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いけばなって何?(2)

前回の話をもう少し深めるために、庭の話をします。日本人の自然に対する態度の特徴を理解してもらうためです。

以前、豪州国営SBS日本語ラジオ放送からインタビューされました。いきなり「日本庭園って、何ですか?」と質問され、「ちょ、ちょっと待ってください。きちんと答えると1時間かかるトピックですが」。もう少し短めに、というので、以下のようなことを大急ぎで話したものです。

カールソンの庭園比較


カールソンは「美学と環境」という本の中で、典型的なフランス式庭園、英国式庭園、日本庭園を比較し、それらの特徴を上手に要約してくれています。
Carlson, A. (2002). Aesthetics and the Environment (London & NY: Routledge). 

フランス式庭園

フランス式庭園では、Art (人為と訳したい)が、自然のモデルとなって調和が成り立っている。つまり、人為に自然を従わせている、ということ。抽象的な文様になるように、樹木がきれいに刈り込みされています。

英国式庭園

英国式庭園では、自然がArt のモデルとなって調和が成立している。つまり、自然の様子を参考にして、それを模倣するように庭を作っている、ということ。

ここまでの話は比較的わかりやすいと思います。簡単に要約すれば、人為対自然という対比構図で考えると、人為に自然を従わせるのがフランス式、自然に人為(庭)を従わせるのが英国式、ということ。画像からも納得していただけるでしょう。

ここで確認しておきたいのは、両方の庭園の場合、自然を人為に対するもの、対象物とみなして、それに手を加えたり(フランス式)、観察して、模倣したり(英国式)しているということです。人と自然との間にある種の距離があることがわかってもらえますか?近いか遠いかの違いはあるにしても。

しかし、日本庭園となると人為対自然という対比構図だけでは十分な理解ができません。人と自然との間の距離が、単純には想定できなくなります。人が自然を客観的な対象として関わるというようなわかりやすい関わり方ではないのです。もっと自然に寄り添うというか、特殊な関わり方がなされています。日本庭園の話となると、形而上学のレベルまで話を深めなければいけないようですね。

日本庭園

カールソンの日本庭園についての解説は秀逸です。難しいですが。人為を自然に従わせているという意味で、自然の導きに従って調和を実現している。自然の本質を強調するような自然の理想体を作ろうという人為が働いている、と。少々哲学的でもありますね。

自然を客観的な対象とするような関わり方ではなく、自然と融合するような関わり方と理解してもらえれば、とりあえずは大丈夫です。

やや抽象的な話になってきましたが、自然に対する主な三つの特徴的な態度、簡単におさえておいてください。私の文章を読み進めていくとさらに理解が深まるはずです。

庭園理論と生け花理論を比べると


ここで、前回、生け花とフラワーアレンジメントの違いについて書いた内容を思い出してください。

フラワーアレンジメントでは、自然よりも人為が重視されるということでした。これは、フランス式庭園の自然の扱いに似ています。特に、作者のデザインに合わせて、自然に手を加えていこうというところなど。

生け花では、人為よりも自然を重視するということでした。しかし、単に自然を客観的に観察し、それを模倣しようという英国式庭園のような態度ではないという話でした。

自然、あるいは自然素材の中に溶け込み、その本質を瞑想し、自然の理想体ともいえるものを表現しようということなのです。「人為的に精錬された自然」を表現したいということ。

上記のカールソンの日本庭園の解説は難しかったのですが、人と自然が融合するという考え方や、生け花における自然との関わり方を参考にすると理解できるでしょう。そして、日本庭園と生け花というのは、自然に対する態度においては、ほぼ同じではないか、と気づいてもらえるでしょう。当然のことかもしれませんが。

そのような自然に対する独特な態度は、日本文化の重要な特徴のひとつかもしれません。とすると、それを説明せずに、生け花をきちんと理解してもらうことはできないでしょう。これに関連して、勅使河原宏が日本庭園について面白いコメントを残していますので、次回はそれを紹介しましょうか。

自然への態度を重要視する理由


ところで、なぜ、このような自然に対する態度を区別して、厳密に考えることから生け花の話を始めなければいけないのでしょう?

実は、この作業をしておかないと、ひどいことになるからです。

生け花や日本庭園についての学術論文、博士論文をいくつか読んだことがありますが、この根本的な出発点(そして、同時に生け花、日本庭園の本質でもあります)を曖昧にし、全く見当違いな議論をしている例がたくさんあるのです。

また、生け花、日本庭園の特徴をあれこれ羅列するだけで(そんなものはウィキペディアに任せれば十分)、その内奥にぐさりと踏み込むような論考が滅多にありません。いつか、それらの皮相的論考も紹介する機会があるかもしれません。

さらに、私にとってはもっと切実な問題なのですが、外国人に生け花をきちんと教えることができないからです。自然を客観的な対象物とするような関わり方をしている限り、生け花を修得することはできません。特に、外国人が、日本人の自然に対する態度を理解せずに、生け花を修得することはできないのではないか、と思います。



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