毎日が小さな修行【読書感想】〜闇を転じて光の世界で生きていく〜
『心に沁みた言葉〜言葉の燈〜』
「闇を転じて光の世界で生きていく人」
P106
思ったこと▼
誰の心にも闇が存在する。
悪意、妬み、僻み、怒り。
これらを受け入れたり、
折り合えるのが、人間だと思います。
光と闇は表裏一体。
闇を転じられる人でありたい。
この言葉を聞いて児童文学「ゲド戦記」
の大賢人ハイタカを思い出した。
「大切なのは、自分の心をいついかなるときでも、コントロールできる自分になること」
P29
思ったこと▼
これが修行する意味だと思う。
いつでも自分の心の主導権は自分が握る。
課題の分離や主体的である、
多くの名著の言葉を思い出した。
「この天地の素晴らしい道理に則して生きていくと、良い縁、良い運がどんどん巡ってきます」
P34
思ったこと▼
先日、少し落ち込んだ。
自分という人間がいかに小さいかと、
気づくことがあった。
道理に則していたかはわからないけど、
後悔したくないと思い行動した。
その結果、お二人の尊敬する方に
会って話すことができた。
一人は目的通り、もう一人は偶然。
奇跡だった。
道理に則していたような気がした。
「種を蒔かなければ、収穫はできない」。
もっとぼくは憧れの方々に近づきたい。
『どんな本?』
大峰千日回峰行という過酷な修行、
1300年に二人しか、満業した僧侶はいない。
そのお一人の塩沼亮潤大阿闍梨の著書。
修行から学ばれたことを、
とてもわかりやすく書いて下さっている。
人生を優しく励ましてくれる。
「落ち込んだときに読みたい本」
『読書感想』
塩沼亮潤さんの本は温かいです。
本当に優しい言葉が心に沁みます。
厳しい内容も、その人間性から
優しい言葉に感じさせてくれます。
「これが満業者の境地か」
そう思います。
雲の上のようなお方です。
本書は非常にシンプルです。
毎日の修行の積み重ねが、
自分を作り上げている。
だから毎日が修行で、
良い花を咲かせたいのなら、
当然手入れが必要で、肥料も必要です。
自分が成長して、人生も明るくして、
他者や社会も明るくしていく、
だから毎日が修行。
その修行へ臨む、いわば人生の考え方が
語られた一冊です。
個人的にはこの本を読む前に、
塩沼亮潤さんがどんな方か、
どんな修行をなされたのか、
それを知ってから読むのがお薦めです。
「生涯人生 小僧のこころ」
こちらの一冊はぼくも一読しており、
自信を持ってお薦めできます。
人生は山あり谷あり。
良いときがあれば、悪いときもある。
悪いときがあるから、良いときがある。
表裏一体です。
だけど、落ち込むのは辛いです。
そのときに、塩沼亮潤さんの言葉に
触れてみてください。
ぼくはいつも勇気が湧いてきます。
母親が紹介してくれた本です。
母親はまさに人生の試練の時に
この本に出会ったそうです。
いつか塩沼亮潤さんにお会いし、
直にお話を聞いてみたい、
その人間性に触れてみたい、
それもまた、人生の楽しみです。
『言葉の燈』
ときには、自分が引くこと、
自分の我欲を出さないことで、
非常に円満な人間関係が生まれます。
そこに、良い縁が巡ってくるのです。
お釈迦様が説いた真理の教えというのは、
まさに野に咲く一輪の花の如く、
ただそこに咲いているという在り方
をしなさいということでした。
ある日、師匠はこうおっしゃいました。
「行とは、世のため、人のため、
寺の発展のためにするものではない」
すれ違いざまにかけられた言葉の真意が、
そのときの私にはよくわかりませんでした。
ー。
なるほど、世のため人のため、こんなことを
お坊さんが口にしてはいけないのだ。
そういう思いはうちに秘めて、
日常をしっかり生き切るのみだ。
それが結果として世のため人のために
繋がっているのだ、と気づきました。
積んだ功徳は消えることはありません。
もしそれが自分に回ってこなくても、
子孫が恩恵を受けたり、来世で花が咲いたり…。
「父の恩は山より高く、
母の恩は海よりも深し」
本屋さんに行けば、
一生かかっても読みきれないほどの
たくさんの本があります。
すべて向上心のちりばめられた本ばかりです。
しかし、
それらを読んで知識ばかり頭に詰め込んで、
あたかもできるつもりになっていないでしょうか。
ところが、今は聞き習いです。
聞いて自分が納得しないと
動かない人が多いようです。
私たちの修行時代は見て習う、
見習いでした。
そのときは意味がわからなくても
納得できなくても、
指摘を受けたら「すいません」と反省して、
師匠や先輩のやっているとおり、
自分でやってみるうちに、
だんだんとできるようになる。
これが見習いの極意です。
「薫習」とは、お香が衣などにその薫りを
自然に残していつまでも残ること。
いろいろな知識を詰め込んでも、
人間的に魅力がないと、
人を魅了することはできません。
一宗派の管長という立場のお方が、
宗門の信徒に対して誠を尽くしている。
その姿は非常に衝撃的で、
今でも鮮明に覚えています。
いかなる立場であれ、謝るべきところは
謝らなければならないということを、
頭を下げる師匠の背中から学びました。
褒めて育てる時代の落とし穴
人と人との関係にも
礼儀というルールがあります。
私は皆さんの代表選手としして、
人と人との心がすれ違うのはどうしてなのかと
考えるためにそういう役目が与えられ、
山に入ったように思います。
人間には四種類の生き方しかないいうことを、
お釈迦様は説いています。
・光から光の世界で生きていく人間
・光から闇の世界へ生きていく人間
・闇から闇の世界へ生きていく人間
・闇を転じて光のある世界へ生きていく人間
「私が」と角があるうちは、
人生は好転していきません。
叔父は日に日に体力を消耗して
死に近づいていました。
そのときに、
行の意味がわかったような気がしました。
自分自身、行を通じて叔父と同じような状態を
行を通じて経験していたために、
的確な判断やアドバイスができたのです。
自分の人生は自分の心で変えていくしかありません。
自分の心も自分の心で
コントロールするしかありません。
そのためには常に感謝の気持ちを持つことです。
自分の心地よいときだけ感謝するのではなく、
崖っぷちに立たされたときこそ、
心から感謝の気持ちが湧き出る人が本物です。