作曲家しょうたの_音楽手引き書

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はじめまして。作曲家のしょうたです。

僕の簡単な経歴を紹介しますね。

1993年愛知県名古屋市に生まれ。

地元の小学中学、市外の高校時代を卒業しています。

それから名古屋の専門学校を経てクラシック音楽の本場で学びたいと思い、

ドイツに留学する為に2年間師匠から学ぶも挫折しました。

その時に見た様々な芸術家の姿をみて「これでいいのか?」と疑問が湧き、ならばこれを解決する為にビジネスとして始めようと決意して

現在は当ブログやSNSなどで音楽や芸術の事や「新しい芸術家の生き方」を広める為発信中。


僕は圧倒的に社会不適合者だった…。


今振り返っても本当に穴があったら入りたいレベルなのですが…。

●バイト転々にする

●借金する

●仕事の遅刻魔&ブッチしまくる

●目の前のお金を追いまくる

●プライド高い

●世の中舐め腐っている

●飽き性

●興味ないことはアウトオブ眼中

●打たれ弱い

●完璧主義

●情報弱者

大分酷かったなーと今振り返っても思います。

完全に社会不適合者ですね…笑

でもとても繊細でシャイなのは変わらず物静かでした。

要は内側に色々思いを持っているけど、それを外では出さない様に、いや、出したら多分嫌われるんだと思っていました。

だからその気持ちから芸術作品や音楽に没頭していたんですよね。

でもこの頃は自己肯定感の無さと、現実と理想とのギャップにどうしたらいいのか分からず、でもプライドだけは高い

柔軟性0の脳を兼ね備えた完璧主義な典型的なダメ人間だったんです。

僕は圧倒的なポジティブと熱意をもっている
自分で言うなよって思うかもですが、笑

どんな時も諦めない‘必ず活路はある’と信じて疑わないのが僕の特徴です。この性格のおかげで大抵のネガティブは吹っ飛ばす事が出来ました(プライドおばけになった理由でもありますが…)

辛い事があればそれを乗り越えてやる。それすら糧にしてやる。と言った具合に生きています。

でもそうなれたのも全ては「音楽」に出会ったお陰なんです。

この世界が大好きで愛しているからこそ「熱意」が湧き出てきました。

僕がこれまでどんな人生を送ってきたのか?
長くなりますがコーヒーでも飲みながら読んでください!それではどうぞ!

内気でシャイな少年時代
1993年愛知県名古屋市に生まれました。

小学生の頃は輪の中に入りたくても、それを外側から眺めている様な物静かな少年でした。

好き嫌いは言わず、勧められたものには自分の気持ちよりも相手の気持ちを尊重してしまう典型的なインドアでインキャラと言われていました。

そして、中学に上がり本格的に脱インキャラを目指して親に野球を始めさせられました。

しかし、これが楽しくて初めて自分でもやりたいと思ったんです。そして!将来はプロ野球選手になる!

と、心に誓い。笑

毎朝5時に起きて朝練→授業→部活→自主練の様な毎日を過ごして、

朝から晩まで、休日も試合に仲間と練習して野球漬け。

野球部はそこそこいいチームだったのですが、初戦が強豪という「クジ運の無さ」に敗退し僕らの夏は秒速で終わってしまいました。

しかし高校でも続けようと自主練に励んでいました。が、

同級生が「卒業パーティでバンドやろうぜ」と声を掛けてきたのです。

その時音楽は好きで聴いていましたが、「ギター弾いてみようかな」と

思うようになりました。

そして短期間練習の末に卒業パーティにバンドで演奏してギターソロを弾いたのです。笑

それから肩を壊して野球は断念して音楽を本格的にやろうと思うようになりました。

ロックに明け暮れる高校時代


高校に入って音楽漬けの日々が始まりました。

正直勉強していなかったので偏差値はかなり低い学校だったのですが、

父の影響もあり押入れの中にあるCDから引っ張り出して聴きあさってはギター練習したり、洋楽のメタルから王道ロックをコピーしたり、ライブハウスへ通う日々を過ごしていました。

地元の親友も同じ高校に入ったので、彼に支えてもらいながら徐々に友達も増えていきました。

家で爆音で弾いたりして怒鳴られたり、

友達と自転車で二人乗りしてスタジオ通ったり、

その時原付の免許も取り、

真面目系な不良の様なアホで楽しい青春を謳歌していました。

親友の死で価値観が変わる


でも、高校二年生の夏に

価値観も考え方も変わりました。

小学生からの一緒で野球も、バンドも、ほぼ全ての時間を共有していた親友が不慮の事故で亡くなったんです。

とても悲しみは大きくて学校にも行けず、大好きだったギターも埃が被り、音楽を聴くこともやめてしまいました。

そして丁度その頃、

東日本大震災も起こり更に心を閉ざしてしまいました。

塞ぎ込む毎日の中で僕はモヤモヤと命の軽さや重さって何だ?

