ファッキュー自由恋愛主義
来年に暗いものを持ち越したくないので年末にこんなものを書いてます。
私は再来年から社会人ですが、彼女がいたことはないですし当然セックスもしたことはありません。非モテを通り越してMGTOWレベルになっています。おそらく私が自ら女性を求めることは今後一生ないでしょう。それくらい自分に対して高度な能力と責任を求め、結果何も出来なくなっています。自縄自縛というやつです。
私は私を作った社会と運のなさに憤りを感じています。現代は自由恋愛主義の時代です。婚活とかなんとかで実質お見合い制が少しずつ復活しているようですが、自由恋愛の方が圧倒的優勢でしょう。
私はこの自由恋愛主義(リベラリズム)の責任のなさに怒っています。お見合いによる再分配が機能しなくなるといった社会的なものは置いておいて、もう少し個人の部分で怒りがあります。それは自由恋愛主義を導入しておきながら、その術を学校で教えていないことです。
恋愛、異性との交流について皆が皆勝手に技術が身につくのなら、勉学だって本だけ与えて放置しておけばいいのです。人間が人間として生きる為に必要な最低限の知識を身につけさせるのが義務教育ならば、何故それらを教えないのか。
人間が独りで生きるのはリスクが高い。独身男性の自殺率が高いのは最早周知の事実です。自殺じゃなくても、急な発作で倒れたりしたときに孤独ならば、誰にも知られず、腐臭が漂うまで見つけてもらえないなんてことがあるでしょう。独りの人間を作るのはそれだけ危険なことなんです。
そして単に恋愛、結婚をしているというだけでなく、それが円満であるということも大切です。円満でなければ独りになる危険性が高まりますし、そうじゃなくても不満があれば不幸を作るでしょう。異性関係をどうするのかというのは人間の根本的な問題です。
現代は個人にその責任を負わせるにも拘らず、それをどうにかさせるための術を遺伝子と生まれに任せて放置している。容姿が良ければ異性に話しかけるハードルは低くなり(拒絶されにくくなる)、生まれた場所や家に身近な異性がいるならば免疫が付くでしょう。精神が屈強ならば失敗しても大怪我をしません。ならそのどれも有していなければ?非モテになるしかありません。知恵と技術さえあればある程度は戦えるでしょうが、それがないのだからただの棒人間です。
非モテであることに補償があるのであればまだ許せますが、当然そんなものはありません。言ってしまえば国と国民が自ら障害者をこの手で作っておいてそのことについて何も責任を取ってないのが今です。少子化の不幸を享受しているという意味では少しだけ責任を取っているとも言えるかもしれませんが、今の老人以上に将来の老人は少子化で苦しむのです。
結局社会的な部分にも話は及びましたが、これは是正されるべき不正義です。保障も補償もしないのは無責任に過ぎます。非モテは普通の人々が享受できる幸せを手に入れることが出来ません。独身税とか吐かす阿呆もいますが冗談じゃない。むしろ幸せなお前らが不幸な我々に幸せの再分配しろと言いたい。これ以上非モテを増やさないために、義務教育での異性間コミュニケーション、恋愛術の教育は導入するべきです。