートサインとは、普段は看板として使用でき災害等の緊急時には、担架(ストレッチャー)変形し、怪我人の搬送や物資の運搬にも活用できる新しい防災・救護器具です。一般的な担架と違い普段から看板として、人通りが多い所や人目につく所に設置することができるため、いざという時も迅速に救助活動を行うことが可能です。更にキャスターがついている為、女性1人でも100kg程度なら楽に搬送することができます。
1.サポートサインの始まり
サポートサインのアイディアを閃いたのは、父でした。きっかけは東日本大震災でした。被災した方々の復興に協力できることはないかと考え、「頑張ろう日本スタンド」という看板を開発し、被災地に義援金を送りました。その後も父は自分たちが手掛ける「看板」という商品の特徴を活かして、社会貢献ができる商品を開発したいと考え続けました。そしてある日、時代劇で戸板を担架代わりにして怪我人を運んでいるシーンを見て思いつきました。
「看板で担架を作れるのではないか?」
あの頃父が酔うとこの話ばかりしていたのを、今もよく覚えています(笑)。2015年に家業に戻ってきた私は、父と共にサポートサインの開発に取り掛かりました。ちなみに当時はまだサポートサインという名前はなく、「防災看板」と呼んでいました。
2.サポートサインの開発
開発にあたり最初の課題は「強度」でした。サポートサインは人を運べる強度が必要なので、一般的な看板を作る際に使用するアルミパイプでは、全く強度が足りません。試行錯誤の結果、私たちはサポートサインを作る前に、サポートサインを作るために必要なアルミパイプ自体から開発することにしました。ただ頑丈なアルミパイプを作れば良いという訳ではありません。パイプ自体の強度があっても、商品全体としての強度を担保するには、パイプ同士を頑丈に連結できる構造である必要があります。強度があって軽量で頑丈に連結できる、そんなアルミパイプを私たちは作り上げました。
完成したオリジナルのアルミパイプを使用して試作機を作ると、次の課題が見えてきました。2つ目の課題は「構造」でした。担架のように人力で持ち上げる構造で大人1人を運ぶのは、想像しているよりも重労働でした。自衛隊などの担架で人を運ぶ訓練を受けたプロならまだしも、一般の方の場合、目の前で人が倒れたとしても、搬送中に怪我人を落下させてしまうかもしれない恐怖や責任感から、サポートサインを使用できない可能性があると考えました。そこで担架ではなくキャスターが付いたストレッチャー型の構造に変更しました。
次にサポートサインが本当に緊急時の担架(ストレッチャー)として、充分な性能があるかを調査する為に、大阪公立大学(旧大阪府立大学)に共同研究を依頼しました。安全基準検証、強度解析、材質・構造評価、実用実験を行いました。担架には明確な安全基準が無かったため、最も類似する手動車いすのJIS規格「JIST9201」を基準として、専門家の指導の下、より過酷な条件で各部の強度試験や実用試験を実施しました。これらの厳しい試験を経て、安全性・操作性が確認でき、遂にサポートサインが完成しました!
3.サポートサインの普及
2016年9月にサポートサインの初号機が完成し、その新規性が認められ、2016年11月に「救護器具兼用看板立て」として特許を取得しました。その後、多くの方にサポートサインを知っていただくために、当社がある大阪府堺市にサポートサインを寄贈、大阪や東京で開催される展示会に何度も出展しました。その成果もあり、2017~2019年にかけてTV、新聞、雑誌、WEBメディア等に度々取り上げて頂きました。
しかし、多くの方から「素晴らしいアイディア」とお褒めの言葉を頂く一方で、実際の出荷台数は思うように伸びませんでした。これまで世の中に無かった商品を流通させる事が、如何に難しいか思い知らされました。サポートサインの魅力をどうすればもっと伝えられるのか考えた結果、直接自分で魅力や思いを伝える方が良いと判断しました。そこで、直接自分の口で多くの方にサポートサインの魅力をプレゼンできる、ピッチコンテストに出場しました。日経新聞主催のスタ★アトピッチ他、多くのピッチコンテストの場でサポートサインについてプレゼンをさせて頂きました。
ピッチコンテスト出場により、多くの方がサポートサインの普及に協力して下さるようになりました。地元堺市では、堺市ベンチャー調達認定制度に選ばれ、ほぼ全ての堺市下の区立図書館にサポートサインが導入されました。また大阪府主催のスポーツイベントや商工会議所も支援されるオープンファクトリーイベント「FactorISM」の会場にサポートサインを設置して頂くこともできました。
4.サポートサインの今後
販売開始から約6年が経ち、少しずつ普及が進んできたサポートサインですが、普通の看板のように街のあちこちにあり、いつどこで誰が怪我をしても助けられる環境になるには、まだまだ長い道のりです。現在は外部人材にも協力を頂きながら、新しい切り口でサポートサインの普及を進めるため、日々努力しています。普及を進める中で、最近はサポートサインと同じコンセプトの商品も見かけるようになりました。ロゴや説明文まで似ているものには少々困らされますが、ある意味「看板で人命を救助する」という私たちのコンセプトが広がるようで、ありがたいとも思っています。
事業承継を控えた今、父に心残りがあるかと聞くと「サポートサインを普及させたい」と言われました。サポートサインは父と私と常磐精工㈱にとって、非常に大切な商品です。私はこれからもアトツギとして、父の想いとサポートサインを引き継ぎ、大切に育てていきたいと思います。最後までご覧いただき、ありがとうございました。