日本の夏が失った夕涼み
【夕涼み】 夏の暑かった日の夕方に、戸外や縁側に出て涼を取り、夏の夕暮れを楽しむこと
一日中とにかく暑い毎日が続く夏ばかりで、夕涼みという言葉はどこかへ行ってしまった。
きっと今の子供たちがそれを聞いても一体何の事だろうと思うに違いない。
東京には涼しい夕方も無いし、縁側も無い。
夏休みの早い時間にお風呂に入ることがたまらなく好きだった。
昼間に目一杯遊んで帰り、いつもより冷たいシャワーを浴びた夕方。
濡れた髪で窓の外を見ればまだまだ明るくて、昼間の暑さから解放されたその体で、まだまだたくさんのことが出来そうな期待に満ち溢れていた。
もちろん外が明るいと言ってもそれは日が長いからで、実際にはもう外で遊べるような時間ではなかったから、結局残してしまった宿題をやったり、ボーっとしたりするくらいだったけれど、窓から入る風が湯上りの肌に心地よく、あれが僕にとっての夕涼みだったのだろう。
最高の夕涼みは銭湯の帰り道だった。
普段は入れない大きな湯船で存分に体を伸ばして湯に浸かる夏の夕暮れ。
夏休み真っ只中の自分にテンションが上がってしまい、思わず湯船を泳いで大人に叱られたこともあった。
湯上りのみぞれバーがとても楽しみだったけれど、すぐに出てしまうのも勿体ないし、ギリギリまで我慢すれば、もっともっとアイスが美味しくなるからと長風呂する性格は、対象がビールに変わっただけで、今も何も変わっていない。
銭湯を出るとそこは、少しだけコインランドリーの匂いがして、その先には赤く染まり始めた町が優しく広がっていた。
アスファルトが昼間に蓄えた熱はもうすっかり空中に放出されていて、空気はちゃんと夕方だった。
みぞれバーで冷えた体にぬるく通り過ぎる夕方の風はとても心地よくて、僕はその時間が何よりも好きだった。
そういえば今夜は友達と花火をする日だったな。
来週からは野球の合宿も始まるし、学校のプールだってまだ何日も残っている。
そんな夏休みのわくわくに胸を高ぶらせても、毎年夏休みはあっという間に過ぎてしまうものだったけれど、夕涼みの中で想像する夏はこの先ずっとずーっと先まで続きそうな気がして、僕はそんな時間がとても好きだったんだ。