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短編小説『寝起きにカメ』

 寝起きにカメ。
 小さな器に入ったカメがこちらを見ている。
「ほら、昨日、雨酷かったでしょう? 川が氾濫して、この子も流れてきちゃったみたいなのよ」
「はぁ」
「可哀想でしょ? すっかり弱っちゃって。でもほら、うちは、育て方とかわからないし、ねぇ」
 私だって育て方わからないし。

 寝起きにカメ。
 こっちを見てくる。
 小さな器から小さな水槽に移した。
 広くなっただろう、何が不満なんだ。
 カメは口をパクパクと開閉させた。
「あ、ご飯か」

 朝食とカメ。
 カメのエサを飼ってきた。
 意外と高い。
 カメは丸いエサにかぶりつく。食べ方がへたくそ。へたくそだけど、勢いがある。よほどお腹が空いていたらしい。
「私が休みの日でよかったね、あんた。仕事の日だったらバタバタしすぎて、エサなんて買ってくる暇なかったよ」
 カメに喋った自分が馬鹿らしい。

 昼食とカメ。
「一日三食はいらないでしょー」

 夕食とカメ。
 自分のエサを用意するだけで面倒なのに、カメのエサまで準備しないといけない。
 立って水槽にエサを入れるだけ。
 うん、面倒。

 帰宅してカメ。
「え、くさっ!」
 体は疲労まみれで、今すぐスーツを脱いで布団かお風呂に飛び込みたいのに、くさい。カメくさい。
 水槽を掃除しないと。
 めっちゃムカつく。

 我慢の限界。
「もう、嫌! なんでカメの面倒なんてみないといけないの! 私、自分のことで精いっぱいなのに!」
 カメは泳いでいる。
「ねぇ、カメ。私って会社の為に生きてるわけ? なんでこんなに苦しんで会社の為に命を削らないといけないわけ? あんたはさ、あんたは何のために生きているの?」
 カメは口をパクパクと動かす。
「あっそ、食べるためね。馬鹿みたい。あんたさ、私がいなきゃ、食べ物がなくて死んじゃうんだよ」
 カメは口をパクパクと動かす。
「……じゃあ、私、生きないとね」
 カメのために、生きないとね。

 カメと生活。
 エサをあげて、時々水槽の水替え。
「行ってきます」とカメに言って、「ただいま」とカメに言う。
 会社の文句も言う。上司の悪口も言う。
 明日晴れていたら、外に連れて行こう。
 日向ぼっこをさせないと、甲羅が弱ると聞いた。
 鳥に持っていかれないようにだけ、気をつけよう。

 寝起きにカメ。
 今日は晴れてる。

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