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読みたいことを書く。

文章を書くのが苦手な(だと思っている)人がnoteをはじめた。
苦手意識は慣れていないだけだと思う。
よって
書こうと思って、書きはじめたことにnoteを運営する方に代わって拍手を送りたい。そんな場に感謝したい。

こんなに世の中に文章ってあるのに
苦手意識をもたれる文章ってなんだろう。

得意とか苦手とか、単純に打席数の問題ではなかろうか。どれだけ書こうとして書いたか。自発的、それにつきる。
小学生の頃の読書感想文なんて、まともに書いた覚えはない。今みつけたなら、破って、燃やして、燃えかすを海にまくと思うんだ。
墓には入れたくないけれど、綺麗な海にまきたい。もしくは暖かい布団にくるめて欲しい。思い出されたタイムカプセルのように埋めた場所の上にマンションが建てばよい。掘り出されたなら、すみやかに排水溝に流すべきだ。残してはいけない。

5000年前くらいのエジプトの壁画に「最近の若いものは〜」なんて言葉が発見された説がある。
あまりにイラっとして、自発的に残した言葉に違いない。
後世まで伝わるなんて、あくまで結果。

結論から言うと
文章は伝える、伝わるツールの一つである。

来たるべき5Gの時代。
あと5000年後にYouTubeで「俺がお前くらいの歳には〜」なんて動画が発見されるのだろうか。
あまりにイラっとしたら十分ありえる話だ。結果的に。

文章を書く。
書きたいこと、つまり読みたいことを書けばいいんじゃないかな。
構成といった点では異なる目線やコツが必要かもしれないけれど。

文として残すことは回顧できる。
だいたいにおいては、文章が下手だった、読めたものじゃないって気づくことが多い。それはまさに上達したって確たる証拠だと思う。
その昔、インスタントカメラの時代だから3000年前くらいだと思う。確か。フィルムが尽きたカメラを叩いてはフラッシュで遊んでいた。過去の写真をみては「過去の自分を見て、ダサいと思わなくなったら成長していない証拠だ」と声高々に鼻息荒く、フラッシュ光らせて語っていたことを覚えている。
いま、あのとき良かったなあ、って思う僕はきっとそういうことなんだろう。39歳になりました。フラッシュってなんだ。

結論を再び述べる。
文章は伝える、伝わるツールの一つである。

何を伝えたいかは読んだ人次第。そのように行間を読める人に任せてもいいはずだし、伝わるように太字にしたから大丈夫だ。


ふむ。


nakabayashi



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