息子との距離を縮める為 #買ってよかったもの
買ってよかったもの!
2018年12月、車を買いました!今まで車なんて必要ないと感じていましたが、状況が変わったのです。
知人に車がとても好きな方が。その方は人脈も多く、当然中古車の販売・修理関連にも知り合いがおられました。彼にお願いして、何でもいいので安い車をください!と頼み込みました。
僕と嫁が、日々ある場所へ通うためにどうしても必要となりました。本当に彼らには感謝しています。とても安値で譲って頂きました。
理由としましては、
私にも遂に、息子が生まれたのです!
先月の15日でした。
有難う御座います、有難うございます。お祝いのお言葉が聞こえてくるようであります、はい。
けれど『子供を連れて買い物に行くのが大変だから、車で行けると便利だよね!』的な微笑ましいものではありません。前述しました通り、『通う為』に購入したのです。
.....実は息子の出生の予定は4月の頭でした。ゆえに、息子は切迫早産だったのです。23週半ばでこの世に、小さな火を灯す事となりました。
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僕は仕事の技術研修で1ヶ月間の出張中だった。14日は週の終わりという事で筆記試験が昼過ぎに行われた。
国家試験でも無いのでケータイをポケットに入れた状態だったのだが、、バイブがえらく長く鳴り続けるな、と感じていた。
回答用紙が回収され採点されている待ち時間。ケータイを確認すると、義母からでした。留守電も残っている。
[おかしいな]
[滅多に電話する事も無いのに]
まさかと思いながらも、合格と判定され講習室を出てから留守電を確認。
「仕事で大事な時に、ごめんね?実はユキが今日病院に運ばれて。朝からお腹が痛かったみたい。先生に聞いたら切迫早産で生まれちゃうかもしれなくて。戻ってこれないかな?」
「えっ??」
僕はエレベーターを待っているロビーの前で、多くの人に囲まれているにも関わらず大声を出していた。
[早すぎるだろ、どうなってるんだ?]
不安な気持ちを抑えながらも、電話しながら駅に向かう。内容は留守電の通りで、NICUなどが整っている大きな病院に運ばれ、嫁の状態は今は安定しているとの事。
すぐに新幹線の切符を購入し、地元へと向かう。どう考えても病院まで、4〜5時間はかかってしまう。恥ずかしくも動揺が続いた。
まだ、神様は僕をいじめ足りないのか。どれだけ苦しめたら気がすむのか。
これまでも、心が引きちぎれるのでは無いかという事は数多くあった。しかし経験を積み、勉強を続け資格も多くとり、これからという時。結婚式も無事終えたが安静を選んでまだ旅行もしてあげていない状態。このタイミングで酷すぎるのでは無いだろうか。
嫁さんを幸せにしてあげたい。こんな僕と人生を共にしてくれると決心してくれた女性。彼女はどんな事があっても守りたい。
僕は必死にケータイで『切迫早産』・『子供への影響』と検索した。
【早産によって産まれた胎児を「低出生体重児」と呼びます。1500g未満で産まれた胎児は、様々な機能がまだ未熟であるため、合併症を引き起こす可能性が高いです。産まれて数日間の間に、新生児仮死、呼吸窮迫症候群、低血糖などを引き起こすことがあります。また免疫力もとても弱く、感染症にもかかりやすくなります。(引用)】
[....確か2,3日前の検診で、500gを超えたくらいと言ってなかったか?]
