デザイナーになって気がついた、絵を描くことの意味
最近、改めて絵を描く意味ってなんだろうと考えるようになりました。
工業高校からデザインを学びに都内の芸術系大学へ進学して、それ以来「絵を描く」という行為は常におこなってきました。
しかし、工業高校から出てきたので、大学入学時は絵などほとんど描けずに「パースってなんですか?」レベルで、描ける絵といえば図面的なアイソメの絵がほとんどでした。それでは、さすがにやってはいけないのでスケッチの本を読みあさり、片っ端から他人のスケッチを真似るところから始めました。おかげで絵を描くことはできるようになり、いまではデザイナーをやっていけています。
じゃあ、なぜ今さら絵を描く意味を考えるようになったのかというと
そんな大学時代の「絵を描く」行為と、実際のデザイン業務で主におこなう「絵を描く」行為にギャップを感じるようになったからです。
大学時代の「絵を描く」行為
・自分のアイデアを主張する(認めさせる)ためのもの
・精度の高い美しいシェイプを描くために描く
・自分の頭の中で描いたモノを表現する
デザイナーになってからの「絵を描く」行為
・自分のアイデアを醸成していくために描くもの
・他人と共有してフィードバックを得るためのプロトタイピング
・相手(クライアントなど)の頭の中で思い描いていることをカタチにする
いろいろありますが、代表的なところをあげるとこんな感じです。
もちろん、大学時代のような「絵を描く」タイミングはあるのですが、それ以上に後者の用途で絵を描くことが多いように思います。
その理由のひとつは「これカッコ良くしてください」って仕事が今はあまりないこと。むしろ「何をつくったらいいでしょうか?」くらいの相談が多いことがあげられます。
「それって、こういうことですか?」
そうやって、やりとりを行うために「絵を描く」という行為がコミュニケーション手段になっていきます。常にプロトタイプとしてスケッチを描き、相手や自分の中にあるイメージを外に取り出し、それをお互いに評価して深めていく…
自分個人で、あるいは複数人で思考するサイクルのなかに「絵として外部に出力する」ということが、重要なポジションを担っていることに気がつきました。その説明もプロトタイピングしてみました。
上の図のなかで言うと、大学時代の絵を描く行為は「処理」能力を高めていくようなイメージで、今やっている絵を描く行為は自分や相手の「受容」センサーを刺激して思考と発想を促すためのものだと言えます。絵を描くことは外部出力することが目的のように思われがちですが、むしろ内部に入力される刺激を生み出すためのものであると感じています。
これもまたプロトタイプであり、自分でもアップデートしていきたいと思っています。
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