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昔と比べて、1人でできることが増えている? デジタルがホワイトカラーの多能工を可能にする

デジタルは何を変える力があるのでしょうか。今日はその中でも小さくて大きい問題を論じてみたいと思います。

スタートアップが経営できるのはITが進化しているから

わずか数十人のスタートアップ企業が高いパフォーマンスを保てる理由はなぜなのでしょう。

それは、専門家の価値が相対的に落ちているからです。
正確には、能力が高ければ高いほど価値を生み出す専門家と、一定レベルに達すれば差はない専門家が存在していて、後者の価値が落ちているのです。

技術面としては2つの特徴があります。ひとつは、SaaS に代表されるように狭くはっきりした機能のサービス提供が充実してきて、社内に作業的な専門家を抱える必要性が下がっていること。社内の専門家にメールで仕事を頼むのと、社外の SaaS を自分で使うのでクオリティの差が縮まっているとすれば、多くの定常業務において、調整の手間なく即時に結果が返ってくる SaaS に軍配が上がるのは自然なことだと思います。

もうひとつは、ここ10年ほど大きな盛り上がりを見せている AI の興隆です。いまの AI の主流はパターン認識で、コンピュータに意味を教えなくても、過去の人間の挙動を適度に抽象化して再現することができます。人間がどうしてそういう振る舞いをしたのか、その人自身が自分で説明できなくても、こういう状況でこういう判断や行動をしたというインプットとアウトプットのデータセットを大量に収集することで、 AI はその挙動を再現できるようになります。このクオリティが向上してきて、並の専門家なら再現できるような状況になってきています。

もちろんこの2つは容易に組み合わせられますので、AI の機能は SaaS で提供され、専門家に匹敵するサービスを人間より遥かに安価で高速な形で享受することができるのです。

さてこのような現代において、あなたが起業すると想像してください。何を社内に持ち、何を社外に頼むでしょう。
代表的なバリューチェーンでいえば、購買、製造、物流、マーケティング・販売、サービス、研究、企画、商品開発、設計、試作、生産。バックオフィスでいえば人事、経理、法務、監査、知財、情報システムなどがあります。まず言えるのは、この全てを起業当初から持つことはないでしょう。

では社員が10人になったら? 100人では? 1000人なら?

こう考えると、スタートアップが会社としてちゃんとやっていける理由が分かります。専門性が必要であっても、作業的な業務に関して外注先はいくらでもあるのです。だから、差異化したい領域に特化して社内に人を集め、あとは丸ごと外注するという少人数の経営モデルが可能になります。

昔と比べて、1人でできることが圧倒的に増えている

ここで真に伝えたいことは、大企業とスタートアップの違いではありません。そうではなくて、デジタルによって1人のできることが増えているということです。

一昔前に、ある商品のアイデアを思い付いたとして、そのアイデアをユーザにインタビューし、試作品をデザインし、小ロットで制作し、パッケージをデザインし、プロモーション動画を作り、市場で販売してみてユーザの感触を得る、これらを1人で行うことは不可能でした。しかし今日では、SaaS や簡単な AI、クラウドソーシングやクラウドファンディングを駆使すればそれほど難しいことではありません。それらの方法論もいくらでも公開されています。

そう考えるとどうでしょう。毎日の業務を遂行するのに、インターネットもAIもフル活用からほど遠く、よく考えてみれば全く違うやり方があるのに、10年も20年も前と同じ手順を踏襲しているとしたら、一人ひとりができることを、いつの間にか圧倒的に過小評価していることになります。これは所属するメンバーの潜在的な生産性・創造性を大幅に棄損しているのではないでしょうか。そのチームは成長を放棄していると言えるのではないでしょうか。

DXには「ITがあるのが当たり前」の思考が必要

“デジタルネイティブ” という言葉があります。デジタル時代になってから生まれたものは、デジタルがあるのが当然で、発想の根本部分にデジタルが織り込まれています。
だから重要な問いはこうです。「もしあなたがデジタルネイティブなら、あなたの仕事はどんなだろう」「もしもあなたのチームがデジタルネイティブなら、チームはどんな仕事をしているだろう」

当たり前のことですが、あなたがデジタルネイティブでないなら、本当のところその答えは分かりません。しかし、DXとはそういうことです。デジタルで変革を行うということは、デジタルに不慣れな人々が、目の前に見える姿でない、あり得る他の可能性を想像して、会社をデジタルネイティブに近づけることです。
もちろん、良い面は残した方がいい。残すべきです。新しい企業が全ての面で既存企業を上回るとしたら、とっくの昔に全ての企業は入れ替わっています。そうなっていない理由、すなわち信頼で結ばれた顧客や、保有する資産や、新規の参入者が簡単に真似られないプロセスや、そういったものを大切にしないといけません。しかしそれは、盲目的な現状肯定ではないことを絶えず意識する必要があります。別の言い方をするなら、デジタルネイティブな企業があなたの会社の資産を受け継いだとき、会社をどうデザインするか考えてみるのはヒントになるでしょう。

本稿は決して、非デジタルネイティブ世代のリストラの勧めではありません。そうではなくて、デジタルによって1人のできることが増えているということを、真剣に再考してほしいのです。
製造業ではライン生産方式がセル生産方式に置き換わり、作業者は多能工であることが求められるようになりました。ソフトウェア開発では、事前に成果物を定義し分割して各人が小さな範囲を受け持つウォーターフォールから、随時やるべきことを列挙し助け合いながら片づけていくアジャイルになって、こちらも多能工であることが求められるようになりました。いまや、ホワイトカラー全般が、生産性と創造性を高めるために多能工であることを要求されつつありますが、1人のできることを増やすことで、それを後押ししているのがデジタルなのです。

最後にイノベーション教育の教科書から引用しておきましょう。これはデジタルネイティブに向けた言葉ではなく、デジタルネイティブ時代に教育をアジャストするための非ネイティブへのメッセージです。デジタル時代において教育とは、何かができるようになることではなく、新しいことができるようになるのは当たり前としたうえでどう振る舞うかである、ということをうまく表していると思います。

21世紀には、自分が何を知っているかよりも、自分が知っていることで何をやれるかのほうがずっと重要になる。いま生徒たちが身につけなければならない最も重要なスキルは、新しい問題を解決するために、新しい知識に関心を持ち、新しい知識を作り出す能力だ。成功を収めたイノベーターはみな、「その場その場で」学び、その知識を新しい方法に応用する能力を持っている

トニー・ワグナー『未来のイノベーターはどう育つのか――子供の可能性を伸ばすもの・つぶすもの』英治出版、2014年


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