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可視化は難しい? ビジュアライゼーションとデザインの関係

今日は可視化に関して書きたいと思います。

もう何年もデータ利用が叫ばれているにも関わらず、案外と浸透しないという感覚はないでしょうか? AIがこれだけ話題になっているにも関わらず、実際にはごく限られた領域のみで活用されるのみで、そのポテンシャルと比較すると、企業活動や社会活動全般にはほとんど広がっていないのではないでしょうか。

なぜなのでしょう。


データを見ずにアクションに移る傾向がある

ひとつには、「いつもデータを考慮に入れる」という習慣がないからです。

例えば部下が、仕事の効率が上がらないという相談を上司にしたとき、その上司と部下はデータを見ながら議論するでしょうか。

その会社において、あるいは他社も含めた類似の職種において、効率よく仕事をしている社員と効率の上がらない社員の差は何か。ボトルネックになりやすいタスクは何か。そういった観点をデータから紐解いて、その改善策を議論している人々がどれほどいるでしょう。それよりは、部下の相談に対して過去の経験で回答している上司の方が遥かに多いのではないでしょうか。

あるいはやる気を出して、デジタルソリューションを導入し、効率化を図るようなプロジェクトを立ち上げることもあるでしょう。確かにそれは有効なアプローチになりえますし、実際に改善すべきステップと対応する解決策が得られて成果が挙がることもあります。しかし根本をたどれば、その社員の年次だけ研修メニューが異なっており、基本的な知識が欠落していただけかもしれません。異動してきた元の部署と仕事の進め方が違い過ぎて何かを誤解していたのかもしれません。可視化をすれば分かるような、そういった理由を見逃していた場合には、狭窄した視野からは少ない仮説しか出ないため、改善プロジェクトの成果は想定していたほど大きなものにならない傾向があります。


可視化の価値は受け手が決める

もうひとつには、可視化の難しさがあります。

可視化とは、特に探求型の可視化とは、データをつぶさに見ることです。データを見てみて、自分の考えを確認したり、予想外の発見をしたりするためにあります。可視化は一足飛びに結論に至るものではなく、気付きや確認や議論の出発点などといった、とても属人的な形で使われます。つまり可視化は、しばしばサービスとして、つまり受け手に渡る前に価値を定義できないものとして提供されます。


可視化の難しさは、どんなデータを見るかということと、そこから何を得るかということにあります。裏を返せば、どのデータを見て何を得たいのか、事前に決まっている場合には可視化は非常に簡単です。業績を表彰するために、全国のどの支店の売り上げ達成率が一番なのか描きたいのであれば、グラフを作る方も見る方も迷いはしません。

ですが、売り上げの大きいセールスパーソンにはどんな共通点があるか知りたいとしたら、どんなデータを可視化すればいいのかも分かりません。まして何かの業務の変革チームが、改善ポイントを絞るためのデータを見る場合には、得たいものすらはっきりしていないこともあります。

しかし、もしこれらの難しさを乗り越えて可視化に成功した場合には、データが新しい視点を浮き彫りにし、データの客観性が議論の納得感を大幅に増し、データ間の連携性は更なる仮説生成に貢献できるのです。


可視化にはデザインが必須

さてそんな可視化ですが、実際には別の難しさもあります。それは、可視化にはデザインの力が必要であり、それが普段からデータを扱うデータサイエンティストやデータエンジニアのスキルセットに含まれていないということです。

デザインの定義は様々です。スティーブ・ジョブズは “It's not just what it looks like and feels like. Design is how it works. (それは見た目や感触だけではない。デザインとは、それがどのように機能するかである)” と言っています。他の定義も参照するに、デザインとは目的を達成するための実現手段を提供することのようです。ですが実際にデザインと言ったとき、つまりデザイン思考やデザイン・ドリブン・イノベーションとかの、デザインにしかできない何かを期待するとき、生み出されるべきは「潜在ニーズの発見とその解決策の提示」ではないでしょうか。ユーザが自分で気付いていなかったにも関わらず、それを見たときに「ああ、これが欲しかったものだ」と感じる何かです。


先の話と関連させるなら、どんなデータを見るかということと、そこから何を得るかということが明確に決まっているならば、可視化は解決策 (ソリューション) です。そこが決まっていないときに、ユーザが潜在的に期待しているニーズを解き明かし、それを満たすソリューションを提示するところまでがデザインだとすると、可視化の難しさがお分かりになるでしょう。あるいはもしかすると、ユーザのニーズを解き明かすのではなく、デザイナーの内側から出てきた提案がユーザに刺さる構図もあり得ます。その方が更に難易度が高いのは言うまでもありません。