生きるってなんだ?人間ってなんだ?

そんな答えが出てこない事ばかり考えていたんです。

クラシック音楽との出会い


高校3年になり進路をどうしようと考えていた時に

ネット上で見つけたある音楽と出会いました。

「ベートーヴェンの交響曲第9番 」

これらと出会い自分の求めていたものがここにあった!!と直ぐに確信しました。

まさに脳天に衝撃が走ったんです。

塞ぎ混んで考え込んでいた自分が「バンドじゃない音楽」に救われた。心に光がさしてきて導かれるがまま「芸術」の世界に入り浸る生活に変わりました。

そして単純なのでよし「作曲家になろう!!」と目的がうまれました。

しかし、ギターを弾いていたけどこれまでコピーばかりで理論は何も知らないし、何から学んだら良いのか分かりません。

でもとりあえず家にあったボロボロのキーボードでお気に入りの音楽を弾く事から始めよう。話はそれからだ。と気合をいれて、

ピアノと楽典に1日8時間は費やして学び続けました。
そして文学や映画にも触れてまるで自分がスポンジの様に吸収していきました。

毎日の練習のお陰で音楽の仕組みがある程度分かってきた頃、

単純なので、某音大ドラマ「のだめカンタービレ」の影響のせいか「音大行きたい」と考える様になりました。

その為に地元の音楽教室にピアノとソルフェージュ(音感筋トレ)を習い始めました。

でも先生に言われたのが、「今から音大を目指すのは流石に遅いですね…。今仰った目指す音大だと5年はかかると思いますよ。」

と冷静な一言でした。。なのでしっかり学ぶ為に、親を説得して専門学校に通う事にしたんです。

音楽の専門学校での日々
それから名古屋にある専門学校に入学しました。(卒業後廃校に…)

しかし、周りは今まで経験のある人達ばかり、

授業もどんどん置いていかれて行き、もともとシャイで内気だったせいかまた塞ぎ込む様になってしまいました。

それでも両親や地元の友人にこういう事をやっているんだよという為に学校に通ってしまっている位になってしまったのです。

精神的に危機を感じたので精神科に通院しました。

この事は当時は誰にも言えませんでした。

今思えばプライドが高過ぎて、他人と比較し過ぎてしまったんだなと分かるのですが当時は目の前が真っ暗でした。

それから初心を思い出し、

「自分の中の気持ちや思いを音楽に乗せて伝える」

これが作曲家のやるべき事だ!そしてそれを聴いてくれた人に本の一握りでも希望を感じてくれるのなら、と奮起して一つの音楽を書いてみようと思ったんです。

それからその音楽をどうにか支えてくれた家族や友人に聞いて貰いたいと

卒業前のクラシックコンサートで発表しようと考えたのです。

そしてそれは、今までろくに学校に来なかった自分に14人もの学校の生徒の方々に賛同して貰って、実現する事が出来ました。

以下は当時の映像音源です。

【一輪の花】

https://youtu.be/LA6D85BTfKY

この演奏をしている時は頭が真っ白でした。

そして演奏終了後。

当日聴いてくれたお客様100人程度の方からアンケートを頂く事が出来て希望を少しでも与える事が出来たんだ。

ちっぽけながらも一つの事を達成する事と自分のやっている事は間違ってなかったんだ。

家族も友人も喜んでくれたんだ。

自分の音楽も価値があるのかもしれない。

と溢れる様にさまざまな思いが頭の中を充満して初めて味わう達成感を感じたのです。

そしてこの頃、留学して更にレベルの高い事を学びたいと感じていました。

作曲家の弟子になってドイツの留学目指すも挫折


それから周りは就職や、音楽活動を始めて行く人も多かったですが、

自分はもっとクラシック音楽の専門的な知識を得る為に学ぼうと考えていました。

そこでクラシックならドイツかオーストリアで学ぶ事が一番だろ!と思い調べて見た所

同じ名古屋市にドイツに7年学ばれていた人がいるじゃないか!と直ぐに連絡し即入会しました。

とても知性溢れる、暖かな師匠でいつも自身の持てない自分を気遣ってくれながら、同じ時間を過ごさせて頂きました。演奏や企画の予定があればバイトとして手伝ったりして様々な芸術家の世界を垣間見る事が出来ました。

