発達障害への配慮を考えてみたい②
発達障害は診断・統計マニュアルが更新されるたびに、少しずつ診断カテゴリーや診断名が変わっている。専門家の間では診断名が切り替わっていますが、世間では今でもADDやアスペルガー症候群といった呼び名を使っている人がいる。現在、ADDはADHDに、アスペルガー症候群は自閉スペクトラム症に含まれている。
栗原類さんが8歳という早い年齢で診断されたのは、アメリカでは幼少期から発達障害の診断をおこなっていたからだ。栗原さんは、ニューヨークで通っていた小学校の担任の先生が「発達障害の可能性があると思うので、テストを受けさせたい」と栗原さんの母親に相談したことがきっかけで、診断テストを受ける。そのテストは、医師が面接をするだけというものではなく、IQテストや行動観察、担任など日常的に関わっている教師からの査定、耳鼻科や眼科といった専門医の検査などをもとに、教育委員会で審査会が行われるのだ。審査会の参加者は、保護者、担任、教育委員会の担当者、精神科医、児童心理学者などで、資料をもとにさまざまな角度から話し合われる。栗原さんは小学校の時点でしたが、アメリカでは未就学の段階でも発達障害の疑いがあると、専門家につなげられ、小学校の就学先を一緒に検討するなどの支援プログラムが組まれる。社会全体で発達障害の人、一人ひとりを支えるシステムが整えられているのだ。 日本で発達障害者支援法が施行されたのは、2005年のことだ。2016年にはこれが改正され、「発達障害者の支援は、社会的障壁の除去に資することを旨として行われなければならない」という基本理念が追加された。ようやく、発達障害の人の社会不適応の原因を特性そのものに求めるのではなく、周囲の工夫や配慮が足りない状況に原因がある、と考えるようになったのだ。本人の責任ではなく、社会の責任として問題解決を図っていこう、という表明がされたことは大きな前進なのだが、まだ日本では、社会的に発達障害の人を支援する環境が整備されているとは言えないのが現状だ。
実は私自身は大学では臨床心理学を専攻した。1985年当時は「精神分裂病」という名前の精神疾患が存在したが、2002年に日本精神神経学会は、「精神分裂病」には差別的な意味合いが包含されているとして、同学会における用語を「統合失調症」に変更した。精神分裂病という名前からは、その人の精神(こころ)が分裂してしまう怖い疾患のような印象を受ける。この疾患はあくまでも症状として「精神機能が分裂したかのように見える」疾患であり、その人の人格やこころといった根本に問題があるわけではない。しかし、この病名では患者さんの人格そのものに対する誤解や偏見を生んでしまう可能性がある。精神が分裂しているわけではなく、精神が混乱してしまい認知・思考や行動などの精神機能がまとまりにくくなっている(統合するのが難しくなっている)状態に陥っているという認識がより適切であり、そのため、より誤解が生じにくいと考えられる統合失調症という病名になったのだ。実際、精神分裂病から統合失調症への名称変更のきっかけになったのは精神障害者の家族会からの要請です。実際にこの疾患と向き合っている家族達が「精神分裂病」という病名によって本人が大きな不利益を被っているという事を強く感じていたということだ。
「心」という人間特有の部位についての研究は極めて難しい。しかしながら、人間という高等生物には「脳」と同時に「心」が存在する。
私は自分自身も含めて、すべての人に発達凸凹が見られ、それがある意味での多様性につながっていると考えている。だからこそ、発達障害という呼び名は好きではないのだが、いかがであろうか。