いずれにせよ、要件とかバックログとかの明示された課題を達成するのではなく、ユーザという迷宮に入り込む能力を要求されるという点で、データサイエンティストやエンジニアが困難を感じるのは決して不自然ではありません。


ビジュアライゼーションのできる人材は不足している

しかし、だからこそ、可視化には伸び代があるのです。

複雑で大量のデータを扱えるデザイナーが多くなく、デザインのマインドセットを持つデータサイエンティストやエンジニアも多くないからこそ、いま可視化という分野は人材不足であり、まだ伸びるこれからの分野なのです。しかも、可視化はいちど作ったら終了ではありません。状況の変化に応じて、潜在ニーズの変化に応じて繰り返し試みられるものですし、それゆえに多くの人材が必要とされます。

特に不足しているのは、好奇心を刺激する喚起力だと思っています。

現在の多くの可視化は、宣言型として、レポートに添えられる確認事項に過ぎません。データを見て何かを発見する、データを起点に仮説を見直すといった、知的な活動の中心と関われていないと感じています。

先ほどから、可視化は何が見たいか分かっている場合にはソリューション、分かってないときはデザインと繰り返していますが、そもそも可視化のデザインを試みようとする人が少ないですし、その結果として可視化の持つ力が伝わっていないのではないでしょうか。受け手にリクエストされて初めてグラフを作るのではなく、提案として先んじてデータを可視化する。このデータを探求しようという興味を抱かせる。まだ実践できている企業は少ないかもしれませんが、これから必要とされるのは、データの有用さ・面白さを伝播させる人なのだと考えています。


可視化の普及には困難もある

ネガティブな話題として、可視化に対する抵抗勢力にも言及しておきましょう。権力構造に関してです。

可視化、特に優れた可視化には、人を惹き付ける力があります。するとどうなるでしょう。これまで部下の報告を受けて上司が物事を決めるという形だったチームは、データを見ることで議論がフラットになり、結論を上司が自由にコントロールできなくなります。上司がもともと持っていた仮説がデータによって覆されれば、上司の面目は潰れてしまいます。ですから、チームを思い通りに動かしたり自分のプライドを重視したりしたい上司にとって、データは敵になってしまうのです。

以前はデータ重視のカルチャー浸透を阻害する上司をHiPPO (Highest-Paid Person's Opinions、組織内で影響力を持つ高給取り。カバと引っ掛けて嘲笑している) と称していましたが、その構図は残念ながら現在でも残っています。そういった人々にとって、さまざまなものが “可視化” されてしまうのは都合が悪いのです。


もうひとつの難しさは、データの解釈です。

例えば「50m走のタイムが遅いほど年収が高い」いうデータ[1]を見たときに何を思うでしょうか。運動が苦手な人ほど勉強を頑張ったので稼ぎが良くなったとか、上手にサボる人の方が要領よく稼ぐとか、そんな仮説も思いつくでしょう。ですが実際には、データに含まれる年齢に大きな幅があり、シニアな人々は足が遅く給料が高かった、というのが真相です。

ここで起こりやすいことは、データをヒントに立てた仮説が、検証も経ないまま真実として定着してしまうことです。例えばこの例なら、足が遅い方が勉強を頑張ったおかげでデスクワークが得意になったのかと思い込み、入社試験で50m走をさせて遅い人を採用するのがナンセンスなのは分かります。しかし実際にはこういった物事の因果を捉えない仮説が、いつの間にか仮説という留保を忘れ去られ、形骸化した手続きとして、あるいは盲信されるドクトリンとして残ってしまうリスクに注意しなくてはなりません。

補足すると、根拠のない仮説が定着してしまう、そんな仮説はデータからのみ発生するものではありません。破綻した三段論法や単なる思い付きから始まっても同じ状況に陥りますので、特にデータの欠点という訳ではありません。しかしデータには反駁を許さない力強さがあるため、より注意しないといけないと思っています。


可視化とは変革の1ステップ

こうやって考えてみると、可視化の難しさは一筋縄では解決できそうにありません。可視化を通じたデータ利用が定着し、その先にあるデータ駆動型の意思決定が行われるのは、更に遠い気がしてきます。

しかし一方で、可視化とは民主化でもあります。データに容易にアクセスできることで、最前線のメンバーは全体観と根拠を持って素早く判断し、変化や複雑性に対応できるようになります。信頼と権限移譲を伴い、早く正解にたどり着くアジャイルなスタイルとは相性が良好です。

ですから、可視化だけにデータ活用のベースを任せるのは間違っています。そうではなくて、会社が意思決定の精度や速度をもっと向上させようとしたとき、組織やプロセスの変革と共に力を発揮するピースとして、可視化を位置づけるべきなのです。






[1] この例は昔どこかのサイトにあったのですが、検索しても見つけられませんでした

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