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#10 毎日おいしく、ありがたく

レストランやカフェで食事をするとき、「いただきます」と言いながら両手を合わせる人が増えているような気がする。テレビの料理番組やドラマの影響だろうか。最初のうちは違和感を覚えたが、いまではあまり気にならなくなった。というより、同じテーブルの人がやっていると、僕自身も無意識に手を合わせていることが多くなった。

あるお寺で精進料理をいただいたとき、お膳にこんな言葉が添えられていたのを思い出した。


五観の偈(ごかんのげ)

●一つには功の多少を計り、彼(か)の来処(らいしょ)を量る(これからいただく食事がお膳にのせられるまでの、多くの人々の働きやご苦労と、自然の恵みに感謝いたします)
●二つには己が徳業の全欠を忖(はか)って供に応ず(この食物をいただくにあたって、自分の行いがそれに相応しいものか反省いたします)
●三つには心を防ぎ過(とが)を離るることは貧等(とんとう)を宗とす(食事に際し、心をよく整え貧るようなことはいたしません)
●四つには正に良薬を事とするは形枯(ぎょうこ)を療ぜんがためなり(この食物を、身体を養い健康を得るための良薬としていただきます)
●五つには道業を成ぜんがために当にこの食を受くべし(この食事を、己の道を成すためにいただきます)


これは、主に禅宗で食事の前に唱えられる言葉だという。宗派や教義のことはよく解らないけれど、精進料理のその精神は、僕たちの日常の食事にもあてはまる気がする。なぜなら、人間のカラダや心は、すべて食べたものでできているからだ。僕たちは、野菜や果物や肉や魚をはじめ、自然界のさまざまな命を食べて生きている。そしてその命は、太陽や雨や風や大地や海の恵みを受けて生まれ、育つ。そう考えていくと、食べるということは、食材を通して自然界のエネルギーを取り込み、宇宙とつながる行為ともいえるだろう。

ちょっと大げさな話になってしまったけれど、現在ではマクロビオティックの信奉者までいかなくても、カラダにいいものを食べて内側からキレイに、元気になりたいと考えている人はひじょうに多い。食べた命が自分のカラダの一部になり、やがてそれが蓄積されて自分の全部になるという、あたりまえの真実。

だから僕たちは少し悲しくて、感謝しなくてはいられない気持ちになって、「いただきます」と手を合わせてしまうのかもしれない。

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