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人間関係についての他愛無い対話

 とある店の休憩室にて、二人の男が弁当を食べながら会話している。 「俺は思うんだけどよ、人間関係ってのは家族だろうが恋人だろうが友だちだろうが、なんだって利害関係で成り立ってるんじゃねぇのかな」と杉下は誰に言われるでもなく部下の宮下に語り始めた。 「なんだかドライな考え方っすね」 「だってよ、親にとって子供ってのは遺伝子を残すっていう生き物の本能的な利益なんだろうが、それ以外にも老後の世話をしてもらえるとか、死ぬときに独りじゃねぇとか、何か自分は成し遂げたっていう達成感

    • 女性という簡単に社会を変える権力

       現代、女性とは権力である。そのことはつい最近起きたテラスハウスの誹謗中傷自殺の件からも、数年前に起きた電通の過労自殺の件からも分かる。今までも誹謗中傷や過労で自殺する男は大勢いたはずだ。男の自殺率の相対的高さはググれば簡単に出る。誹謗中傷に至ってはナイナイの岡村がほんの少し前に女性社会から過剰な批判に晒されたばかりだったのに、よくもまぁこんな掌返しをしたものだと驚く。  そんなわけで、女性が権力であるということは理解出来ると思う。そこで思うことがある。とても暗い霊感だが、

      • 想像力の難しさ

         富士山登山中に滑落して亡くなった人がダーウィン賞を受賞したそうだ。ダーウィン賞とは愚かな死に方をした人や馬鹿なやり方で去勢した人をノミネートするものらしい。    この人はおよそ登山に適するとは言えない装備で登山を行い、それを生配信していたのだが、その途中で滑落し亡くなった。    ここだけで見ると間抜けな奴だと面白く思ってしまうかもしれない。Wikipediaでダーウィン賞のページを見てみると、大勢の間抜けな死に方をした人々の情報が載っている。思わずふふっと笑ってしまう人

        • 岡村謝罪事件のおぞましさ

           前にも岡村謝罪事件で一つnoteを書いたが、更にひどいことになったようなのでもう一度書く。    あれは集団リンチ以外の何物でもない。ラジオというある程度閉鎖的で許された空間での発言を日本全体という公共に持ち出して叩くのはリンチだ。戦時中に気に食わない奴を非国民扱いして憲兵に密告し、寄ってたかって殴って蹴って詰るのと同じだ。とても人間らしくて反吐が出る。あれでもし自殺などしてみろ。命の責任なんて取れないだろ。    今回でディストピアのような監視社会化が更に加速した。今まで

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        • 掃き溜め
          1本

        記事

          『終わらない歌』の「君」は誰なのか

           コロナに限らず政治が動くたび、事あるごとに理想とは程遠い世界が嫌いになっていくが、そういうときにブルーハーツは落ちた精神に効くことがある。最近聴いているのは『終わらない歌』だ。くそったれの世界、すべてのクズどもと直球な罵倒がありながら、明日には笑えるようにと不満も怒りも吐き出しながら最後はそれらを許して自分の人生のために前を向いている。悟りとはこういうものだろう。私には無理だが、そういう風になりたい。    ところでこの『終わらない歌』で気になっているのは歌詞に出てくる「君

          『終わらない歌』の「君」は誰なのか

          岡村を叩く奴はブーメランが飛んでこないか考えろ

           岡村発言は抽象化して言えば「優良商品(性風俗なら美人)を安く買い叩ける」なんだよ。今までも現在もやっていることを女の性が関わったときだけ過剰反応してるのは阿呆だ。バイト派遣介護士保育士その他諸々優秀な労働力を安く買い叩き続けているのを自覚すらしてないんだろう。そちらにもその正義感が向かないならそれは不義だ。    性風俗自体を攻撃する輩は岡村以上に人でなしだ。女は男と違って身売りで稼ぐことが出来るのにその選択肢を奪えばホームレス、自殺への距離がグッと縮まる。岡村たちに代わっ

          岡村を叩く奴はブーメランが飛んでこないか考えろ

          コロナ祭りと想像力

           今世間はコロナ祭りで盛り上がっている。責任を取りたくない政府は『要請』し、市長は自分の意に従わない相手に対して市民に石を投げるよう『煽動』をし、自粛自警団が『要請』を錦の御旗に違反者を迫害する。まさか本物の差別、ファシズムをこんな形で見ることになるとは思わなかった。私は全くそうは思ってないが緊急事態らしいのでパニックを起こすのは致し方ない。しかしあまりの衆愚っぷりには常日頃のネオリベやフェミに対する憎悪と同程度の怒りが湧く。    「『経済と命の2択』なのだから経済を止める

