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よく "データ駆動" と言うけれど、データは何を駆動できるのか?

先日はデータ利用全般に関して考えてみました。今日は特にデータ "駆動" に関して考えてみたいと思います。


"駆動" とは方向や速度を制御したり牽引したりすること

最初に気になるのは、データ利用とデータ駆動の違いです。データを参照して意思決定をしているとき、それはデータ利用なのか、データ駆動なのか。その両者を区別する必要があるのでしょうか。データは何を駆動しうるのでしょう。

駆動とは、drive (あるいはその過去分詞driven) の訳語です。辞書には、方向と速度を制御したり牽引したりするとあります。では、例えばデータがマーケティングを駆動すると言ったとき、つまりデータがマーケティングの方向と速度を制御したり牽引したりすると言ったとき、それはどういう状態なのでしょうか。データを参照するのと何が違うのでしょうか。それ以前に、現状の業務においてマーケティングを駆動しているのは何で、データ駆動になったときその何かはどうなってしまうのでしょうか。こういった問いが浮かんできます。


おそらくは、意思決定が関係するのだと思います。ホワイトカラーのオペレーションは、大きな意思決定、その下の意思決定という形で階層的に続いていく、意思決定の集合体です。したがって、データ駆動とは大小の意思決定に関わるものだと言ってよいでしょう。


今は人間が意思決定を駆動している。でも誰が駆動しているのかよく分からない?

マーケティングの例に戻れば、現在のプロセスにおいて、方向と速度を制御したり牽引したりしているのは担当者、ミドルマネジャー、あるいは担当役員でしょう。ある製品のマーケティングを駆動している人を想像してみてください。その人は、おそらくマーケティングの方向性を提案し、その決定に強く関与し、詳細の設定に関わり、各方面への指示を出しています。

それをデータが行うとはどういうことでしょう。データがマーケティングの方向性を提案し、データが大きな意思決定に強く関与し、データがプロモーションの詳細設定に関わり、データが各方面への指示を出すということでしょうか。


おそらくは、そういうことです。

現在の技術が全てをこなせないにしても、その多くに関与する姿、それがデータ駆動です。データサイエンスやAIは、技術的にはアイデア出し、ディスカッション、フレームワークの提示、スケジューリング、タスク管理などを担うことができますから、人間との協業であれば既に不可能な範囲ではありません。それよりも重要なのは、意思決定のスタイルでしょう。


先にマーケティングを駆動する人の例を挙げました。彼あるいは彼女は、どんな立場なのでしょうか。役員にしては仕事が細かすぎます。ミドルマネジャーか、あるいは信頼の厚い担当者といった風情で、重大な意思決定者そのものでないにせよ、意思決定に大きな影響を与える。この「意思決定に大きな影響」というのがポイントです。

例えば意思決定者が部下の提案を聞くとして、ある程度の出来であれば、自分の意見を反映させる条件で許可を出すでしょう。このとき、上司と部下のどちらが意思決定を駆動しているのでしょうか。あるいはその提案が完璧で非の打ちどころがなく、上司は承認だけした場合、どちらが意思決定を駆動しているのでしょう。もしかすると提案をしている時点で、実は部下が仕事を牽引しているのでしょうか。駆動とは、提案する/される関係を意味するのでしょうか。提案とは単に先手を打つことなのか、それとも他に意味があるのでしょうか。


技術的には既にデータ駆動は可能だが

データは、人間の先手を打つことができます。24時間休みなく働き、人間の気付かない細部まで目を凝らし、あるいは人間が忘れてしまう過去まで広く振り返り、違和感を可視化してくれます。現在の状況と類似した過去の状態から、この先何が起きるのか事細かに予言してくれます。もし駆動というのが、それをきっかけに検討が開始することを意味するなら、データほど駆動に適した技術はないでしょう。

データは提案してくれます。過去のパターンを組み合わせ、現在の状況に応じて検討すべき選択肢を数多く提示してくれます。必要ならレポートの形で根拠まで述べられます。もし駆動というのが提案を意味するなら、現在のデータは十分にその能力を有します。


アンドリュー・マカフィーが、データに基づいた意思決定を阻む存在をのろまなカバに見立てHiPPO (Highest-Paid Person's Opinions、高給取りの見解の意) と呼んだのは2013年でした (※公平を期すなら、マカフィーは「データは万能ではないため、高給取りの企業幹部は意思決定プロセスの一翼を担うべきだ」とも言っています。それからもうひとつ公平を期すなら、カバは時速40kmで走るとも言われ、ウサイン・ボルトより速いです)。それから10年経ち、技術が飛躍的に進歩した現在でもデータ駆動への移行は限定的であるのを見ると、移行が進まないのが、データの精度や速度や幅広さといった問題ではないのは明白でしょう。

ですから、データを利用するかデータが駆動するかは、技術レベルの問題ではありません。それは、一社員をプロジェクトに参加させるかプロジェクトを駆動させるかの関係と同じく、信頼と権限移譲の問題なのです。たしかに能力の高さや実績は、信頼し権限委譲する理由のひとつではありますが、絶対的なものではありません。チームのリソースが足りなければ権限移譲せざるを得ないとか、失敗しても損害が小さいときは任せてみようとか、そういう判断の中でデータ駆動を考慮すべきなのです。


当初の問い

書き始めた当初の想定より遠くに来てしまいました。

本当は「ChatGPTに書かせた草稿を手直ししたとき、それはデータ駆動なのか?」という問いから起こした稿だったのですが、もはやこの問いは霞んでしまいました。もちろん本日の議論からすれば、ChatGPTを信じて任せるならデータ駆動、少し参考にするだけなら駆動ではないということになるのでしょう。

さてここから更に、権限移譲に関して論じても面白いでしょう。権限を委譲すると言うからには、そもそも権限は上司にあったものなのか。その根拠はなにか、といった話です。とはいえそれを論じたところで上述の議論の大勢に影響はないでしょうから、今日はここまでとします。

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