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東北なまりの石川啄木のうた

 大船渡市の女性たちが “方言指導者” として協力した『東北おんば訳 石川啄木のうた』が面白い。
 石川啄木の短歌で私が好きなのは次の2つだ。有名なので、みなさんもご存知だと拝察する

たはむれに母を背負ひて そのあまり
かろきに泣きて 三歩あゆまず

はたらけど はたらけど 猶わが生活くらし 楽にならざり
ぢっと手を見る

 『東北おんば訳 石川啄木のうた』では、啄木が残した短歌100首が、ケセン語によって生き生きとよみがえるとともに、これまでにない歌の解釈や味わい方まで引き出されている。ケセン語とは、医師の山浦玄嗣が日本の気仙地方(岩手県陸前高田市・大船渡市・住田町および宮城県気仙沼市など)等の地域のことば(方言)に対し、これを一つの言語と見なして与えた名称とのことだ。全国の読者にも分かりやすいよう、書名には便宜上「東北」と記されているが、実質的には完全なる「ケセン語」訳で、年長の女性たちに対する親しみと尊敬を込め、「おんば」という語もタイトルに加えられている。
 「おんば訳」によると、本紙の紙名の由来にもなった有名な歌「東海の小島の磯の白砂に われ泣きぬれて蟹とたはむる」は、「東海ひんがす小島こずまえその砂っぱで おらぁ 泣ぎざぐって がにれっこしたぁ」となる。

 石川啄木の歌は、青春の胸の痛みや孤独な内面といった内容から愛唱されることも多く、本人についても、ナイーブ な面が強調されがちだが、おんば訳には、生活に根差した目線と、どこか骨太なたくましさとが漂っている。

 「かなしきは かの白玉のごとくなる腕に残せし キスの痕かな」という色っぽい歌さえ、おんば、たちの手にかかれば「せづねぇのア  あの白い玉みだいなけアなさ残したチユウの痕だべ」と、思わずほおが緩んでしまうような、親しみある味わいに生まれ変わる。

 石川啄木も東北人なので、歌を詠むときは地元の言葉で考えてから標準語に直しているはずなので、それを「元の言葉」に戻すことで、改めて浮かび上がってくるものがあるのだろうか。おんばの言葉に書き換えられた石川啄木の短歌の中で、私なりに気に入ったものを4首紹介しておく。上が石川啄木の原歌で、下が「おんば訳」だ。

 思出おもひでの かのキスかとも おどろきぬ プラタナスの葉の
散りて触れしを

 あん時とぎのセップンかど たんまげたぁ 銀杏はっぱァ散って っぺださ触わったれば


 につたふ なみだのごはず 一握の 砂を示しし 人を忘れず

 っペださ つだった なみだァ のごわねァで 一掴ひとづかみの 砂っこかざした人ァ っせらィねァ 
 友がみな われよりえらく 見ゆる日よ 花を買ひきて 妻としたしむ 

 友だぢが おらよりえらぐ える日ァ 花っこ買ってきて ががぁどはなしっこ  

 大海たいかいに むかひて一人 七八日ななようか 泣きなむとすと 家を出でにき                                 

 大海おみさ向がって たった一人しとりしぢハ日はぢんち 泣ぐべど思って えぇば出てきたぁ

『東北おんば訳 石川啄木のうた』





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