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「すごさ」の所在について
普段マジックを演じる際の、僕のこだわり(たいこと)についてのお話です。
マジックを見せる上で、お客さんに思ってほしくないことの一つ。
「どうせ道具が凄いんでしょう?」
前提として、全ては見せ方次第です。
マジシャンが「すごいテクニック」を必ず使う必要はありません。素晴らしい道具はたくさんあり、それに頼るのも悪いことではありません。
しかしそれを「どう見せるか」こそが技量なのではないでしょうか。
今回は「ビル・チェンジ」というマジックを例に挙げます。
白紙をお札に変える。または千円を1万円に変えてしまったりするあのマジックです。
お金を使ったマジックはお客さんの興味を引きますね。夢がある演目でもあります。
僕は、このマジックを達成する手法として「サ◯◯◯◯」を使用しています。
以下(サ)(マジシャンならわかるはず)
過去には
・ワンダフルなお財布やファンタスティックな箱(マジシャンならわかる)
なども使用していましたが、今はシンプルに(サ)。
難易度的には仕掛けを使用した方が簡単であり、お札を折り畳まなくても良いため見栄えがするという良い点もあります。
ではなぜ(サ)なのかというと、
お財布や箱は「マジック用アイテム」感が否めなかったからです。「この特別なアイテムさえあれば変えられる」と、思われてしまいます。
お客さんが皆そこまで考えているかどうかは定かではありませんが
僕は、とある現象に対し
その現象を起こしたのは誰なのか(何なのか)
という点をとても気にしてしまいます。
「すごい」の原因が「マジシャンの技量」であってほしいのです。
「どうなってるのかよく分からないけど、どうせあのお財布に仕掛けがあるんだろう」と思われると、すごさの所在はマジシャンではなく、「道具」になってしまいます。
僕がイリュージョンをあまり演じないのも同じ理由です。
イリュージョンをきちんと演じるには、多くの稽古を必要とします。
かなりの研鑽を積んだとしても、「どうせあの箱がすごいだけだろう」と思われがちなんですね。道具の存在感が大きくなればなるほど、扱う演者の力量が必要になるからです。
厳密にいうと、パワーバランスです。実際に必要なテクニックの難易度とは必ずしも関係ありません。
マジシャンの見た目・存在感・動きの滑らかさなど、諸々を含め観客が感じる
演者のパワー
VS
実際に起きた不思議現象のパワー
演者のパワーが負けると、「道具がすごい」になるわけです。
スライハンドの力
スライハンド(または、テクニックが必要な手法)の良いところは、パワーバランス云々ではなく、「道具に頼っていない感」が出ることです。
実際に稽古を積んだテクニックを使って何か現象を起こす時、観客もまた「これは演者の努力によるものだ」と感じるものです。
だって実際にそうなんですから。事実は伝わるよね。
オーラというか雰囲気というか。醸し出される何かがきっとあります。(少なくとも、僕は他人の演技からそれを感じ取っています。)
人は日々の努力や鍛錬、その過程に感動を覚えやすいものです。
コスパは悪くとも、スライハンドを取り入れることで増す魅力・説得力があると思います。
そのため、僕は敢えて古典的な手法を使ったり、便利なアイテムを使わなかったりします。
でもそれって実はまだ、僕の技量が足りていないからで。
見せ方・自分づくり次第では、「素晴らしい仕掛け」のパワーも全て取り込んでしまえるはず。
ステージ上では胸を張ってこう言いたいです。
『道具がすごいんじゃない、僕がすごいんだ』
ってね。