元陸自トレーナーのパーソナルトレーナー体験記 自衛隊退職-スクール
あらすじ
初めまして、元陸自トレーナーの山中です。
以前、「陸上自衛隊優秀隊員からパーソナルトレーナーになるに至った経緯」で記事を執筆させていただきました。
まだご覧になっていない方は、下記URLより読んでいただき、いいねしていただけると泣いて喜びます笑
以前は学生時代〜自衛隊時代をメインコンテンツとして書かせていただいたのですが、今回の記事では陸上自衛隊を辞めパーソナルトレーナーとして働き始めたところから、現在の状況まで殊更に書いていきたいと思います。
何故このタイミングで書こうと思ったのか?
前回の記事執筆時が2021年3月ですので約1年9ヶ月ぶりの執筆となりますが、何故、このタイミングなのか?というところについても書かせていただきます。
大きく理由は2つあります。
1つ目:2023年自衛隊を辞めた時以来の大きな転換点になるので、気持ちの整理をしたかったから。
2021年〜2022年はとにかくパーソナルトレーナ-を主軸として駆け抜けた年になりました。
後ほど記載しますが、転職も行いましたし、業務委託契約で人生を変えるパーソナルジム・トレーナーの方々とも出会えましたし、トレーナー育成を行う研修担当職、トレーナースクール講師も行いました。
トレーナーという職業にも大きくお金を注ぎ込んできました。
2021年は約100万円、2022年は約200万円(これ貯金できてたら、新車が一括で買えちゃいますね笑)
誇張なしでトレーナーだけでもこれぐらいは注ぎ込んでいます。
もちろん、お金だけでなく時間もたくさん注ぎ込んで、休日は週多くて1日、その休日も平日の勤務ではできなかった勉強に充ててきました。
その甲斐もあってトレーナーとしてある程度安定することができ、順風満帆なトレーナーキャリアを歩めていると思います。
ただそんな中、今一度自分を見つめ直したかったのです。
2023年は自分のキャリアの中でとても大きな決心をする年になります。
そのため、自分はトレーナーになって何をしたかったのかということについて、今一度再考したかったのです。
2つ目:書きたかったから
めっちゃ率直な理由で、すみません笑
ただ、書きたかったんですよね。
書きたいと思ったタイミングが一番ベストなタイミングだと思うので、今回しっかり書き切って、これまでのトレーナー人生を振り返っていきたいと思います。
それでは、前回端折ってしまったトレーナースクール編から書いていきたいと思います。
自衛隊退職・プロジム編
自衛隊退職後の話
私は陸上自衛隊を退職して一度実家の広島に戻りました。
自衛隊では退職する際に、今後の計画表なるものを綿密に練り上げ、提出せねばなりませんでした。
僕は当初大学に行くために受験勉強をします!といった内容で計画表を出していたんですよね笑
その際に専門学校やスクールに通う場合であれば、自衛隊のお偉方は「仕事しながらでも通えるじゃん!!」となってしまい、退職ができないのではないかと思ったからです。
ただ、当初は本当に大学ありだなと思っていました。
当時はトレーナーの資格の種別もわからなかったですからね。(もしこの時期に戻るのならAT取りに専門学校に行ってたかも・・・)
トレーナーになるにしても学位がないと取れない資格(※NSCA-CSCS)もあるし、2・3年間の専門学校では大して学べないのではないか?というイメージがありました。
そのため当初はスタディサプリや参考書を活用して、受験勉強をしていました・・
