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長編小説『老人駅伝』②
唐突だが、私は子どもというものが、すこぶる嫌い……失礼、少々苦手なのだ。理由は単純明快で、二十年前、隣の敷地に引っ越してきた家のガキ共……いかんいかん、子どもたちが、まぁ素行が悪かったのだ。男女の双子で、どっちも酷かった。
あいつらが小学生の頃は、ピンポンダッシュは日常茶飯事、散歩中の私を見て罵詈雑言、庭で勝手にサッカーボールを蹴って花瓶を六個割る、石を投げて車に傷をつける、などなど、無邪気という言葉では片づけられない数々の愚行をしてやられた。
あいつらが中学生の頃は、男の方はエレキギターにはまって一晩中騒音の嵐。頭がガンガンして寝れたものじゃない。女の方は行き過ぎた思春期か何かは知らんが、二百万回くらいの家出を繰り返した。私は何度も何度も住民一斉捜査に駆り出され、挙句私の家の庭で女が見つかり、私が地元住民から疑いの目で見られる始末。なんでだ!
あいつらが高校生の時は! 女の方が彼氏を作り、毎晩毎晩夜な夜な大声で電話だ。聞くに堪えない甘ったるい言葉の応酬、寝れるか! 第一なんであんなに声が大きいんだ! 男の方は静かになると思いきや、小学生に退行しやがった。私の家に石を投げる、タバコの吸い殻を投げる、お子ちゃまみたいな暴言を私にはいてくる、車を直接足で蹴る……だぁ!
大学生! マシになるわけないよな。大学に入れたことが奇跡だ。女の方は、こともあろうか、バイクにはまりやがった! 庭の前でふかされる爆音のエンジン。見ているだけで恥ずかしくなる露出度抜群の服装に、失明の恐れが生じる程の明るい金髪頭。しかも一人ではない、集団でブンブンブンブン鳴らしやがる。信じられん! よそでやれ! 男の方は! 女を連れ込み! 言わなくてもいいよな!
一年くらい前にようやく二人が家を出て、平穏な夜が戻ってきたところだ。
……というわけで、自分の子どもを育てていた時とは打って変わり、ここ二十年で、わたくしはガキ共をやかましく低能な、社会的に価値のない喋る生ごみ兼粗大ごみだとみなすようになっていたわけだ。
さて、私がまんまと妻の思惑にはまった翌日の朝から、私は妻と一緒に練習を始めた。王道少年漫画や、インターハイを目指す血気盛んな高校生ならば、いきなり二十キロランでも始めて、根性で乗り切る展開にでもなるのだろう。しかし、私たちは漫画の登場人物でもなければ、高校生でもない。家の周りを散歩するだけで息が上がって座り込んでもおかしくない年齢だ。なので、妻はともかく、私は準備運動に時間をかけて、練習は二キロ歩いて、残り五分を少しジョグするだけにとどめた。
長月も末で、朝は涼しさを感じた。これから冬がくるぞ、という前触れがひんやりと肌を撫でる。妻曰く、一週間前からそのような感じになっていたらしいが、ここ一週間というもの、私は老人とは名ばかりの大寝坊をかましていた。部屋が暑くなってから起きるので、私の中ではまだ夏が続いていた。私が子どもの頃なんてのは、八月が終われば秋だったのだが……なんていうノスタルジックな発言は控えよう。
朝の太陽は優しく、早起きに成功した人々に恵をもたらしているようだった。私たちの家は河川敷沿いにあり、ランニングにはうってつけ。清涼な風を浴びながら、温もりある光の下で、体を動かす。自然と目がさえ、背筋が伸びた。私は最高の気持ちで歩いた。
二キロのウォーキング中から、体の状態は一週間何もしていなかった割には調子が良くて、早く走り出したい気持ちが強まっていた。事実、二キロに到達する前に、私はほとんど走っていた。腕の振りを大きくし、足のピッチを上げた。徐々に、徐々に、オンボロ飛行機が滑走路を加速して、飛び立つイメージで。自分がジャンボジェット機だと思わないことが大切だ。自分はかつてジャンボジェット機だった、とも思わない方がいい。年齢は謙虚さを好む。
そして私は飛び立った。外から見たら、よぼよぼの老人が徒歩の延長を始めたにすぎないだろう。けれど私の感情は空へと飛び立ち、そのまま宇宙へ飛んで行ってしまいそうなスピードを持っていた。興奮の最中。薄くなった髪に風が吹き付け、不安定な足裏が地面を踏み込むたびに、乾燥していた瞳に涙が滲む気がした。
走っている!
