ドラマ感想『最愛』
・人を助けるとは?
言葉では簡単に言えますよね。誰かを助けたいとか、助けるとか。ですが、このドラマでは、作中に明記もされましたが、助けることの難しさが何度も示されていたように感じます。
例えば大切な人が殺人を犯した時に、助けるとはどういうことでしょうか。9歳の優くんが殺人を犯し、父と弁護士の加瀬さんは遺体を隠すことにしました。ですがその結果、後で優くんは1人で自らの罪と向き合うことになり、隠蔽したことで殺された男の父が暴走して、15年後にまで影響が広がりました。あの場合の助けるとは、優くんに殺害の事実と向き合わせることだったのでしょうか。
大ちゃんもそうですね。15年前には梨央を助けることができませんでした。彼の悪いところは、助けるどころか、事情を聞くことすら躊躇い動けなかったことだと思います。梨央の異変には気がついていて、彼女のことが好きなのに、助けようともできなかったのは、彼の人生における最大の失敗だったと感じます。
それを踏まえて、15年後の大ちゃんは梨央を助けるためにたくさん走ります。ですが、彼は警察であるという思いもあり、真実を解き明かすことが梨央の助けになるのか、今の梨央を守ることが助けになるのかの間で悩んでいたように感じます。僕もどちらがいいのかわかりませんでした。警察をさっさとやめて梨央を助ければいいと思う時もありましたし、真実を解明して梨央の気持ちをすっきりさせて欲しいとも思いました。
他の人もそうです。加瀬さんも、真田さんも、誰かを助けるために行動した結果、罪を犯したり、逆に不幸へ落としたり。誰かを助けるために罪を犯すのはおかしいのでしょうか。でも、罪を犯してまでも誰かを助けたいという気持ちは本物だと思います。あえて何もしないことが助けになる場合もあります。ですが、何もしなければ、その人を大切にしたい、守りたいという気持ちがないとも感じられてしまいます。
助けたいの連鎖が新たな罪を生み、けれどもそこに新しい助けたいの精神が生まれ、そうやって話が進んでいく様が、辛くも、どこか希望を感じざるを得ない感情を呼び起こし、僕をいい意味で苦しめました。
・地獄の底に堕ちろ
もちろん、事件の発端は性加害を楽しんでいたクズです。あいつさえいなければ彼らの人生がここまで滅茶苦茶になることはありませんでした。世の中には、誰かを助けたいと思う程の余裕がない人や、そんなことを一切考えず、自分の性欲求に身を任せて行動する奴も存在してしまいます。
大切な人を守りたいが故に、そんな奴らを殺すことはいいんじゃないか、なんて思う瞬間もあります。実際優くんがあいつを殺さなければ、あいつは梨央を襲っていました。でもだからといって個人の判断で悪と決めつけ誰かを殺すのは、あいつらの仲間入りを果たしているような気にもなってきます。
人間関係や感情は網のように空間中に広まっていて、どこをどういじれば何が起こるのか、誰にも予測することはできません。
結局僕は考えを最初に戻し、大切な人を守りたいと思うわけです。でもどうやって? 家事をするとか、病気になったら看病するとかは余裕です。その人が自殺をしようとしたら?誰かを殺そうとしたら?殺したら? その時は、一体どんな言動こそが、その人を助けるということなのでしょうか。