スタディサプリの関先生すごいわかりやすくて、現役時代と違って勉強が楽しかったことを覚えています。
もちろん、完全な受験生になるつもりはなかったので、広島のHYPER FIT24という24時間ジムでアルバイトをしながらの受験勉強になりました。
このアルバイト先が本当に最高で、自分と同い年の大学生で起業を夢見る英語ペラペラなイケメンや、同い年の大学生で自分をアイドルオタクの路線に一瞬引き込んだオタクや少し年上の警察官志望の方(今は合格して警察官されてます!)や主婦しながらモデルやられているマルチな面白い方まで本当バラエティ豊かで自衛隊を辞めた自分を受け入れてくれました。
業務も少なめで、基本勤務時間外はジム使えるので、人間関係以外もかなり整っていました。
ただ、それでもあれだけ好きだった自衛隊を辞めた自分はボロボロの状態でした。
当時の自分を思い返すと、双極性障害の状態だったのでは・・・と。
特に躁の状態では、勉強はめちゃくちゃ捗るし無限に働けるしトレーニング出来る!という状態なのですが、鬱の状態だと本当に無気力で死にたくなるくらい辛かったです。
それでも休まずバイトやトレーニングも勉強も行っていました。
止まるのがただひたすらに怖かった。
自衛隊を辞めて、同級生が大学に行ってキャンパスライフを謳歌し、自衛隊の同期は日々国民のために頑張っている。
そんな状況が本当に怖くて、自分が置いて行かれているんじゃないかって気持ちになって。。。
とにかく自分を知っている人と会うのが嫌だった。
自衛隊という肩書を失った自分は言ってしまえば”高卒フリーター”ですからね。
毎日頭がおかしくなりそうになりながら、日々を送っていると、ある事件が起きます。
人生初の交通事故
こんな状態で私は人生初の交通事故に遭遇します。
地元のLECTという商業施設があるのですが、そこの蔦屋書店で勉強を終わらせてロードバイクで帰える途中、横断歩道で信号無視のトラックに撥ねられました。
キキィッッ ドン!!!!!!
次の瞬間には地面に倒れていました。
意識が朦朧としながらも、救助してくれているであろう沿道にいた方々の声は聞こえます。
動かされる際に腰に少し鈍痛があり、頭部からも出血していました。
そこから先は警察・救急隊の方が来てくれて、僕は病院に救急搬送されました。
頭部に少し裂傷があるのと、腰に少し痛みがあるのと、30万円ほどしたロードバイクが大破した以外は特に問題はありませんでした。
自衛隊時代に培った肉体と、受け身のおかげですね笑
その日のうちにタクシーで自宅に帰り、自宅のベッドで横になりながら色々考えていました。
何をやっているんだろう・・・
死ぬかと思った。
生きててよかったな。
ただ、死んでいてもよかったな。
もう終わりだったらよかったのに・・・
そんなことを考えていると、母がパートから帰宅してきました。
母に電話が入ったのは僕が軽症だったこともあり、少し事故発生から時間が経ってからでした。
「事故にあったって聞いたけど大丈夫なの!?」
血相を変えて僕にそう問いかけてきたのです。
僕はその瞬間涙が溢れて止まらなくなったのです。
生きてて本当によかった!!まだ死にたくない!!!
両親に何も恩返しできていないのにこのまま死ぬなんてできないとその瞬間強く感じたのを覚えています。
そこから、バイトを休んでいる期間、セルフトークを繰り返しました。
・なぜ自衛隊を辞めたのか?
・自分はなぜトレーナーになりたいのか?
