能登の復興に思いを馳せて
元旦の夕刻だった。名古屋市が大きく揺れた。東日本大震災の時より大きな揺れを感じた。ニュース速報の反応はかなり早かったはずだが、能登半島沖を震源とする地震だと知るまで時間が長く感じた。NHKテレビでは、女性のアナウンサーが震源地の人に即時の避難を呼びかけていた。その声には鬼気迫るものがあった。テレビの画面に能登地域の映像は映るが、東日本大震災の被災者を意識してか、家屋の倒壊や津波被害の深刻さを伝える映像はなかった。あとから東日本大震災の被災者に当時のことを思い起させるのを防ぐための配慮だったと知ったが、能登半島の被害は想像以上に深刻だとあとから知ることになった。
がれきとなった家屋や車をあたかもおもちゃのように津波が押し流し、変わり果てた家屋を前に放心状態でさまよう被災者の姿が映し出されたのは数日経ってからだった。能登半島の集落が壊滅的な打撃を受け、倒壊した自宅の前でなす術もない住民の姿があった。道路が寸断され、孤立する集落の情報はほとんど入らない。能登半島独特の地形は、東日本大震災の時とは異なる種類の困難さを抱えていた。しかし、映像はもうひとつの側面も世界に伝えた。消息を絶った家族を探しながら、生活必需品が届くのを待ちながら、冷静さを失っていない日本人の姿だ。そこには略奪や暴動の素振りもない。物が散乱しているスーパーで、落ちているものを律儀に拾い、物資の支援が届くと、列に黙って並んで「ありがとうございます」と言って水や食料を受け取る人々の姿があった。
大きな悲劇を経験した時には、ほとんどすべての国から人としての共感が寄せられるが、そこから被災国の評価が高まるといったことはまれだ。こんなとき、私は相田みつをの「つまづいたおかげで」という詩を思い出すのだ。
またまた未曾有の大災害につまづいた日本だが、今回の悲劇は日本国民に失いかけていた「思いやりと助け合いの精神」を再び思い起こさせ、日本人本来の良さである「絆」を取り戻すきっかけになっている。しかしながら、その代償はあまりにも大きく、悲しみに満ち溢れている。被災地で強く生きる子どもたちが、一日もはやく安心できる環境と笑顔を取り戻してくれることを願って止まない。
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