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ちゃんとものと向き合って、ちゃんと魅力を伝えられるひと、と仕事がしたい。
仕事を投げる、見つける
社会の縮図といってはなんだが、そういった立場に席を追いやられる話。
ふと気づけば、
今やっていることを別の人にやってもらいつつ別の仕事を探さなければいけなくなる。なぜ目の前に集中させてくれないんだろうかって思うことも少なくない。
今年は手前味噌ながら結果と実績を積んだ1年。
と思うのも
オンラインショップ経験はあるものの、その実それは個人店での話であって、フォトショップやカメラ、文章なんかは30歳あたりからはじめたことで完全にアマチュアだと思っていた。(教えてもらっていないという言い訳みたいな台詞がついてまわる)
だからこそ、確かな自信とささやかな経験値を得た。
方法論なんかは語れないし、方法論を言語化できる人を僕は信用しない。
経験値とか実績って目の前の(現実には目の前にはいないけれど)一人一人に向き合った延長にあるものだと思う。だから言語化が難しい。
話を戻して
誰でもできることは他の人にまわしてって話はわかるんだけれど、誰でもできることって思われているのは寂しいし、なによりも他のひとに仕事をまわすのってとても時間と労力がかかる。相性もある。
技術や経験があっても、ちゃんと向き合えるひとって珍しい。
プロという名目であたまが凝り固まって、これはこうだって経験論のような主観を振りかざすひともいる。いまどき、主観なんかいっときは通用しても世の様相のように1年も経てば一変する。
ぼくがのぞむのは熱量。
技術は必要だけれど、まずそこ。
熱量があれば、技術はある程度ついてくるし吸収力がちがう。それがないと一緒に働きたくない、とさえ思う。
仕事量なんて定量ではないし、見つけようとすればキリがない職種。
いい写真撮るひと、いい記事かけるひと、動画を作成できるひと、画像編集が得意なひと、PC業務を要領よくこなせるひと、印刷系が強いひと、など。どれか一つ特化しているだけでも尊敬できるけれど、あくまですべて手段。
伝えるための手段にすぎない。
それよりは、ちゃんとものと向き合って、ちゃんと魅力を伝えられるひと。と仕事がしたい。
個人的にオールラウンダーを自負しているが、どれも中途半端と置き換えることも容易なタイプ。デレクション側が中途半端だと指示される方は混乱しますよね。でも、そういう方がかえっていいのではないだろうか、とたまに思うことがある。これも悩みの一つ。
プレイヤーであることをやめるのって出世なのかもしれないが、その言葉にあまり興味がない。出世より自分で開業。
そんな言葉は自分の中でしっくりこなくて、落ち着くところに落ち着いていない感じ。できれば目の前に集中していたい。
中途半端だけれど
ちゃんと向き合えるし、できる限りに魅力を伝えられると思う。
それが一番わかりやすい方法論の言語化かもしれない。
そういう役どころや役名もあっていいんじゃないだろうか、と思い
つらつら書いてみた。
今日で仕事納め。
書くことで、仕事納めができたよう感じます。
良いお年を!
nakabayashi