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製造業のDXはなぜ進まないのか? Digital Vortexから考えるDXの難易度
製造業のDXはなぜもここまで進まないのでしょう。
製造業は破壊的デジタルから遠ざかっている
IMDのDigital Vortexをご存じでしょうか。各産業が、どれほどデジタルの破壊力の影響を被りそうかランキングしたもので、2015年から隔年で発表されています。
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(出典: IMD’s Global Center for Digital Business Transformation)、囲みは筆者
その中で製造業は2015年には中位だったのですが、次第に順位を落とし、2023年では下から2番目になっています。2015年といえば、欧州ではインダストリー4.0が、米国では産業インターネットコンソーシアムが設立され、日本ではコネクテッド・インダストリーやSociety 5.0が提唱されていた頃です。ディープラーニングが登場し、これから様々な産業がデジタルによって大きく変わり、その影響はもちろん製造業にも及ぶという空気が感じられました。
それから10年。社会はどれほど変わったでしょうか。
確かに大きく変わった部分もあります。消費者のチャネルはスマホを中心としたデジタルに完全に移行し、既存のマスメディアは著しく凋落しました[1]。コロナ禍を経てライフスタイルも大きく変化し、大転職時代と言われるように従業員と会社の関係も変化してきました。AIは大規模言語モデルの登場で更に話題性を増し、本格的に人口に膾炙するようになったと言えるでしょう。様々な産業で日本の存在感が低下したのも事実です。
しかし、当事者として言えるのは、製造業はあまり変わっていないということです。特にBtoBの、企業を相手にしている製造業は驚くほど変わっていません。作業員が激減するとか、工場が丸ごとコンピュータ内に再現されるとか、そういった当時の予言の大半は成就しておらず、個別のプロセスの効率化や一部のデータのデジタル化が進んだ程度ではないでしょうか。
価値が無形のビジネスとデジタルの相性が上昇している
Technology Products & Services
Education
Financial Services
Telecommunication
Professional Services
Retail
Media & Entertainment
Hospitality & Tourism
Consumer Packaging Goods
Healthcare & Pharmaceuticals
Transportation & Logistics
Real Estate & Construction
Manufacturing
Energy & Utilities
改めて見てみますと、最新版であるDigital Vortex 2023の上位に含まれるのは、価値が無形のものに由来しています。例えば2位のEducation、3位のFinancial Servicesなどは、従来はアナログな丁寧な応対が重要とされていました。それが真実かはさておき、本質的には無形の、情報のやり取りが価値を生む活動という側面が共通しています。その意味では1位のTechnology Products & Servicesはもちろん、4位のTelecommunication、5位のProfessional Servicesなどは分かりやすいでしょう。6位のRetailも、扱うのは有形の商品ですが、選んで決定するという行為自体は無形です。
つまり、10年前の予想よりも、物理世界への干渉でデジタルは後れを取っている一方で、感情面を含めて無形のビジネスではうまくいっているということだと思います。昔からの概念でいえば、案外とAffective ComputingよりCPS (Cyber-Physical Systems) の方が難しいということかもしれません。
製造業の中にも無形のプロセスが存在する
さて、いま製造業と大雑把に一括りにすると、思ったより難しいという話で終わるでしょう。ですが、もう少し掘り下げてみます。というのも、もし仮に本質が有形であるか無形であるかが問題なら、製造業の中にも無形のプロセスはたくさんあるからです。
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(出典: MONOist)
