見出し画像

「digitization → digitalization → DX」という流れは本当なのか?

本稿は、最近ではもっとも悩んだトピックです。基本的にこの10年弱、ほぼずっとDXの本質について考え続けているのですが、特にこの3か月間は文字通り毎日考えました。いまこうしてまとめていても、まだ不足な面があるのではと不安になります。

そのトピックは、「digitization → digitalization → DX」という流れは本当か?というものです。結論として、違う質の概念を並べているのではないか、異なる概念が混ざっているのではないかと感じています。


よく語られるDXの3段階

初めにざっと用語を復習しましょう。後でこれが落とし穴だという話になりますが、まずは世間一般の定義を採用します。


標準的なDXの3段階

digitizationは、アナログなものを電子化することです。紙のプロセスをIT化するのがその典型になります。しかし、例えば手書きの書類のスキャンやフォーマットがまちまちのExcelは、コンピュータにとって必ずしも扱いやすいものとは言えません。ですので、digitizationは単純な電子化というより、コンピュータが可読な形式にすること、という理解が正確だと思います。

digitalizationは、デジタルを使った効率化・自動化です。大きくプロセスを変革しないまま、一部をデジタルに置き換えたり自動化したりします。例えば顧客にwebで入力してもらった情報を、これまでは人間が目で見て評価していたところ、機械学習に置き換えるようなケースです。物理世界ではロボットの導入も関係するでしょう。

そしてDXとは、ビジネスを変革することです。ビジネスプロセスを大胆に変更したり、新たなビジネスモデルに挑戦したり、デジタルを用いた新規事業を始めたりすることになります。それに付随してアジャイルな進め方を普及させたり、企業の組織構造を大きく変えたりということも論じられます。


「DXの3段階」への疑問

このとき生じる疑問は、本当にdigitalizationの後にDXが続くのだろうか、というものです。

  • 先にdigitalizationをすればするほど、ビジネスプロセスは硬直して大きな変化を生み出しにくくなるのではないか

  • 個々のプロセスの効率化・自動化は、しばしば局所最適を志向するので、会社全体の変革は遠ざかるのではないか

  • デジタル技術の利用に慣れることが、どうしてビジネスモデルを変えることに繋がるのか

  • なぜビジネス変革は効率化・自動化の後に取り組まないといけないのか

digitalizationとDXの順序関係にロジックが見えてこないという感覚に襲われます。

この問題に深く悩み、様々な有識者にお話を伺いました。示唆に富む話が多く、思考は広がり深まるものの、目の前に広がる光景をいまひとつ説明できないという思いは拭いきれず、更に考え続けました。


"DX" という言葉を切り分ける

そうしていろいろ悩んだ結果、落とし穴はDXの定義のブレにあることに気付きました。

筆者はDXを、情報革命という社会の大きな環境変化を生き延び発展するための活動と位置付けています。数十年後に情報革命が落ち着いてきたときに、自社が立派に存在しているための不断の試みです。"Digital Transformation is a Journey, Not a Destination" (DXは旅であって目的地ではない) と言われているように、DXが継続的な活動というのは一般的な理解だと思います。

そのことを十分に分かっていたはずなのに、digitizationやdigitalizationと並列に置いて「DXとはビジネスを変革すること」と定義してしまうと、その継続的な変革のニュアンスが失われ、目の前のビジネスを何とかすることにフォーカスしてしまうことに気付きました。

つまり、目の前のビジネスを変革する単回の活動と、情報革命を乗り切り飛躍するための継続的な活動に、同じ名前が付いているのが問題なのです。例えば前者を小文字のdx、後者を大文字のDXとしてもいいですし、前者をデジタルビジネスデザイン、後者をデジタルトランスフォーメーションと呼んでもいいかもしれません。

筆者の違和感がご理解頂けたでしょうか。

そもそも「ビジネスデザイン」は、それ自体単独で行えるものであり、その際にデジタル要素を加味して競争力を向上させるのが「デジタルビジネスデザイン」でしょう。そのデジタル要素というのが、効率化・自動化の延長線上にあるものであれば、この矢印は繋がります。しかし何度も挙げる例でいえば、街の書店が既存のオペレーションを究極まで自動化したとしても、Amazonになることはありません。ですから、digitalization → デジタルビジネスデザインという矢印は論理的に繋がっていないのです。


改めて各要素の繋がりを考える

では、digitalizationとデジタルビジネスデザインには順序的にも因果的にも繋がりがないとして、digitalizationと (大きな意味での) DXはどういう関係なのでしょうか。

それには、大きなDXを成功させるための条件を考える必要があります。

DXは情報革命を乗り切り飛躍するための活動です。しかし、情報革命とは単一の技術や社会の動きではありません。産業革命が水力→蒸気機関→電力と変遷したように、真空管から始まった情報革命もどんどん変遷します。今はインターネットの派生物であるAIが最も大きな影響力を発揮していますが、何年か後には全く別の要素が立ち上がるかもしれないのです。

そのなかで、生き残るために必要なことは何か。発展するのに何が足りないのか。少なくともひとつ言えるのは、自らを変革する能力です。更に言うなら、自らを貪欲に変化させる意図と自信でしょう。

以前の稿で、石井光太郎の発言を引きながら、ITはかつて道具だったが今は環境であると述べました。環境変化というのは、自信があればチャンスに見えます。自信がなければ目を逸らすか過小評価するか、取り組まないことを選択しがちです。ですから、情報革命のさなかに重要な最初のひとつは、ITに自信を持つことです。

先ほどdigitalizationは効率化・自動化であるとしました。これ自体は、ITを道具と見做す、ビフォア・デジタル時代の発想です。しかし、digitalizationを通じてITに慣れ、興味を持ち、特徴を把握することは、DXにとって非常に重要なことです。digitalizationの成功は、それ自体はDXではありませんが、自らの能力を信じ、新しいITへの拒否感を減じ、社会のデジタルな変化を脅威でなく機会と見做すようになるための重要な位置を占めるのです。


DXの段階論:再整理

ですから、「digitization → digitalization → DX」と線形に発展する構図は間違いだと思っているのですが、その理由は以下です。

  • digitizationやdigitalizationとDXを同じ粒度にしてしまうと、社会の環境変化に応じて変革をし続けるというDXのニュアンスが失われ、誤解を生じる

  • 単回のビジネス変革は、それはそれで重要。混乱を避けるためDXとは別の名称が必要かもしれない。例:小文字のdx、デジタルビジネスデザイン

  • digitalizationと単回のビジネス変革には順序的にも因果的にも矢印を引けない。これは並列の関係であり、デジタルへの慣れや自信の獲得を経てDXとして合流する関係だと思われる

この「慣れ・自信」という部分が鍵でしょう。その本質は何なのか。どうなれば慣れた・自信が付いたと言えるのでしょうか。おそらくダイナミックケイパビリティと密接な関係があると思っていますが、筆者の不勉強もあり本稿では割愛します。何はともあれ、digitalizationとDXの関係に一定の整理ができ、いま何の話をしているか誤解を避けられることは有用だと感じています。




いいなと思ったら応援しよう!