ただ走るのとは違うはずだ。
妻も言っていたが、私もちょくちょく走ったりはする。ここ最近は走っていなかっただけで、時には十キロ近く走ることもあるし、厳しいメニューにチャンレンジをすることもあった。だかそのどれもが、今、たかだか五分の軽いジョグで得た至極の爽快さには遠く及ばない。何かが違う。見える世界から、普段以上の奥行きを感じた。
いかん、調子に乗り過ぎた! 私は知らぬ間に制御不能のスピードに達しており、足がからまって転倒した。周りの人々がどよめき、妻が笑いながら近づいてきた。強烈な恥ずかしさが私を覆ったが、それでも興奮は体から出ていかなかった。
最も、その日の午後には、すっかり私の高揚した気分は沈んでいた。
駅伝というものは、不思議なことに、一人ではできない。一人で走ってしまえば、それは単なる陸上競技であり、マラソンであり、ランニングだ。
駅伝はリレーだ。競技場一周を、四人でバトンを繋いで凄まじい速度で駆ける、短距離の花形。あれの長距離バージョン。バトンが襷に変わるだけ。パトンパスのずれ一つが致命的になったり、スタートダッシュの重要性に命がかかっている、あのピリピリとした緊張感とは違うが、一人では決して完走できないという点では、完全に一致している。
オリンピックを見ていればわかるように、一日のプログラムの終わりを締めくくるのはリレー種目で、百メートル走や二百メートル走などの個人の種目ではない。また、正月という、大多数の人間がこれから始まる一年を憂いながら、ぐうたらただただテレビを眺める至福怠慢の季節に画面に映るのは、一人で走るマラソンではなく、駅伝だ。やはり距離など関係なく、観客も選手もリレー競技が好きなのだ。
人は必ず死ぬ。しかし、親が子に、自らの思いとDNAを託したり、師匠が弟子に思いと技術を継がせたり、そういう人類のプロセスは存在し、それを考えると、肉体的には死んでも、完全にその人物が死ぬことはないんじゃないかと思う。人類の美徳だ、と考える人がいるかもしれない。紡がれる血脈に美を見出す人も多いかもしれない。でもやっぱり死ぬことは怖い。けれども何か心が動かされてしまう。人がリレー競技を好むのには様々な理由があると思うが、人類が歩む美しくもおぞましいプロセスと、死ぬ気で走ることで溜めた思いと情熱をパトンや襷で繋ぐリレー競技が、無意識に人々の中で繋がっているのかもしれないな。
大きく派手に脱線したが、私が言いたいのは駅伝の素晴らしさや影響力や感動云々ではなく、私の目標は打倒内石なのだから、襷もバトンもいらないじゃないかよ、ということだ。私だけ練習しても内石に勝てるというわけではないし、ましてや私が一位で襷を受け取り、内石が二百位で襷を貰ったら、勝負どころか顔も合わせないかもしれない。
やっぱり私は、妻にはめられたのだ。合コンに人数合わせで無理矢理連れていかれるのとやられていることは一緒だ。断れずに結局行ってしまうところまで同じだな、クソ。
「どうして俺は駅伝に出るんだ?」
「出るって言ったじゃない」
「違う違う、そうじゃない!」
「アハハ」
「笑うな!」
午後。私と妻は、スーツを着込んで、市内の学校を巡った。もちろん、仲間を集めるために。私の気分がひどく落ち込んでいたのは、駅伝に参加するということだけではなく、この駅伝が、全人類駅伝を名乗っているからでもあった。大会ホームページにはこう記載されている。
一区 中高女子 四キロ
二区 シニア女子 四キロ
三区 小学生男子 一キロ
四区 一般男子 五キロ
五区 中高男子 五キロ
六区 小学生女子 一キロ
七区 シニア男子 四キロ
八区 一般女子 五キロ
ガキばっかりじゃねえか。