ここで僕は約2年間ドイツ語と音楽理論などを学び更に音楽や芸術の理解を深めていったのです。そしてその方から作曲家の先生を新たに紹介して頂いて、同時に作曲修行もはじまりました。

スパルタな先生でしたが、自身も芸術家として活動されていたので、国内外の有名な芸術家にお会いさせて頂いたり、付き人として芸術家の世界を直視できる環境に置いて学ばせて頂きました。

作曲の技術もヨーロッパ直伝の作曲技法を指導して頂きました。

その間アルバイトをしながら様々な芸術に触れて読書しては作曲して映画観ては作曲するといった生活をする日々を過ごしていて、社会からどんどん遠ざかる生活をしていました。

その時に芸術家の様々な思想や哲学に触れて、自分の作品を制作する日々が続きました。

しかし、現実はそう簡単に行かないのが道理で、

こんな現実を背いて生活をしていて社会の事を何も知らない若造は、

師匠の側にいれば、

人脈を広げれば、

ドイツに行ってヨーロッパで音楽を学べば、

誰かが見ててくれてデビュー出来て、そのまま食えるものだと本気で信じていました。

(むしろ自分は本当に天才だと信じて疑わない痛い人でした)

何にも出来てないな自分。本当に甘えて生きてきたなと痛感しました。今思えば何言ってんだコイツってなるのですが、当時は本当にこんな奴だったんです。

自分の見栄やプライドを保つ為に、犠牲にしていた事が沢山あったんだなと、そして逃げ続けていたのだと。

ドイツ留学と言うカッコいい言葉に縋り付いていて、ロクに貯金もせず、甘えて生きてきたんだなとそこでようやく気付く事が出来たんです。

「これじゃいけない」と先生方に謝って留学をやめる事を決意しました。

それと同時に父親が病気になってしまったんです。それから実家を支える為に生活費に追われながら、ストレスから浪費もしてしまい借金も自分ではかなり大きな額を背負ってしまい一気に毎日が憂鬱になりました。

目先の支払いにまでにお金が用意出来ない事もあってクレジット枠もパンパンになったり、金融会社の枠も満額を超えて、苦しい日々を送りました。

でも、何事もなかったかの様に家族には振舞っていました。

自分の心を殺して、何事も無いように過ごして、

淡々と働き、淡々と支払いをして

そんな日々に僕は生きる意味や葛藤感。

将来への不安。様々な思いがどんどん溢れて出てきました。

「音楽や芸術を学んできたのに、このままでいいのか?」と思うも会社とアルバイトの往復で身動きが取れず、音楽制作に当てる時間を確保する時間もなく、

何もかもを捨てて働いては自分を責め続けていたくすぶった日々が続きました。

芸術家の生き方ってこのままでいいの?


そんな時、今まで出会った芸術家(他分野含む)の事を振り返っていましたが、

企画や演奏会でもお客は身近な知り合い。

師匠には封建制度や絶対服従。

SNSの薄い投稿のみでお客さんが本当に来ると信じて疑わなかったり。

そもそも芸術家自身がビジネスを知らなすぎる環境だったり。

こういった様々な理由が頭によぎり

「芸術家の生き方」ってこのままでいいのか?と疑問が湧く様になっていったんです。

やっぱり芸術家も稼げないと生きていけないし、生活もあるのに、なんでこんな状況なんだと。

これじゃ、芸術はだめになってしまうと本気で思うようになり、生き方を変えようとこの時期色んな方法を模索したんです。

そして、様々な書籍や情報を集めて、現代の日本の状況と、文化事情を目の当たりにしました。

僕は当然のように芸術家自身がビジネスをやるという結論にたどり着きました。

株式会社を設立するも他人依存で停滞する


ビジネス、びじねすう??