          コロナ祭りと想像力

          シャドバは一度原点に帰れ

          このnoteで言いたいこと ・クラス特性が死んでいる ・なので運営はシャドバを勉強してこい これだけしか書いてないので残りは読まなくてもいいです。 シャドバ暦 初期環境後期から開始、星神の伝説で一度リタイア、アルティメットコロシアム後期から復帰し現環境までローテのみ。  私は今のシャドバが少し嫌いである。運営もユーザーも馬鹿ばかりでまともなバランス感覚がないのは初めから嫌いだったが、今のシャドバはワンドリ環境と似たり寄ったりの酷さがある。    それは「クラス特性が死

          シャドバは一度原点に帰れ

          新大学生へ。一人暮らしはするな。

           今年から大学生になる高校生に1つ助言を送りたい。「一人暮らしをしないでいいならするな」だ。    当然一人暮らしを有効に活躍出来る人たちもいる、というよりそういう人の方がどちらかと言えば多いとは思うが、一人暮らしには人間をダメにする危険性があることを伝えたい。真面目で怠惰な人は特に危ない。    一人暮らしの何がダメかというと以下の通りになる •引越しが大変 •家事と大学生活の両立が大変 •孤独になる危険性 •金がかかる •何よりもする必要性がない  一つ目の「引越しが大

          新大学生へ。一人暮らしはするな。

          精神力とは、メンタルの強さとは。

           精神を鍛えるという概念があるけど、それは正しくないと思う。精神が鍛えられるようなものなら、虐めに遭っている人は鋼の精神を手に入れられることになる。自殺者が出るのもあり得ない。また人生を楽しんでいる人ほど打たれ弱くなくては辻褄が合わない。よって精神の強弱というのは、防御力ではなくHPの高低で捉えるのが正しい(あるいはソシャゲのスタミナ)。    精神が強い人というのは大抵楽しめるものや依存先がある。それは友達と遊ぶことだったり、自分の能力への信頼だったりする。そういうものが積

          精神力とは、メンタルの強さとは。

          安楽死欲求と当たり判定の大きさ。

           昔から思い続けていたけれど、就活を前にしてより一層安楽死したいという欲求が強くなっている。より正確に言うなら、昔というのは中学生くらいのときで、そのときは安楽死という具体的な考えではなく、18歳になって1年以内に不慮の何かで楽に死んだらいいなというものだった。その願いは叶わずに、今は21歳になっている。  別に私個人の人生に過酷な体験があったわけではない。虐められたことはないし、家庭崩壊していた訳でもない。ただニュースも学校も、社会人からの人生が良いものだと教えてくれること

          安楽死欲求と当たり判定の大きさ。

          ファッキュー自由恋愛主義

           来年に暗いものを持ち越したくないので年末にこんなものを書いてます。    私は再来年から社会人ですが、彼女がいたことはないですし当然セックスもしたことはありません。非モテを通り越してMGTOWレベルになっています。おそらく私が自ら女性を求めることは今後一生ないでしょう。それくらい自分に対して高度な能力と責任を求め、結果何も出来なくなっています。自縄自縛というやつです。    私は私を作った社会と運のなさに憤りを感じています。現代は自由恋愛主義の時代です。婚活とかなんとかで実

          ファッキュー自由恋愛主義

          恋愛が出来ない人間の自己分析

           まずここでいう恋愛が出来ないとは、恋愛が下手ということではなく、初めの一歩にすら届かないという意味です。     私は恋愛に強い関心を持てない。興味がないわけではない。漫画や小説の恋愛描写に興奮することはあるし、友人が誰かと恋愛関係にあることを羨ましく思うし、ある女性を他の人より特別魅力的に思うことだってあった。だけどそこで終わってしまう。ただ気持ちの昂りがあって終わる。かわいい美しいと思った先の欲が浮かんでくれない。多分普通の人はその魅力的な人と一緒に時間を過ごしたいとか

          恋愛が出来ない人間の自己分析

          恐ろしいもの

          #エッセイ #自我 最近『死』というものが恐ろしく感じる。正確には死に伴う自我の消失がたまらなく怖い。 数年ほど前から、特別生きる理由も義理も作る予定がないので50歳くらいに安楽死出来たらなと思っていたが、1つ大きな勘違いをしていたことに気がついた。私は自我の容れ物である私(個人、肉体)が消えることに興味がないだけであって、私という自我(精神)が消えることなど全く考慮していなかった。 輪廻転生や天国と地獄という昔ながらの宗教観はもちろんのこと、異世界転生やFateそれに

          恐ろしいもの

          消極的自己愛

          #ぼっち #コミュ障 #エッセイ ぼっち、コミュ障とは端的に言えば自分に自信が持てず自分から動けない人たちを指す言葉であると思う。であると思うなんて遠回りな文を書く私がそうだ。そしてこの「自信が持てない」人たちがどうして積極的な行動が取れないかと言うと、自己愛が強すぎるからではないかと思う。 これを治療するためには、失敗しても何とかなるという経験が必要だと推測する。陽キャやパーティピーポーな方々は、大小様々な失敗の経験を積んでいる。いたずらをして叱られる、スポーツで怪我を

          消極的自己愛