・この先の人生を何に使いたいのか? 等々
そうだ、人を助けたいんだった・・・・なんで忘れていたんだろう。
精神的に追い詰められすぎていて、こんなに大事なことすら忘れていたんですよね。
オーダースーツのRe:museの勝社長が人生の転換期に大きな交通事故に遭うとYouTubeで話していましたが、まさにその通りでここから自分の人生はまた動き始めます。
トレーナースクールとの出会い
新たに目標を再認識した自分は、早くトレーナーになって人を助けるようになりたいと考えるようになります。
人生は短い、いつあのような事故や病気になって死んでしまうかわからない。
大学に四年間も通っている暇なんて自分には無いと気づいたのです。
そんな中トレーナースクールの広告を目にします。
たった”6ヶ月で即戦力トレーナーに!?資格取得完全サポート”
そんな文言だったように思います。
僕はかなりスクールについて調べ上げて、2つのスクールに絞り込みました。
当時は広島にトレーナースクールなんてなかったので、どちらも大阪のトレーナースクールでした。
僕は資料を請求し、無料個別相談に申し込みました。
そして、高速バスに乗って大阪へと向かうのです。
プロジムへの入学
大阪駅に着くと、駅の巨大さ人の多さに圧倒されます。
国内旅行もほとんど行ったことはなかったですし、自衛隊の業務で県内には入ったことはあっても中心街を歩くことはなかったからです。
大阪駅から徒歩5分ほどの雑居ビルにそのスクールはありました。
最初にカウンセリングをしてくれたのは流暢な関西弁が特徴の髭面の男性。
お世辞にも体は大きくないし、トレーナーという見た目ではありませんでした。
しかし、不思議と話は入ってくる。
聞き方も上手。
トレーナースクールやトレーナーに対する疑問を全て投げかけて、それに対して全て的確な返答をしていただきました。
最後に聞かれたことは今でも覚えています。
「他に検討されているスクールはありますか?あったら是非そちらも行ってみてください!」
その言葉で入校を決めました。
自身の競合先を貶めることもなく、比較してほしいというスクールに対する自信がありありと表れていたからです。
帰りのバスですぐ入校希望のLINEを行いました。
もう一つのスクールは日程が合わず、直でお話を聞く事が叶わなかったのですが、もうここに決めたという気持ちになっていたのでお話を聞いても仕方がないかなと思っていました。
(※この後、全力後悔します笑)
広島と大阪の往復
そこから広島と大阪の往復の毎日が始まります。
授業は毎週日曜日の15時〜19時まで。
そのため、朝の高速バスで13時ごろに大阪に行き、23時発の夜行バスで広島に帰るという生活になります。
日月は授業と移動で疲れちゃうので、バイトは休み、火〜土はバイトというルーティーンが構築されていったのです。
今見るとよく、毎週高速バスで大阪まで行ったなという感じですが、当時の自分は無敵でした!
やること・やりたいことがより明確になってそれに向かって毎日1歩ずつ進んでいる実感があり、とにかく充実感がありました。
授業の内容については、こんなものなのかといった感じです。
講師の方々の経歴はすごいのに、教えている内容は言葉を選ばずいうとかなり低レベルだなと。
筋トレや体力錬成を自衛隊時代本気で取り組んでいたので、ある程度の知識はありましたし、スクールに入ると決めてから入学までに2ヶ月ほどあったので、その期間に勉強した内容よりかなり浅いことをやっていたので、正直物足りなかったです。
ただこの時は尻上がりにレベルが上がっていくだろうと楽観的に考えていました。
他の受講生の方と合トレに行ったり、トレーナーへの思いを語り合ったりしている時間が本当に楽しかったから。
また、セミナーも多く開催していたので、そこも信頼できるなと思っていました。
スクール以外でもひたすら勉強し着実に成長している実感があったのですが、世界的な事件がまたもや自分を苦しめます。
そうです、コロナウイルスの蔓延です。
コロナという災厄
中国で発生したコロナウイルスは全世界に猛威を振るい、日本もその限りではありませんでした。
コロナウイルスの影響で4月7日から東京、神奈川、埼玉、千葉、大阪、兵庫、福岡の7都府県に緊急事態宣言を行い、4月16日に対象を全国に拡大しました。
当然スクールは休校、バイト先のジムも1ヶ月の業務停止を余儀なくされました。
勉強先とバイト先を同時に失った形です。
しかも、ジムやスポーツ施設で当初クラスターが出たこともあって世間の風当たりが良くなかった。
この先のフィットネス業界はどうなっていくのか?
