世界で最初に飢えるのは日本!?
先日、東京大学の鈴木宜弘教授の講演を聴く機会があり、たいへんな驚愕を覚えた。
アメリカの穀物農家は、日本に送る小麦には、発がん性に加え、腸内細菌を殺してしまうことで様々な疾患を誘発する除草剤成分グリホサートを雑草でなく麦に直接散布して枯らして収穫している。そして、輸送時には、日本では収穫後の散布が禁止されている農薬のイマザリルなど(防カビ剤)を噴霧し、「これはJap(日本人への蔑称)が食べる分だからいいのだ」と言っていたとの証言が、アメリカへ研修に行っていた日本の農家の複数の方から得られている。
グリホサートについては、日本の農家も使っているではないか、という批判があるが、日本の農家はそれを雑草にかける。それが問題なのではない。いま問題なのは、米国からの輸入穀物に残留したグリホサートを日本人が世界で一番たくさん摂取しているという現実である。
農民連分析センターの検査によれば、日本で売られているほとんどの食パンからグリホサートが検出されているが、当然ながら、国産や十勝産と書いてある食パンからは検出されていない。【下の表参照】
しかも、米国で使用量が増えているので、日本人の小麦からのグリホサートの摂取限界値を6倍に緩めるよう要請され、2017年12月25日、クリスマス・プレゼントとして緩めた。残念ながら、日本人の命の基準値は米国の必要使用量から計算されるのである。
アメリカ穀物協会幹部エリクソン氏は、「小麦は人間が直接口にしますが、トウモロコシと大豆は家畜のエサです。アメリカの穀物業界としては、きちんと消費者に認知されてから、遺伝子組み換え小麦の生産を始めようと思っているのでしょう」とのべている。トウモロコシや大豆はメキシコ人や日本人が多く消費することをどう考えているのかがわかる。われわれは「家畜」なのだろうか。
また同じく、アメリカ農務省タープルトラ次官補は「実際、日本人は一人あたり、世界で最も多く遺伝子組み換え作物を消費しています」とのべている。「今さら気にしても遅いでしょう」というニュアンスである。
小麦も、牛肉も、乳製品も、果物も、安全性を犠牲にすることで安くダンピングした「危ないモノ」は日本向けになっているが、命を削る安さは安くない。国産の安全・安心なものに早急に切り替えるしかないということである。
スイスの卵は国産一個60~80円もする。輸入品の何倍もするが、それでも国産卵のほうが売れていることを筆者も目の当たりにした。国産卵を買っていた小学生くらいの女の子にインタビューをした人によると、女の子は「これを買うことで生産者の皆さんの生活も支えられ、そのおかげで私たちの生活も成り立つのだから、当たり前でしょう」と簡単に答えたという。スイスでは食育が小学生にも浸透しているということだ。
割高な国産卵が売れる原動力は、消費者サイドが食品流通の5割以上のシェアを持つ生協に結集して、農協なども通じて生産者サイドに働きかけ、ホンモノの基準を設定・認証して、健康、環境、動物愛護、生物多様性、景観に配慮した生産を促進し、その代わり、できた農産物に込められた多様な価値を価格に反映して消費者が支えていくという強固なネットワークを形成できていることにある。そして、価格に反映しきれない部分は、全体で集めた税金から対価を補填する。これは保護ではなく、様々な安全保障を担っていることへの正当な対価である。それが農業政策である。農家にも最大限の努力はしてもらうのは当然だが、それを正当な価格形成と追加的な補填(直接支払い)で、全体として、作る人、加工する人、流通する人、消費する人、すべてが持続できる社会システムを構築する必要がある。
カナダ政府が30年も前からよく主張している理屈でなるほどと思ったことがある。それは、農家への直接支払いというのは生産者のための補助金ではなく、消費者補助金なのだというのだ。なぜかというと、農産物が製造業のようにコスト見合いで価格を決めると、人の命にかかわる必需財が高くて買えない人が出るのは避けなくてはならないから、それなりに安く提供してもらうために補助金が必要になる。これは消費者を助けるための補助金を生産者に払っているわけだから、消費者はちゃんと理解して払わなければいけないのだという論理である。この点からも、生産サイドと消費サイドが支え合っている構図が見えてくる。アメリカの言いなりに何兆円も武器を買い増すのが安全保障ではない。いざというときに食料がなくてオスプレイをかじることはできない。
食料・農林水産業政策は、国民の命、環境・資源、地域、国土・国境を守る最大の安全保障政策だ。かつて高村光太郎は「食うものだけは自給したい。個人でも、国家でも、これなくして真の独立はない」と語った。「食を握られることは国民の命を握られ、国の独立を失うこと」だと肝に銘じて、国家安全保障確立戦略の中心を担う農林水産業政策を再構築すべきである。国民が求めているのは、アメリカのオトモダチのために際限なく国益を差し出すことではなく、自分たちの命、環境、地域、国土を守る安全な食料を確保するために、国民それぞれが、どう応分の負担をして支えていくか、というビジョンとそのための包括的な政策体系の構築である。