最初は「なんじゃこりゃ」の世界でしたが、現状を変えるにはこれしか無いと、覚悟を決めて飛び込んでみたんです。

その時に出会った起業家の情報発信や、商材を購入してから、貪る様に会社通勤の往復や休憩、休日は朝から晩までずっとひたすら勉強してビジネスの世界を知っていきました。

この時はもうどうなってもいいから、

とにもかくにも今のこの毎日を早く変えたい!!
とにかく無我夢中に自分はスポンジだと思い動き続けました。

そして、その時出会った人たちと共同で

勢いだけで株式会社を設立しました。

事業もないまま、資金もないまま…。

本当にアホですよね。自分でも恥ずかしいです…。

でも、どうにか重苦しい日々を抜け出したかった…

どうにかして芸術の素晴らしさを広げたい。

どうにかして、音楽を続けて、作品を書き続けたい。

自身はないけど、なにか変わるんじゃないのだろうか?

これで稼いで、やっと少しは余裕になるのかなと思ってしまったんです。

(この考えがカスでした)

実際に稼いでいた他人に依存をして、任していれば稼げると思い込んでしまっていたんですよね。

個人で芸術活動&ビジネスをするために
現在は、個人でビジネスを行う準備を整えながら、作曲活動に勤しんでいます。

幸いにもSNSを通じて多くの方々に音楽を聞いてもらったり、繋がって交流して頂いたり、発信活動をすると、

「ああ、やっぱり音楽は聞いてもらってなんぼだな」

と心底おもえますし、最近では

「しょうたさんに音楽を作ってほしい!」「発信内容をみていつも考えさせられます」「凄くためになります。とても勉強になります」

などなどの嬉しいお言葉を頂けます。

本当に発信してて良かったなと心底から思えます。

でもまだまだ、もっとよりよく、幅広く、インターネットのレバレッジを効かせながら多くの人を巻き込み、芸術の価値を心の奥底に突き刺していきたいと思っています。

僕の使命

1.芸術家をサポートする

上記にも書いたのですが、芸術家は悩みばかり。

僕も音楽を学ぶのに学費も含めて300万円という高額な学習費用を掛けてきたのですが、お金にどう変換したら良いのか分からなかったですし、教えてもくれませんでした。

どうすれば「自分が好きな芸術の世界で生活が出来る様になるのか?」と迷って生きている人が多い業界だし、

SNSはどうやって活用したらいいのか?

そもそもマーケティングってなんだ?

ビジネスってなんか汚くない?

こうした事を芸術家の僕が芸術家をサポートします。

理由は芸術を促進させてもっと現代に浸透させたいからです。

でもそれには芸術家自身が「ビジネス」を学び、「時代に沿う」必要があるし、

「芸術」×「ビジネス」=価値をそのまま求める所に届けられる芸術家それが「新しい芸術家の生き方」だと思っているんです。


2.芸術や音楽の面白さを伝えて芸術業界に活性化の種をまく


芸術やクラシック音楽っていうとやっぱり難しかったり、

なんか壁があるなぁとか、

んー!理解出来ない!という

苦手意識の固定観念があると思うんですよね。

「良いとは思う」止まりというフワッとした感じ…。

僕自身もそう言った現場に多々遭遇してきました。

「芸術家と芸術を知らない方々との距離感」があったり、
「興味は有るのに芸術を触れる機会や時間が限られて」しまったり、
「芸術を知るきっかけ」もなかなか見つからなかったり、
「芸術って難しい」って声を聞いたり。
それなら、これらを解決できる「芸術の入口」を作って「芸術の三大苦」と言われている「難しい、壁がある、理解できない」を取っ払って、

「分かりやすく!見やすく!簡単に!」

発信しながら現実でも面白い企画を行なっていきたいと思っています!

最後に

ここまで長い長い僕の物語を読んで下さいまして本当にありがとうございます。
もう純粋に嬉しいです。

ここまで読んでもらって踏んだり蹴ったりだな〜こいつはなんて思ってしまいますよね。笑

僕も人生振り返って文字化してみると、挫折や失敗多すぎやろ…もっとしっかりしろよ。なんて思います。

でも、必死に生きてきました。そして、これからも必死に生きていきます。

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