不安で不安で仕方がなかったです。
ただ、以前までの僕とは違います。
人を助けたいという気持ち、トレーナーに懸ける思い、どんな状況だろうが絶対にやる、何が何でも絶対にやる。
そう心に決めていたからです。
緊急事態宣言の期間を利用して、より自習に力を入れました。
自宅から徒歩5分の距離にマクドナルドがあったのですが、そこで朝から夜まで100円コーヒーで粘りつつ自習をしていました。
※この前実家に帰った際に閉店してました・・・・悲しい😢
ただここまでくるといよいよ、自習するものがなくなってきます。
解剖の起始停止や作用は覚えたし、栄養学の基礎もバッチリ、トレーニングの種目もフォーム・指導のポイント等々勉強できるものは勉強したつもりでした。
その時ネットで色々調べていると、一つのコンテンツに出逢います。
それは、宮城島さんのANFIDA ONLINE SALONです。
当時体験で1ヶ月無料ということもあり、試しに入会してみました。
これが本当に大正解だったのです。
宮城島さんのコンテンツはプロジムでやっていることの数倍も上のレベルの話をしており、分からない言葉等も多かったのですが、何とか調べながら学んでいきました!
そうだよ!これなんだよ!!
求めていた内容は!!!
といった形で勉強する事が楽しく心躍っていました。
一時は緊急事態宣言でどうなるかと思いましたが、GWを過ぎると、次第に状況は緩和して、何とかアルバイトもスクール通いもできるようになります。
※アルバイト先は休業時にもシフト上の給与の7割は支給してくれていました。本当感謝してもし足りないくらいです。
プロジムの闇:同期がほぼ全員辞める事件
スクール通学が始まったのは良いのですが、問題がありました。
それは、緊急事態宣言中の授業が全てオンライン動画に変わったからです。
これは他のスクールでもやっていた事なのかもしれないのですが、内容が良くなかった。
未編集の画質の荒い動画を送られ、これで勉強しといてねといった形でアフターフォロー等がほとんど皆無に近かったのです。
そんな中授業始まって1発目が中間テスト。
僕はある程度勉強できてたので、1番の点数でしたが、ほとんどの人はかなり苦戦していたように思います。
受講生のグループLINEは次第に荒れ始めます。
・スクール一緒に退学しよう。
・スクールにお金を返してもらおう。
・こんな授業はおかしい。
そういった内容で溢れていました。
僕はどうしていたかというと、同調はしていたのですが、表立ってそういった発言や講師に直接物申したりはしませんでした。
というかできなかったのです。
プロジムの大元は株式会社トライアス(現フィットクルー)という会社なのですが、私はそこが運営するパーソナルジムUNDEUXから雇用のオファーをいただいていたからです。
正直コロナ禍がいつまで続くか分からない状況で、正社員雇用してくれる会社があるだけで、奇跡だと思っていたので、私は喜んでそのオファーを受けていました。
そんな内々定が出ている私が大っぴらにスクールの批判が出来るはずもありません。
受講生の声は次第に大きくなり、最終的に僕ともう1人以外の10名が全額返金付きの退会をすることとなりました。
※ちなみに、後の1人はスマホを持っていないおじさんだったので、こんな事態になっているとは知らずに継続したそうです・・・
退会する受講生はスクールの授業は終盤に差し掛かっていたにも関わらず、授業料は全額60万円返金されるとのことでした。
一気に全員いなくなって唖然としてしまいました。
正直自分も返金して欲しかったです。
だって内容良くないですもん。。。。
宮城島さんのサロンや他の解剖書や栄養学、生理学の本読んだ方がもっと詳しく学べて実用的。
※プロジムともう一つで迷っていたスクールで宮城島さんが講師をされていると後から知り、死ぬほど後悔しました笑
そう思っていましたが、就職先を蹴る勇気はなく、そのままパーソナルジムUNDEUXに就職し、プロジムを卒業しました。
UNDEUX-退職へ
※秘密保持の観点で削除しております。
UNDEUXへの勤務は有給取得も相まって、すぐ最終出勤を迎えました。
本当に色々なことがあって、喜怒哀楽全てを体感したUNDEUXでの経験は本当に最高の経験になりました。
その翌年からは檜 hinoki body make salon というパーソナルジムで勤務することになりますが、ちょっと長くなり過ぎたので分割しようと思います。
次回は檜bms編と来年、2023年の目標についてをメインで記載していきたいと思います。ここまで読んでくださった方々、ご拝読誠にありがとうございました。
山中 翔太