カンヌライオンズ 2019 金賞作品に見る広告することの楽しさを個人的にメモする。その2
この手の仕事で舞台に上がる演者は
A.クライアント/B.クリエイター(作り手)/C.消費者(受け手)
の3パターンを基本として。
同様の喧々諤々をAとBは繰り広げますが、
Aのサインがないと決定しないわけですよね。
先ほど「ハンコ押されないんじゃないかな」って思ったのは、
そのAにクリエイティブな発想やそれを許せる感性があるかどうかで
随分結果が変わってくるってことだと思うんです。
つまり、クライアントにもクリエイティブなものの考え方が必要とされているわけです。
欧米、というか
「そんなんありなん!?」ってなる広告が出る日本以外の国の多くって
人それぞれのバックグラウンドや好き嫌いに寄りつつも、
その感性をどんな人でも持ってるんじゃないでしょうか。
例えば。
アメリカのメジャーリーグのファン
ヨーロッパサッカークラブのファン
こういう人たちの中に、
ミーハーとか、日本でいうカープ女子みたいな人って
少ないんじゃないですかね。
みんなかなり詳しくて、
盛り上がるところも流して見るところもブーイングするところも
同じタイミングなんですよね。
芸術の世界でも、
市民レベルで関心をもってる感じますし。
好き嫌いは別に、自由奔放に、
他に向ける興味のベクトルを自由に操っているように見えます。
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ABCの話に戻ると、
売りたいAのために頑張るBと出来たものをみてどうするか決めるC
って感じですけど、
日本でもBとCの人の感度ってものすごく高いと思います。
結構これについていこうとしない、理解しないAに属する人っていうのも、
見受けられることはあります。
俗にいう、「鶴の一声」とかね。
映画「ジャッジ」でも、
きつねうどんなのに「猫っぽくない、もっと猫っぽくして」
みたいなこと平然というハゲ親父出てきましたけど、
(あれきっと体験に基づく再現入ってるよな...)
そういうのが未だにいますし、いるそうです。
ブラック企業のヤヴァイ上司みたいに
単純なセンスのなさとかもあるのかも知れませんが、
多くは「売りたい」がためというそれだけで
意思決定をしている気がします。きっとそれでは足りないですよね。
「目につく方法を考えて」→
「それを見てもらえたら」→
「結果として売れる(だろう!)」
これぐらいのメンタリティに見えなくもない。
国民性や文化性がそういった思考の根幹にはあるのだろうけれど、
追いつけ追い越せとまでいかずとも、
そういう視点さえ取り込める柔軟性は必要だと思います。
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と、それらしいことを拙く言っては見たものの、
なによりこのポスターを見ていて
ビジネスだけど、広告だけど、「楽しんでるな」って
すごい感じます。
ビジネスですからね、わかるんですけど。
やっぱり楽しまなきゃって思うわけです。
今後世の中で必要になるのは、遊びを楽しめる人だ。
みたいなことをホリエモンも言ってましたし、
それには納得せざるを得ないです。
(うる覚えですみません。)
堅苦しく論理をどうのっていうところで話をしがちですが、
結局みんな楽しく仕事してないと、
こういう考えにも及ばないんじゃあないですかね。
お金出してるの俺らなんだからさ〜とか、
昔こうだったものを大事にせにゃいけないから〜とか。
仕組みや習慣に囚われがちな我々ですが、
奔放にやっても死にやしないんじゃないでしょうか。
“Highlight the remarkable” LIFE.
“Highlight the remarkable” IDEA.
“Highlight the remarkable” YOU & ME.
蛍光ペンそういえば持ってないな。
これを機に新調してみようかしら...。