エンジニアリングチェーンを考えてみましょう。商品企画・研究開発・スケールアップなどは、全て情報を生み出すプロセスです。例えば製品開発では、あるコンセプトが実際に機能するか試作してみる必要があります。しかし試作という物理世界の作業は、あくまで手段であって、本質的にはそのコンセプトが正しいかの証明ができれば十分です。ですから、もし精緻なモデルがコンピュータ上で再現でき、あるいはそれをVRやARで体感できるなら、本質的には物理世界を経由する必要はありません。
ですからエンジニアリングチェーンは、Digital Vortexの内側のような、破壊的なDXの対象になり得ます。一部の業界ではモデルベース開発が主流になっているように、エンジニアリングチェーンはその大部分がデジタル化されるでしょうし、その結果としてAIに強い他産業やスタートアップに脅かされる可能性があります。
これと対比するなら、サプライチェーンでは実際に原料を調達し、製造し、運ばないといけないので、価値の本質は物理世界にあります。製造業が物流業や建設業と共にDigital Vortexの外側に配置されているのは、この側面からでしょう。
RetailがDigital Vortexの上位に位置するなら、BtoB産業のマーケティング&セールスが脅かされないはずはありません。マーケティング&セールスとはコミュニケーションを通じて購買を促す営みであり、本質的には無形です。個々の製品情報提供はもちろん、サンプルを提供して試用してもらうプロセスすらデジタル化できる可能性があります。これまで人と人の温かいコミュニケーションが重要だと思われてきた多くの産業やプロセスが、その常識を覆されている現在、BtoBの営業活動のみがその例外となる理由はないのではないでしょうか。
バックオフィスの多くが無形なのも忘れてはいけない点です。経理や法務はもちろん、人事や知的財産、購買も当てはまるでしょう。これらの業務は、無形であるという理由でデジタル化しやすいだけでなく、非競争領域のプロセスは各社で標準化しようという動きもあり、その気になれば大半がデジタルに破壊されてしまうかもしれません。エンジニアリングチェーンやマーケティング&セールスもそうですが、方針を決める人は必要なものの、オペレーションがどれだけ人間に残されるかは懐疑的です。
製造プロセスに含まれる無形の価値を見極める必要がある
そもそも製造プロセスですら、本当に有形なのでしょうか。
例えばAppleは工場を持ちませんが、製造プロセスを熟知し高い品質を求めることで有名です。自動車産業も、自社で製造していない部品に関して相当な知識を有し、サプライチェーンを厳しく管理しています。このような、ファブレスな製造エコシステムや長いサプライチェーンをコントロールしているのが無形の知的財産であるということを思い出せば、コンピュータで再現される可能性は十分にあるでしょう。
ですからそもそも、製造業とは何かということを問い始める必要があります。
先に挙げたような無形のプロセス、つまり企画・設計・マーケティング・セールス・バックオフィス・製造ノウハウは全てデジタルの得意な企業が支配し、物理層のオペレーションのみが残されたとき、製造を旨とする企業は破壊的デジタルを免れたとして喜ぶべきなのでしょうか。
かつてAIが仕事を奪うと騒ぎになったとき、やがて明らかになったのは、AIが奪うのはジョブ (ポジション) ではなくタスク (個々の作業) だということでした。もしかすると同様に、デジタルが破壊するのも企業そのものではなく、個々のプロセスかもしれません。AIにタスクが奪われてジョブの価値が変化したように、プロセスがデジタルに破壊されれば企業の価値も変化するでしょう。
デジタルの進展の文脈では、しばしば「業界のボーダーレス化」「業界の再定義」が叫ばれます。FintechでIT企業が金融サービスを行う、Edtechで教育の在り方が再考されるといった具合です。しかし製造業など有形なプロセスを担う業界では、ボーダーレス化や再定義ではなく、「削ぎ落し」と呼ぶ方が相応しい可能性があると考えています。これまで製造業が担ってきた活動のうち、無形の部分が次々と剥ぎ取られ、有形のプロセスのみを残した骸骨のようになる未来です。
それが自らの発意によるものであれば、贅肉を落とした骨太で筋肉質な会社として繁栄を享受するでしょう。しかしアマゾン川に落ちてピラニアに食われるように骨だけになってしまうなら、嬉しい姿とは程遠いのではないでしょうか。
ですから、Digital Vortexの渦から遠ざかったことを見て安心しているべきではありません。渦の中心で起こっていることの本質を見極めないと、総体として製造業というものが温存されたとしても、その魅力が大きく損なわれるシナリオがあり得ると懸念しています。