農産物貿易自由化は農家が困るだけで、消費者にはメリットだ、というのは大間違いである。いつでも安全・安心な国産の食料が手に入らなくなることの危険を考えたら、自由化は、農家の問題ではなく、国民の命と健康の問題なのである。つまり、輸入農水産物が安い、安いといって選んでいるうちに、エストロゲンなどの成長ホルモン、成長促進剤のラクトパミン、遺伝子組み換え、除草剤の残留、イマザリルなどの防カビ剤などリスク満載になっている。これを食べ続けると病気の確率が上昇するなら、これは安いのではなく、こんな高いものはない。日本で、十分とは言えない所得でも奮闘して、安心・安全な農水産物を供給してくれている生産者をみんなで支えていくことこそが、実は、長期的には最も安いのだということ、食に目先の安さを追求することは命を削ること、それで子や孫の世代に責任を持てるのかということだ。牛丼、豚丼、チーズが安くなってよかったと言っているうちに、気がついたら乳がん、前立腺がんが何倍にも増えて、国産の安全・安心な食料を食べたいと気づいたときに自給率が1割になっていたら、もう選ぶことさえできない。除草剤入り食パンは如実に語る。国産を食べないと病気になる。早急に行動を起こさないと手遅れになる。
そして、日本の生産者は、自分達こそが国民の命を守ってきたし、これからも守るとの自覚と誇りと覚悟を持ち、そのことをもっと明確に伝え、消費者との双方向ネットワークを強化して、地域を喰いものにしようとする人を跳ね返し、安くても不安な食料の侵入を排除し、自身の経営と地域の暮らしと国民の命を守らねばならない。消費者はそれに応えてほしい。それこそが強い農林水産業である。
例えば、アメリカでは、食料は「武器」と認識されている。米国は多い年には穀物3品目だけで1兆円に及ぶ実質的輸出補助金を使って輸出振興しているが、食料自給率100%は当たり前、いかにそれ以上増産して、日本人を筆頭に世界の人々の「胃袋をつかんで」牛耳るか、そのための戦略的支援にお金をふんだんにかけても、軍事的武器より安上がりだ、まさに「食料を握ることが日本を支配する安上がりな手段」だという認識である。
ブッシュ元大統領は、国内の食料・農業関係者には必ずお礼を言っていた。「食料自給はナショナル・セキュリティの問題だ。皆さんのおかげでそれが常に保たれている米国はなんとありがたいことか。それにひきかえ、(日本を指して、どこの国のことかわかると思うけれども)食料自給できない国を想像できるか。それは国際的圧力と危険にさらされている国だ。」と。
また1973年、バッツ農務長官は「日本を脅迫するのなら、食料輸出を止めればよい」と豪語した。さらには、農業が盛んな米国ウィスコンシン大学の教授は、農家の子弟が多い講義で「食料は武器であって、日本が標的だ。直接食べる食料だけじゃなくて、日本の畜産のエサ穀物を米国が全部供給すれば日本を完全にコントロールできる。これがうまくいけば、これを世界に広げていくのが米国の食料戦略なのだから、みなさんはそのために頑張るのですよ」という趣旨の発言をしていたという。
故宇沢弘文教授は、友人から聞いた話として、米国の日本占領政策の二本柱は、①米国車を買わせる、②日本農業を米国農業と競争不能にして余剰農産物を買わせる、ことだったと述懐している。終戦から80年近く経っても、占領政策はいまも同じように続いているのである。
いま頑張っている日本の農林漁家は、国民の食を守って奮闘してきた「精鋭部隊」として、ここで負けるわけにはいかないし、負けることはない。人に優しく、環境に優しく、生き物に優しい経営の価値を消費者が共感し、そこから生み出されるホンモノに高い値段を払おうとするような消費者との強い絆が形成される結果、規模が小さくても高収益を実現できる。
農協や漁協は「生産者価格を高めるが消費者が高く買わされる」、生協の産地直送、地産地消やフェア・トレードは「消費者に高く買ってもらう」と考えられがちだが、これは間違いである。農協・漁協の共販によって流通業者の市場支配力が抑制される、あるいは、既存の流通が生協による共同購入に取って代わることによって、流通・小売マージンが縮小できれば、農家は今より高く売れ、消費者は今より安く買うことができる。こうして、流通・小売に偏ったパワー・バランスを是正し、利益の分配を適正化し、生産者・消費者の双方の利益を守る役割こそが協同組合の使命である。
安いものには必ずワケがある。本当に「安い」のは、身近で地域の暮らしを支える多様な経営が供給してくれる安全安心な食材だ。本当に持続できるのは、人にも牛(豚、鶏)にも環境にも種にも優しい、無理をしない農業だ。自然の摂理に最大限に従う農業だ。経営効率が低いかのようにいわれるのは間違いだ。人、生きもの、環境に優しい農業は長期的・社会的・総合的に経営効率が最も高いはずだ。
世界的に農薬や添加物の使用・残留規制が強化されているのに日本だけが緩められ、危険な輸入食品の標的にされている。「独立」した知見の 述べられない専門家と「科学的」消費者による審議会などの決定、アメリカ企業などのロビー活動で決まる国際基準など、公的に「安全」とされていてもEUなどは独自の予防原則を採る。消費者・国民が黙っていないからだ。
消費者が拒否すれば、企業をバックに政治的に操られた「安全」は否定され、危険なものは排除できる。
講演を聴き、この歳になって、ものすごい現実を突きつけられた気がした。私たちの世代はまんまとアメリカの罠にはまり、すでに汚染されているだろう。しかしながら、日本の未来を担う子どもたちの世代、そしてこれから生まれてくる子どもたちのためにも、安心安全な「食」を担保することが必要だ。