[.....世の多くの方が感じる幸せを、僕は感じられないのだろうか。]
どうしても涙を止める事が出来ません。新幹線の中で悔しい思いの中、背広を頭から被り、ずっと声を抑え泣き続けました。
午後8時になる前だっただろうか。
病院に着くと、義父と義母が待っていてくれました。状況を確認し、『息子が死んでしまった場合の誓約書』へのサインを書かされました。
これはもう、どうする事も出来ない。覚悟を決めるしか無い。何度電車の中で自分に言い聞かせただろうか。嫁の前で無様な姿は見せられない。
「ごめんね、ごめんね。」
疲れ切った彼女の表情とその言葉。気持ちを落ち着かせてきて、良かった。
「大丈夫、ヘッチャラや!お母さんとおんなじで慌てん坊な奴やなぁ〜。まだお腹におっても良いのになぁ!」
「来年の春まで会えないと思ってたのに、嬉しいわぁ!やったなぁ〜!苦しいやろうけど頑張ってや、俺がついてるで!!」
.....茶化しながら、準備してきた言葉達を明るくかけてあげた。それしか出来なかった。男はホント、無力ですね。
実母にはすぐに電話しなかった。なぜなら彼女はきっと心配してくれて、急いで車で来ようとするでしょう。しかし夜中で40分ほどかかる道。慣れてない道を平常心で来れるかというと、無理だろうと思った。
「嬉しい事に、近々子供が生まれるかもしれません。また、詳細はご連絡します。」
LINEだけ送り、義父のお言葉に甘えて、病院から10分ほどのご実家に泊めて頂く事にした。
1日でも長くお腹にとどめる必要がある。お腹の中での1日は、外に出て過ごす10日に匹敵する。
何とか母子共に無事であって欲しいと願う。
[きっと明日は睡眠は取れないだろうから寝なければ]
自分を説き伏せ、12時過ぎに眠りについた。
しかし、1:30に電話で叩き起こされた。病院からだった。もう生まれる、と。
実母にも電話で報告し、急いで僕も病院へ向かった。兄貴が実家に戻りスタンバイしてくれていた。
「お前はこっちの事は心配すんな。俺が車運転するし、お前は嫁さんを1番に考えろ。酷い事言われてもキレるなよ?嫁さんは命がけなんやからな?」
茶化しながらも、諭す様に話してくれた。
病院に着くと、嫁はとても苦しそうだった。普段は熱にうなされたり、フットサルでコケても強い嫁が、こんなに苦しんでいるなんて。どれほど出産とは怖いものなんだろう。
「ユキ、頑張れ!俺も側におるからな!」
とにかく、落ち着いたドッシリとした声で嫁の手を握った。
「足がもう出る!移動するぞ!」
先生の声が響いた。
「お父さん、看護師について行って、服来てきて!」
僕も急いで、手術室に入る準備をする。
「お母さんダメや!タイミング合わせて!!」
帝王切開は免れないだろうと考えていたのだが、先生はまだ諦めていなかった。逆子だしリスクはあっただろうが、母子の事を本当に考えてくれていた。
「まだ(羊水の)膜は破れてない。このまま行くぞ、破れてくれるなよ〜!」
感染などを考えると、とても重要な事だったようだ。嫁の気合が、これ以上に必要だった。
「最後のひと頑張りだ!力を込めろ!!」
そう言われた嫁は力を振り絞った。
.....はい。
本当に、感動しました。
「よくやった!さすがユキやわ!」
「めちゃくちゃカッコよかった!!」
声をかけながらも、本当に、そう感じた。
息子はすぐに別の部屋へ連れて行かれていた。勿論、抱く事は許されない。今、彼はどうなのか。無事なのか?待っている時間がとても長く感じた。
.......。
.......。
「お父さんお母さん!今お連れしますからね!」
そう言った看護師さんの表情は笑顔だった。そして小さな、小さな息子は管などに繋がれながらも運ばれてきた。彼に触ると、ペタペタとしていた。
[キセキが起こった]
本当に、そう感じた。
600gで生まれた彼には、これからもリスクが続いていく。まだまだ、安定している訳ではない。暫く入院が続き、いつ退院するかもわからない。それでも生まれてきてくれた彼の為にも、どうしても車が必要だと判断した。病院までが遠かった。すぐに駆けつけられる準備が、したかった。
[確かに痛手ではある]
けれど車があったからこそ、先週先生からお電話を頂いてすぐに駆けつけることができ、(手のひらでの)初めての抱っこをする事が出来た。
しあわせだ、と思った。
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話がとても逸脱してしまいました。
けれど心の底から
『買ってよかった』
と感じている、お買い物でした。
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まだまだ未熟な私ですが、これからも読み続けていただけると有難いです。これからもどうぞ、宜しくお願いします。